山歩き

宇佐…トクジロウ渕…容谷山…木目の滝
2009/11/21

宇佐…三共…浦石橋…トクジロウ渕…容谷山南の谷…容谷山…木目分岐…木目の滝…取水口…オソ越…宇佐

■容谷山(ヨウタニヤマ・鉢の敷山・鉢の浴山)1031.5m:山口県玖珂郡錦町大字宇佐字ハチノエキ(点の記) (岩国市)

駐車場から見える竜ケタキ
平(ヒラキ)へ上がる道
真中の高鉢山へ延びる台地
左浦石 右木目の滝
槇原集落
大きい石が目立つ槇原集落の石垣
三共集落 587ピーク方向
三共集落崖下の宇佐川
三共集落の先に見える高鉢山
道は高架の下を通る
浦石峡左岸の台地と小五郎山
高速道の浦石橋
浦石橋
高速道の橋脚で塞がれた容谷山へ上がる谷
トクジロウ渕
スギが延びるワサビ田跡
ゴウロを上がる
ヒノキ林を上がる
容谷山
木目の滝へ下る分岐
下り道から見える容谷山東面の植林地
木目の滝上の渡渉地点
木目の滝
木目の滝下流
取水口
7:00 宇佐駐車場 曇り後雨 気温2度
 
ムラサキシキブ

7:40 三共
8:10 浦石橋
9:15 林道
11:50 容谷山
12:00 木目分岐
12:45 木目の滝
13:00 大人の足跡
13:30 取水口
13:55 オソ越
14:25 宇佐駐車場


 宇佐駐車場を出発。宇佐八幡宮の入口にある由緒に「日和」「開き」「夏焼」があるが、この辺りに「日和」「平」「夏焼」の地名として残っている。車道を西へ進むと田畑が広がる。車道は平(ヒラキ)で木目の滝へ上がる道と浦石の台地を通る道に分かれる。この台地は浦石峡の西側まで長く続いている。

 左手に鬼ヶ城山の大きな山容があり、進行方向に高鉢山が見える。この辺りの電柱は皆「高根」と書いてある。浦石峡の入口にあるのは高根橋である。平集落から竹林を抜けると槇原集落に入る。名前の分からない神社がある。槇原集落は西側に尾根が突き出ており、そのふもとに集落がある。この辺りの家々の石垣は角ばった大きい石が使われている。

 槇原集落から植林地を下ると三共集落に入る。廃屋の入口に柿の実が生っていた。眼下に宇佐川が見える。急な崖の上に三共集落の台地がある。頭上に山のピークが見える。三共集落の中ほどに三共集会所がある。前方に高鉢山が迫ってくる。

マルバノホロシ

 道を下って行くと高速道に出た。東側に宇佐川橋があり、高架が続いている。宇佐川橋の説明板があり、川底から車道のある台地まで80mの高さがある。高架の傍に墓があった。宇佐川橋は耐震補強工事を平成23年5月まで行うと書かれた看板があった。

 高架を抜けると高鉢山が目の前にある。広い浦石の台地が広がり、その先に十王山から小五郎山の山並みが見える。右手に容谷山全体が見える。道が浦石峡へ下ると、渓谷に架かる巨大な高架橋が見えてくる。この橋も耐震補強を行っているようだ。説明板には谷底から橋まで76mとあった。橋の中央部分の橋げたは、幅13m、高さ25mのコンクリート柱が地中に埋まっている。

 林の先に浦石峡の西側の台地が見える。巨大な橋げたを見上げながら道は浦石橋へ下りた。右岸へ下りるとすぐ上に容谷山へ上がる谷が降りている。この谷は巨大な橋げたで塞がれていた。浦石峡を上がるとすぐに渕に出る。トクジロウ渕である。両岸が壁で泳がないと越えられない。右岸の崖に縄がぶら下がっていた。

ミツマタ

 浦石橋とトクジロウ渕の間に、容谷山へ上がる谷があり、頭上は高架橋がある。引き返して高架橋の橋げたの左岸を回りこみ、容谷へ上がる谷へ出た。2mほどの太い足場パイプが落ちていた。頭上の工事現場から落下したようだ。右岸は植林地となっている。谷を登っていくと岩盤を貫く細い深い谷の先に小滝があった。

 植林地の谷を上がると東西に林道が通っていた。岩の谷を大分上がるとワサビ田跡の石垣が残っていた。ワサビ田の真中をスギが大きく成長していた。この辺りはケヤキも多い。ゴウロが長く続き、石積が残っているので長いワサビ田が続いていたと思われる。

 ゴウロをしばらく登り、薮になったところで左岸の尾根を登った。雨が降り始めた。ササ薮を登りヒノキ林に入った。ガスが出てきた。上の方では雪が残っていた。山頂直下までヒノキ林が続く。薮を避けて北へ廻り山頂に出た。浦石橋から3時間ほどであった。

ノハラアザミ
シラネセンキュウ

 山頂はガスで展望なく、ササはみぞれで白くなっていた。早々に北へ下り10分ほどで木目の滝へ降りる分岐。植林帯を下る。踏み跡があるので迷うことはない。45分ほどで木目の滝の上に出た。林道から「大人の足跡」へ降りた。「足跡」の上下が滝となっている。

 左岸を降りて浦石峡を下った。左岸は林道と谷の間を岩が埋まり歩きにくい。取水口まで降りた。取水口から用水路に沿って登る。用水路の下は石垣が組まれ、用水路の上を林道が通っている。ほどなく林道に出た。用水路はオソ越を通り槇原へ水を供給しているようだ。

 林道にはアキノキリンソウが一輪残っていた。雨に打たれたダンコウバイが黄色に輝く。峠口に出ると鬼ヶ城山に雨雲が掛かっていた。林道から宇佐川にかけての山の斜面の槇原集落に広い台地が広がっている。真っ赤なモミジのトンネルを抜けて宇佐に帰着した。

ウリカエデ
ダンコウバイ
モミジの道
三共集落
浦石峡東の砂礫段丘から見た高鉢山

地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。


●三共(サンキョウ)
 pi-sanke-i
 ピ・サンケ・イ
 石を・出した・所(崖錐・岩屑堆積物)

●平(ヒラキ)
 pira-kes
 ピラ・ケシ
 崖・端(崖錐・岩屑堆積物)

●槇原(マキバラ)
 mak-un-pira
 マク・ウン・ピラ
 山側・にある・崖(崖錐・岩屑堆積物)

 地形分類図によると、平(ヒラキ)から三共付近にかけて、更新世後期の崖錐・泥流堆積物(岩塊及び粘土)の層がある。縄文期、このあたりは岩塊が露出し、崖地形であったと思われる。

 サンキョウ、マキバラ、ヒラキは崖錐・岩屑堆積物の元になった崖地形が地名になった思われる。平は崖錐の東端、槇原は崖錐の中の尾根端、三共は崖錐の西端にある。

 岩屑堆積物によって旧高津川が塞がれ、浦石付近が宇佐川に河川争奪される原因となったのではないかと思われる。

●トクジロウ渕
 to-kus-or-puchi
 ト・クシ・オロ・プチ
 沼・の向こう・の所の・その川口

 高津川の水源では、河川争奪によって流水が減少して沼田となったところがあるが、トクジロウ渕の「沼」とは旧高津川の河川跡にできた沼のことではないか。「沼の向こうの川口」とは、浦石橋上流付近から容谷山に上がるハチノエキ谷の川口のことと思われる。


■アイヌ語 has を「潅木」とした場合。 

●鉢の敷山(ハチノシキヤマ・容谷山)
 has-noski ハシ・ノシキ
 潅木・の中

●鉢の浴山(ハチノエキヤマ・容谷山)
 has-noski-ekimne
 ハシ・ノシキ・エキムネ
 潅木・の中の・山へ行く(川)

●浦石(ウライシ)
 uras-us-i
 ウラシ・ウシ・イ
 ササ・群生する・所(浦石の台地)

 「西中国山地」(桑原良敏)には「〜エキ」と呼ぶ谷名が100余りある。「ハチノエキヤマ」は元々谷名であったと思われる。「ハチノエキ」は浦石橋付近から容谷山へ上がる谷名であったのではないか。

 浦石が鉢の敷山と関係ない地名であれば上記の意。
 「ウライシ」とは旧高津川の河川跡にササが群生していたのかもしれない。

■アイヌ語 has を「笹」とした場合。

○鉢の敷山(ハチノシキヤマ・容谷山)
 hur-has-noski 
 フル・ハシ・ノシキ
 笹・の中

○鉢の浴山(ハチノエキヤマ・容谷山)
 hur-has-noski-ekimne
 フル・ハシ・ノシキ・エキムネ
 笹・の中の・山へ行く(川)

○浦石(ウライシ)
 hur-has
 フル・ハシ
 ササ

 笹のアイヌ語に「ウラシ」「フラシ」がある。

 uras ウラシ 笹
 huras フラシ 笹

 uras は huras が元になっている。

 huras は以下のように分かれる。
 hur-has フル・ハシ 笹葉・枝條(枝葉)

 「huras」は語源から見ても始めは枝葉を合わせて称したものらしい。枝葉から葉だけ取り立てていう場合に、「uras-ham」(枝葉の・葉)と言った例もある(『知里真志保著作集』平凡社)。

 「ハチ・ノ・エキ」は次のように転訛した。

 has-noski → hasi-nosiki の転訛(鉢の敷)。
 has-noski-ekimne → hasi-no-eki の転訛(鉢の浴)。
 hur-has → ur-asi → ura-isi の転訛(浦石)。

 浦石峡は右谷山へ上がる川名であるが、アイヌ語「has」を「笹」とした場合、浦石橋付近から容谷山へ上がる谷名であったと考えられる。

 容谷山は浦石山、鉢の敷山、鉢の浴山とも言うが、「フル・ハシ・ノシキ・エキムネ」と呼ぶ一つの地名が語源になっていると思われる。


●木目の滝(モクメノタキ)
 mo-kot-mem
 モ・コッ・メム
 小さい・凹地の・泉池

 mo-ko-mem の転訛。

●大人の足跡(オオヒト)
 oo-pi-to
 オオ・ピ・ト
 深い・石・池

 「木目」は滝の名になっているが、「大人の足跡」と呼ばれる甌穴のことと思われる。アイヌ語では「木目」も「大人」も甌穴の別名であると考えられる。


 先週、浦石峡入口の高根橋から浦石峡を覗いてみたが、山を垂直に切り取ったような急峻な狭い谷であった。この谷は時代が新しい若い谷のような印象をもった。

 浦石峡の東西に砂礫段丘の平坦な台地がある。その台地を左右に切り取って浦石峡が流れている。この景観は下流の旧高津川の向峠と初見の間に深谷川が流れている様子と酷似している。

 浦石の台地に東西に続く長い砂礫段丘は旧高津川の河川跡ではないだろうか。

 「高津川では更新世末〜完新世に中〜上流域で河床埋積が発生したため、源流部が宇佐川へと流路を乗り換え、それによって河川争奪が起きたと考えられている」(島根大学HP)。

 更新世末〜完新世は数万年から1万1千年前の間であるが、「河床埋積」と思われる地形が国土交通省の地形分類図にある(図Aの1)。それによると更新世後期の崖錐・泥流堆積物(岩塊及び粘土)の層は西から初見、向峠、柳瀬、三共、槇原、平付近に見られる。

 特に三共から平付近の崖錐が浦石の台地を流れていた旧高津川の流路をせき止め、現在の宇佐川に河川争奪されたのではないか。

 国土交通省の地形分類図の簿冊では次のように説明されている(図Aの2)。

 「宇佐川台地は、吉賀川(高津川)上流が、錦川水系の宇佐川の本支流によって争奪されて段丘化したものである。段丘面は、宇佐付近では標高470m、新田付近では標高390mである」

 「宇佐付近の標高470m」とは、宇佐川右岸の宇佐八幡宮付近の平坦地と思われる。宇佐川に河川争奪された旧高津川は、新田(標高382m)、向峠(385m)、浦石西(420m)、浦石東(420m)、宇佐(470)の間の8kmの段丘を高度差90mで緩やかに流れていたと考えられる。

 旧浦石峡は浦石橋付近から西よりに流れ旧高津川につながっていたと思われる。浦石峡の入口は急峻で深い谷だが、浦石橋の下流辺りで浅い谷となっている。浦石橋から南側の現在の浦石峡は河川争奪後にできた新しい谷ではないか。

 浦石峡の両岸の砂礫段丘の標高が420m、段丘の間の浦石峡の標高が370mで高度差は約50〜60mである。

 図1からこの付近の河川の侵食速度は年1mm〜2mmの間であったと思われる。図2から周辺の地質は花崗岩である。浦石台地の沈降、堆積は無視して、侵食速度を年2mmとして計算すると、旧高津川が宇佐川に河川争奪され、浦石峡の侵食が始まったのは30000年前と計算される。

 島根大学HPでは「河床埋積」の時期を数万年から1万1千年前の間としているので、年2mmの侵食速度は不合理な数値ではないと思われる。

容谷山周辺の山名と山麓地名(谷名) 赤字は推定

山名 山麓地名または谷川名
小五郎山 コゴロタ谷
宇佐の嶽(小五郎山) 宇佐川
大谷辻 オオ谷
十王山 十王谷
容谷山 容谷川
鉢の敷山(容谷山) ハチノシキエキ
鉢の浴山(容谷山) ハチノシキエキ
浦石山(容谷山) 浦石峡 or ハチノシキエキ
大道山(容谷山) 大道峡(浦石峡)
右谷山 右谷
茅帽子山(右谷山) ヤケヤマ谷(yakayapa谷)
カラス場山(右谷山) カンス渕川(カラスプチ川)
智元の丸子山(975P) チゲン谷・チゲンの丸子
智元の丸子山(右谷山) チゲン谷・チゲンの丸子
カラスバ山(983P) カンス渕川(カラスプチ川)
横吹山(トギ石・909P)  
寂地山(ジャクジサン) 寂地川
ミノコシ山(1169P) ミノコシ谷
メオト岩(河津谷) メオト岩川
ガクガク山(1227P) ガクガク石(ガクガクウシ)
ヨケ岩(額々山・1279P) ヨケイワノエキ


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カシミールデータ

アキノキリンソウ

総沿面距離13.6km
標高差763m

区間沿面距離
宇佐
↓ 3.5km
浦石橋
↓ 4.8km
容谷山
↓ 1.8km
木目の滝
↓ 3.5km
宇佐
  

 
 
図Aの1 砂礫段丘(緑色) 白のCは崖錐(岩屑堆積物) 青は崖 赤線は高速道 (国土交通省HP地形分類図より)
白のCの崖錐(岩屑堆積物)は西から初見、向峠、柳瀬、三共付近にある。
図Aの2 国土交通省HP地形分類図の簿冊(図Aの1の説明)から
「段丘面は、宇佐付近では標高470m」は宇佐八幡宮付近の宇佐川右岸の平坦地付近。
洪積層は2〜200万年前に形成された地層
図1 侵食速度(独立行政法人 日本原子力研究開発機構HPより)
「侵食速度は場所によって異なっています。中部山岳地帯、日高山脈、関東山地、四国山地など、標高が高い山地の中心部では1mm/年を超える場所が多く、中部山岳地帯の高山部では、3〜5mm/年に達します。それ以外では、大半が0.5mm/年よりも小さい地域となっています」
図2 宇佐川流域の地質図(独立行政法人 産業技術総合研究所HPより)
紫色(1331)は後期白亜紀(約1億年前〜6500万年前)の花崗岩 
22は段丘(更新世) 411は砂岩(ペルム紀) 黒線は断層線
小五郎山から見た砂礫段丘 2009/10/18
容谷山  浦石峡東の台地から
浦石峡東の砂礫段丘と小五郎山の尾根
大人の足跡(オオヒト)
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より