6:00 宇佐駐車場 曇り時々雪 気温2度
ミヤマシキミ |
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7:25 寂地林道終点
8:20 寂地山
8:25 ガクガク分岐
8:45 額々山
8:55 ウサゴエ谷東尾根分岐
9:20 1139P
10:25 ウサゴエ谷合流点
13:10 額々山(1229P)
13:30 ガクガク分岐
14:15 土滝山
14:30 寺床
16:00 寂地林道
16:40 宇佐駐車場
風が強い、暗い駐車場を出発。時折、雲に隠れた月が顔を出すと明るくなる。犬戻しの遊歩道に着く頃には薄明るくなった。林道はここから鎖が掛けてある。寂地川の奥の山々は雲が掛かる。1時間半ほどで林道終点。風が強く雪が舞い始める。遠くで鳴く鳥が呼び声のように聞こえる。1時間ほどで薄く雪化粧した寂地山に到着。
気温マイナス4度、風を避けて山頂を通過、ガクガク分岐から尾根を下った。ヨケ岩の所で小休止。ガクガク尾根の途中からウサゴエ谷東の尾根を下る。谷から風と雪が舞い上がってくる。20分ほどで植林地の1139ピークを通過。広葉樹の薮とササの尾根を下る。尾根が急坂になるとククリキ谷が見えてくる。
尾根の林を抜けてウサゴエ谷とククリキ谷の間の小平坦地に出た。そこは谷の合流の上である。ウサゴエ谷の左岸の踏み跡を下りた。二つの谷から水路のような小滝が降りている。中央に大きな岩盤があり、岩盤の両端から谷が流れ下っている。
ミヤマシキミ |
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ウサゴエ谷は滝が二段になって落ちている。ククリキ谷の滝はウサゴエ滝の二段目で合流しククリキ滝の一段目に落ちている。滝の下流側に廻ると、滝の落口の数メートル下流の所で両岸から岩が迫り、狭くなっている。古代にはこの迫っている岩が滝であったと思われる。
ククリキ滝は4mほどの小滝であるが、ウサゴエ滝は滝と呼ぶより、斜めに落ちる急な谷である。ウサゴエ谷を上がった。雪が薄く積もったワサビの葉が点々とある。谷の平坦地にワサビ田が続いていたようだ。40分ほど登った所に大きい滝があった。左岸を巻いた。
滝上の谷にドラム缶が転がっていた。小滝の岩にツララがぶら下がっていた。谷の分岐にワサビ田の石積が残っていた。右の谷を上がって行くと伐採されて朽ちた周囲6mほどの巨木の跡が残っていた。そのすぐ下の小谷にもワサビ田の石積があった。
ソヨゴメタマフシ |
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水源に入るとガクガク尾根にある扁平な岩が点々とある。霜柱が数センチ伸びている。2時間ほどでガクガク尾根に出た。尾根は風が強い。広高山が霞んで見える。ガクガク分岐に出た。朝は薄化粧の雪だったが、この付近は数センチの雪があった。
雪道の尾根を進んだ。時々青空が覗く。松の木峠から上がる冠山登山道の尾根は白くなっている。ガクガク分岐から1時間ほどで寺床。この辺りは平坦地となっている。寺床からササと広葉樹の西尾根を下った。少し下ったところにクマ糞があった。下っていくと植林地に入る。
1082ピークを下っていると、突然、「ギャー」と叫び声があがり、四頭のイノシシが尾根を一目散に下って行った。一頭は大きさが四分の一ほどの子供だった。大きい三頭は我先に逃げたが、子供は大分遅れて後を追って行った。イノシシの出た辺りに下りてみると地面が掘り返されていた。イノシシが逃げて行った枯葉の跡が残る尾根を下った。
林の先に茅帽子山が見える。915ピークから右の尾根を下った。左の尾根は常国に下る。尾根に建物があった。雨量観測所だったのか。そこからほどなく寂地林道に出た。
■地名考
日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。
アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。
西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。
●宇佐(ウサ)
●ウサゴエ谷
「この山(額々山)より北流する小谷にヨケイワ谷があり、春日野満著『ひきみ川』にも紹介されている。かってウサゴエ谷より宇佐へ通じる馬道があった頃、この岩を寄けて道が付けられたためとある」(「西中国山地」桑原良敏)。
『ひきみ川』によればウサゴエ谷から宇佐に通じる馬道があったと言う。
縄文時代、宇佐では、ヤケヤマ谷と寂地川の合流点に左右の谷から滝が落ちる情景が見られたと思われる。現在、ヤケヤマ谷の滝は40m後退して竜尾の滝に、寂地川の滝は合流点から200mのところまで後退した(仮名:寂地滝)。
谷・川名は入口の地形によって決まる場合が多い。ウサゴエ谷とククリキ谷のそれぞれの滝から流れ下る谷の情景は、縄文時代のヤケヤマ谷と寂地川の合流点と同じ光景である。縄文時代と変わらず、川口に二つの滝があるのは、二つの川の下にある巨大な岩盤のため、後退速度がきわめて小さかったと考えられる。
ヤケヤマ谷の竜尾滝の流域面積は2705平方mで5000年前からの後退距離が40mと計算した(下表)。
ウサゴエ谷(ウサゴエ滝)、ククリキ谷(ククリキ滝)の流域面積は565平方mと363平方mである(下図)。竜尾滝の流域面積はウサゴエ谷の4.8倍である。
滝の後退速度は滝の流域面積に比例し、滝の高さに反比例する。ウサゴエ滝、ククリキ滝の高さは上下二段で8mほどと思われる。滝の高さは竜尾滝が1.9倍ある。
ウサゴエ滝とククリキ滝は岩盤の上にあるので、竜尾滝の岩盤の強度と同じと仮定すると、この5000年の間の後退距離は、竜尾滝の後退距離40mよりは大分小さいと計算され、ククリキ滝の後退距離はウサゴエ滝よりもさらに小さかったと計算できる。
両滝の下流に両岸から岩が迫り、この迫る岩が古代に滝があった所であろう。後退距離は5000年で10mほどと思われる。ウサゴエ滝は滝の形を成さず、急坂を落ちる谷となっている。ククリキ滝に比べて少し後退していると思われる。
ウサゴエ谷とククリキ谷の合流点の地形は縄文時代と変わらない景観を保っていると考えられる。
滝の後退速度(Web検索で判明したもの)
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滝名 |
後退速度cm/年 |
華厳滝 日光
高さ50m 幅100m |
1.8cm |
阿蘇カルデラ外周の滝 |
1〜7cm |
鮎返ノ滝 阿蘇火山・立野峡谷
高さ14.8m 幅27.6m |
8.6cm |
称名滝 富山県称名川(推定式)
高さ350m 幅10〜15m |
9〜15cm |
5000年前に地名が成立と仮定 |
以下は推定 |
宇佐大滝 高さ28m 5000年前浦石川の川口にあったと仮定 |
4cm
後退距離200m |
カンス渕 高さ2m |
1cm |
竜尾の滝 高さ15m 2段
流域面積2705平方m |
0.8cm
後退距離40m |
「寂地滝」 10m 斜滝
流域面積5111平方m |
4cm
後退距離200m |
ウサゴエ滝・ククリキ滝 上下8m
同面積565平方m・363平方m |
後退距離10m |
小五郎山鉱山ルートの寺床付近のゴーロ |
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●寺床(テラトコ・小五郎山鉱山ルート)
小五郎山鉱山ルートに寺床がある。立て札に「修験堂跡地」と書いてある。上部の平坦地に上がってみたが、建物の基礎のようなものは無かった。
寺床付近はゴーロとなっているが、土砂が覆いつつある。古代には岩が露出していた所で、岩を飛び越えながらこの付近を通過していたと思われる。
●寺床(テラトコ・冠山)
●オオガエキ
冠山の寺床周辺の土壌は黒ボク層で、その下は冠山安山岩のゴーロ地帯と思われる。縄文期、冠山安山岩のゴーロが露出し、岩を飛び越えるところであったと思われる(図は国土交通省土地分類基本調査)。
黒ボク層の「Ysi-1」は50cm以下、「Ysi-2」は50cm以上の深さとなっている。松の木峠の「冠遺跡群D地点」の黒ボク層は70cmほどである。この黒ボク層から縄文時代の遺物が出土している。
冠山土壌図 寺床付近(赤茶Ysi-1 黒ボク土壌 Ysi-2 厚層黒ボク土壌) |
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冠山表層地質図 寺床付近(Ad 安山岩質岩石) |
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●寺床(テラトコ・安蔵寺山)
●寺屋敷(テラヤシキ・安蔵寺山・寺床)
寺床周辺の土壌は黒ボク層で、その下は花崗岩質岩石のゴーロ地帯と思われる。また寺床は寺屋敷とも呼び、小鞍部でもあるので岩と湿地の間を飛び越えるようなところであったのかもしれない。
冠山、安蔵寺山の寺床は寺院があった所とされているが、根拠は無いようだ。
「(寺床は)寺院があったとされている。しかし元吉和村の村長の三浦信男氏は『母が明治初年まで小椋という姓の木地屋の家があり招かれて行ったことがあると話していた』と記憶をのべられた」「上横道では寺床と呼び、高尻側では寺屋敷の呼称が使われている。安蔵寺跡というが、土台石らしきものも残っていないのは解しかねる」(「西中国山地」桑原良敏)。
安蔵寺山土壌図 寺床付近(Azo-1 黒ボク土壌 Azo-2 厚層黒ボク土壌) |
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安蔵寺山表層地質図 寺床付近(Gr 花崗岩質岩石) |
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カシミールデータ
コマユミ |
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総沿面距離24.6km
標高差868m
区間沿面距離
宇佐
↓ 8.2km
ガクガク分岐
↓ 3.4km
ウサゴエ谷入口
↓ 3.8km
ガクガク分岐
↓ 9.2km
宇佐
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