山歩き

温井…A峯…大箒山…B峯
2010/1/4

温井…ウシロヌクイ谷…林道…668P…林道…尾根末端地点…A峯…鞍部…登山口道標…大箒山…B峯…林道…林道…温井

■大箒山(オオホウキヤマ)1013.3m:広島県山県郡戸河内町大字松原(点の記・大坊木) 安芸太田町

ウシロヌクイ谷入口
車道は最初の堰堤まで
林道上流の三つ目の堰堤
尾根が切られた北へ上がる林道付近
高鉢山
ウシロヌクイ谷水源
南へ延びる尾根の北の末端部
B峯
オオホウキ谷水源の広い平坦地
道標のある山頂下の登山口
大箒山
深入山
サル谷水源
B峯付近のブナ
温井ダム
掘下げられた馬道
 
 
7:05 温井 晴れ 気温−7度
 
ソヨゴ

7:40 林道
8:30 668P
8:45 林道
9:35 尾根末端地点
9:45 A峯
10:25 大箒山
11:40 B峯
12:20 林道
12:30 林道 
13:05 堰堤
13:25 温井

 「NUKUI WOOD WORK」の看板付近を出発、気温は氷点下7度で手袋を外すと手が悴む。車道を進むと墓所がある。鍛冶屋橋を渡り、ウシロヌクイ谷左岸の車道を進む。車道は堰堤までで、その先は左岸に遊歩道が続いている。遊歩道を進むと二つ目の堰堤の下に1mほどのツララがぶら下がっていた。堰堤の上は林道が通っている。林道の上流に三つ目の堰堤がある。

 林道に猟師と猟犬と思われる足跡が続いている。林道の途中から尾根に上がった。尾根に山道が通っている。ヒノキ林の668ピークを過ぎると林道に出た。尾根を深く切り取って林道が北へ上がっている。林道を横切り再び尾根に取り付く。

 林道上の尾根の末端部に進むと展望がある。南側に高鉢山が見える。滝山川上流へ山並みが続いている。上側の林道から30分ほどでウシロヌクイ谷の水源に出た。日の差す水源は気温5度になっていた。ブナに古いクマの爪痕が残る。

ブナの実
ブナの爪あと

 水源を渡り、大箒山東から南へ長く延びる尾根の末端部に入った。日の入るブナ林の尾根を進む。林越しに大箒山が見える。南へ延びる尾根の先にB峯が見える。A峯の少し先に「大箒山」と書かれた古い道標がある。その辺りから大箒山を見ながら西へ下った。サル谷とオオホウキ谷の上がる鞍部は広い平坦地となっている。

 鞍部を渡り「鉄の道」を進み、道標のある登山口に出た。そこから30分ほどで山頂。年末の立岩山より雪は少ない。林の先に白い深入山が見える。北へ少し下り、苅尾山、掛津山をカメラに収める。山頂から南寄りに下った。サル谷水源から鞍部に出て、「鉄の道」を南下する。ヤマドリが飛び立ち、林の向こうに雪の深入山が見える。

マルバノホロシ

 尾根を南へ進み30分ほどで大きいブナのあるB峯。B峯から南東のヒノキ林の尾根を下る。林間から眼下に温井ダムが見える。尾根の途中からヒノキ林の急な斜面を下り、東の尾根に移る。下って行くと尾根はアカマツが多くなる。雪深い最初の林道に出た。そこから少し下ると次の林道に出た。朝見た猟師と猟犬と思われる足跡がここにも続いていた。

 尾根を下って行くと、深く掘下げた山道に出た。馬道のようであった。松原から大箒山東の尾根を通っていた「鉄の馬道」は温井側にも降りていたようだ。馬道は堰堤の上部で切れていた。堰堤下流に湯本橋がある。河内神社前を通り出発点に帰着。

ノイバラ
アメリカイヌホウズキ

 
地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。


●オオホウキ谷(東)
 poro-ooho-ki-nay
 ポロ・オオホ・キ・ナイ
 大きい方の・深い・ススキ・川(黒ボク土)
 
●オオボウキ谷(西)
 pon-ooho-ki-nay
 ポン・オオホ・キ・ナイ
 小さい方の・深い・ススキ・川(黒ボク土)

●大箒山(オオホウキヤマ)
 ooho-ki
 オオホ・キ
 深い・ススキ(の山)

●サル谷
 sar-us-nay
 サル・ウシ・ナイ
 ススキ原が・ある・川(黒ボク土)

●ホンサル谷
 pon-sar-us-nay
 ポン・サル・ウシ・ナイ
 小さい方の・サル谷(黒ボク土)

 下の図にあるように大箒山周辺は黒ボク土となっている。上記四つの谷地名の共通点は黒ボク土にある谷名である。大箒山の東側は「オオホウキ」、西側は「オオボウキ」と呼んで区別しているが、アイヌ語では近辺に同じ呼び名がある場合、頭に「ポロ」「ポン」を付けて区別する場合がある。サル谷は「ポロサル」(大きい方のサル)と呼んで区別していたのではないか。

 谷の水源にススキ草原が広がり、火入れをしていたと思われる。ここの黒ボク土は「Ysi-1」で厚さ50cm以下である。冠遺跡群D地点の黒ボク層は70cmで1万年さかのぼる。大箒山周辺の黒ボク土は縄文早期中頃から縄文前期以降の層と考えられる。

縄文時代の区分

草創期(約12000〜9000年前)
縄文早期(約9000から6000年前)
縄文前期(約6000〜5000年前)
縄文中期(約5000〜4000年前)
縄文後期(約4000〜3000年前)
縄文晩期(約3000〜2300年前)

 下に広島県・島根県・山口県の黒ボク土の分布図を示した。日御碕南の緑の広い層は三瓶山周辺である。緑と水色の層は三瓶山から東へ長く続いている。三瓶山周辺に下山・万場U・貝谷・板屋V・五明田の縄文早期から後期の遺跡があり、この分布図から縄文遺跡は三瓶山の東側へ続いていると考えられる。

 三瓶山南東の赤の広い層は大万木山から吾妻山周辺である。この図から三県の山地沿いに黒ボク土が分布しているのが分かる。

 赤は厚層の黒ボク土、緑は薄層の黒ボク土、水色は混合の黒ボク土である。山地側に赤い層が多く、その周辺に緑色、水色の層が広がっている。これらの黒ボク土が縄文人の火入れによって形成されたのであれば、縄文時代の早期に山地側に縄文人が移り住み、時代が進むとともに縄文人の生活基盤が周辺部の山すそに広がったと考えられる。

オオホウキ谷水源を通る鉄の道


●温井(ヌクイ)
 nu-us-ku-i
 ヌ・ウシ・ク・イ
 豊猟・ある・仕掛け弓・場

●ウシロヌクイ谷
 asir-nukui-pet
 アシリ・ヌクイ・ペッ
 新しい・温井谷

●コヌクイ谷
 husko-nukui-pet
 フシコ・ヌクイ・ペッ
 古い・温井谷

 黒ボク土は尾根周辺にあるものと山裾の平坦地に広がるものがある。平坦地のススキ原は竪穴住居の屋根材の確保などのためであり、尾根に続くススキ原は狩猟のためであったと思われる。

 アイヌ語では近辺に同じ呼び名の地名がある場合、「アシリ」「フシコ」を頭に付けて区別する。「コヌクイ」は最初「ヌクイ」と呼ばれ、後に「ウシロヌクイ」と呼ばれる地名が成立したため、「フシコヌクイ」と呼ばれるようになった。


●オオ谷 
 o-ota-us-nay 
 オ・オタ・ウシ・ナイ 
 川尻に・川原・ある・川

 オオ谷はウシロヌクイ谷北の小さい谷である。オオ谷川口付近は温井ダム貯水池の底にあるが、5万分の1地形図では平坦地となっている。

オオ谷川口付近 5万分の1地形図


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カシミールデータ

サルトリイバラ

総沿面距離8.6km
標高差605m

区間沿面距離
温井
↓ 2.9km
A峯
↓ 0.9km
大箒山
↓ 1.9km
 B峯
↓ 2.9km
温井
  

 
大箒山周辺の黒ボク土 赤茶 Ysi-1 (国土交通省土地分類基本調査土壌図)
土壌図の説明(国土交通省土地分類基本調査簿冊)
広島県・島根県・山口県の黒ボク土の分布(国土交通省 20万分の1土地分類調査 GISデータ 黒ボク土のみを抽出)

凡例の説明
(国土交通省 50万分の1土地分類基本調査 GISデータの凡例から)

粗粒黒ボク土

主として火山砂礫などの抛出物が厚く堆積した土壌。A層は発達していることが多い。(腐植含量は比較的高いこともあるが,)土性は砂壌度またはそれより粗く,塩基置換容量は比較的低く,燐酸吸収係数もまた比較的低いものが多い。砂またはそれより粗い部分は,火山砂または浮石でその大部分を占めている。八戸(青森県)付近,榛名山および赤城山麓,阿蘇盆地の一部,都城盆地,宮崎平野などに分布し,火山抛出物未熟土および黒ボク土とともに存在することが多い。

粗粒黒ボク土 (コラ・マサ)
表面から1m以内に固結した粗粒の火山抛出物層を有し,一般にコラ・マサなどと称されている土壌は左記の記号により図示した。十和田湖周辺,榛名山東麓,富士山麓,南薩台地等に分布する。

黒ボク土
火山抛出物またはその含有割合が比較的高い母材に由来する。明度・彩度ともに2またはそれ以下の黒色の表層土が25cm以上発達した土壌。腐食含量が高く,A層(もしあればB層)の容積量は,0.85以下で,塩基置換容量は,PH7でおおむね30m.e.以上,燐酸吸収量も1,500かまたはそれより高い。北海道では根釧台地,十勝・網走平野,日高山脈南麓台地に,東北では下北半島頚部,三本木台地,岩木山・岩手山・蔵王山および磐梯山の各山麓部・北上および阿武隈山地のほか,津軽平野南部,および白河台地,花輪・大館・横手・遠野および福島各盆地に,関東・中部では赤城・白根・八ヶ岳・富士各山麓,那須野原扇状地のほか常陸・両総・大宮・武蔵野各台地,秦野および長野・飯山・伊那各盆地に,山陰では大山,三瓶各山麓,九州では阿蘇・九重・霧島・雲仙各山麓などに広く分布している。なお,その他全国各地の山頂緩斜面,台地段丘面等に小面積の分布が見られる。

淡色黒ボク土
黒色の表層土の厚さが25cm以下であるか,または腐植含量が少なく,表層の黒味が弱い黒ボク土壌。塩基置換容量および燐酸吸収量係数は共に高く,容積重は軽い。一般に地下水位は低い。関東の常陸・両総・武蔵野の各台地および多摩丘陵などのほか各地で黒ボク土と一緒に分布している。

多湿黒ボク土
おおむね黒色土層の厚さは50cmまたはそれ以上出,下層は灰色をおび斑紋を持つか,またはグライ層を持つ土壌。沖積地または台地間もしくは台地内の凹地等に分布し,地下水位が高い。関東平野および東北地方の山間部および各地の谷底平野に分布するもののうち一部を図示した。

苅尾山と掛津山(大箒山から)
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より