山歩き

河津谷…ジャレ…ガクガク山…ミノコシ谷
2009/10/31

河津…河津谷林道…カネホリ谷…ジャレ…藩界尾根…ガクガク山…額々山…ヨケ岩…寂地山…錦ヶ岳…ミノコシ峠…1260P…ミノコシ山…カラ谷…ミノコシ谷…河津

■ガクガク山(ガクガクヤマ)1227m:島根県美濃郡匹見町大字紙祖(後谷三角点・937Pの所在地) (益田市)
■額々山(ガクガクヤマ)1229m:島根県美濃郡匹見町大字紙祖(点の記) (益田市)
■寂地山(ジャクジサン)1337m:山口県錦町大字宇佐(1233P・三角点右谷山の所在地) (岩国市)
■ミノコシ山(ミノコシヤマ)1169m:山口県錦町大字宇佐(1233P・三角点右谷山の所在地) (岩国市)

ワサビ畑のある河津谷林道
ミノコシ谷落口上流の河津谷
ナメ床の甌穴の池
メオト岩
錦の谷
ナメ床に作られた林道
河津谷右岸の社
社の少し上流からナメ床を石が覆う
岩で覆われたナメラ谷
涸れ谷の下マツダケオ
上下のマツダケオの谷の間の河津谷に岩礁がある
右岸の平坦地に降りるノブガ谷
トチゴヤ谷
アダミ谷
カネホリ谷入口
石が堆積したジャレの谷入口
ジャレの谷 クマ糞の上の岩崖にある岩穴
ジャレの谷 左岸上部の岩壁
スギ林の藩界尾根
ガクガク山南端の岩壁
側面に続くガクガク山の岩壁
ヨケ岩
寂地山
紅葉の登山道
6:50 河津 晴れ 気温9度
 
ツルリンドウ

8:00 林道終点
8:55 カネホリ谷
9:25 ジャレ
10:55 藩界尾根
11:20 ガクガク山
11:50 額々山
12:20 寂地山
13:10 ミノコシ峠
13:50 ミノコシ山
15:00 カラ谷入口
15:35 ミノコシ谷入口
15:45 河津出発点

 ハタケワサビ畑のある空地を出発。林道の上下のスギ林の中にワサビ畑がある。ミノコシ谷の手前あたりから頭上にメオト岩が見える。ミノコシ谷落口の下流は岩が深く抉られた谷であるが、落口の上流からナメ床になっている。ナメ床は将来、ミノコシ谷落口の下流のように浸食されるだろう。

 ナメ床には甌穴の窪みがあり池のようになっている。見上げるとメオト岩の懸崖が見える。山々は黄、赤、緑の絨毯となって美しい。左岸の林道はナメ床の上につくられているが、激流により壊れた所がある。右岸に社が祀られている。山ノ神であろうか。

 ナメ床は社を過ぎて谷が直線になる辺りから石が覆うようになる。「西中国山地」の地図ではナメラ谷付近までナメ床になっており、この30年ほどの間にナメ床は縮まったように思われる。数十年後には完全に石の下に隠れてしまうかもしれない。上流は植林地の山であり、土石が多く流れ出るようになったのであろう。

フウリンウメモドキ

 ナメラ谷は大きい岩で覆われていた。下マツダケオの谷は岩の涸れ谷で、入口に石垣がある。そこから少し上流の河津谷右岸に大きい岩礁があり、川幅が広くなっている。その先が上マツダケオの谷で、この谷も涸れている。ノブガ谷付近の右岸は平坦地となっている。ノブガ谷の入口に水流が見られない。

 ノブガ谷の先で橋を渡る。右岸にイタヤカエデがあり、左岸に石垣がある。アシガ谷入口に「足ヶ谷・登り尾」の看板がある。少し先で林道終点。山道は右岸沿いに続いている。トチゴヤ谷付近の看板には「登り尾・足ヶ谷」とあり「天然寂地杉・橅林は人工林に比べ水源涵養・動植物の生息生活環境に優れています」と書いてあった。

 山道は時々谷中を通りながら右岸に続く。ゴルジュの右岸の道を上がるとその先がアダミ谷、アダミ谷は奥が崖となっている。アダミ谷付近から左岸の山道を進み右岸へ渡るとカネホリ谷。カネホリ谷は銅鉱山があったと言う。

 大岩で埋もれたカネホリ谷を上がる。カネホリ谷とジャレの谷の分岐の下流から石ころが山のように堆積している。石ころはジャレの谷から落ちてきたもののようであった。ジャレ入口の両岸にスギ林がある。岩と潅木の涸れ谷のジャレの谷を進む。

ジャレの谷のクマ糞
メギ

 地形図では左岸の等高線が切れているが崖となっている。大分登ったところにクマの糞があった。上を見ると崖に穴が開いていた。クマ穴かもしれない。右岸に岩壁が現われると両岸の岩壁の間にジャレの谷が上がる。

 ジャレの谷を抜けて藩界尾根に出た。この尾根は藩の境界だったと言う。尾根はスギ林となっている。スギ林の尾根を登ると岩壁に突き当たる。岩壁の下に岩が一つあった。左に回りガクガク山山頂に出た。この岩壁は山頂から50mほど南に突き出ている。

 ガクガク尾根を東へ進む。途中に目立つ大岩がある。さらにすすむと不安定に重なった岩がある。山道にクマ糞があった。左手に冠山、広高山が見えると広高谷分岐。ほどなく額々山山頂。ヨケ岩を通り山道をガクガク尾根分岐に出た。葉の落ちたナナカマドの木に赤い実が残っていた。

マルバフユイチゴ

 寂地山は大勢の人だった。紅葉の登山道を下った。錦ヶ岳付近から冠山が見える。ブナが真黄色に染まる。寂地山から1時間ほどでミノコシ峠。峠からピークに登ると右谷山への道標がある。そこから北の尾根へ進む。雑木の尾根を下るとスギ林に変わる。20分ほどで1169ピークのミノコシ山。林で展望は無い。

 スギ林のカラ谷を下る。大分下ったところにワサビ田の石積が残っていた。そこから少し下ると左岸に山道があった。道を下っていくとワサビ田跡の石積が多く残っている。1時間ほどで小屋のあるミノコシ谷に出た。ミノコシ谷左岸のナメラ谷に道が上がっている。伐採された左岸の山にも道が上がっている。

 ミノコシ谷左岸の道を下る。「ミノコシ谷造林地12ヘクタール」の看板がある。メオト岩の懸崖が見える。左岸の山は伐採されている。左岸の崖崩れの先で山道は右岸に渡る。30分ほどで河津谷の林道に出た。

道標のある右谷山北のピーク
ミノコシ山 林で展望は無い
スギ林のカラ谷を下る
カラ谷の一番上の石積
ナメラ谷左岸を上がる山道
ミノコシ谷入口


地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。


●ジャレ 
 chasi-rer 
 チャシ・レル 
 立岩・の向い(の沢)
 (神家・の向い)

●藩界尾根(ハンカイオネ) 
 pon-kamuy-o-nay 
 ポン・カムイ・オ・ナイ 
 小さい方の・熊・多い・沢

●ジャレ+藩界尾根
 chasi-rer-pon-kamuy-o-nay 
 チャシ・レル・ポン・カムイ・オ・ナイ 
 立岩・の向いの・小さい方の・熊・多い・沢

 「ガクガク山の南尾根は、藩政時代の藩界になっていたため、藩界尾根と呼んでいる。『防長風土注進案』によるとこの尾根に三つ岩という岩塊があるようだが所在不明である」(「西中国山地」)。

 「藩界尾根」が藩が成立する以前からの呼び名なら上記の意。アイヌ語の「チャシ」は「神家」の意もある。「神家」とは「クマの巣」と思われる。ジャレの谷左岸の立岩にクマ穴のような岩穴があった。この谷にもガクガク尾根にもクマの糞があり、この辺りはクマの棲みかのようだ。

 「ジャレ」と「藩界尾根」は元々一つの地名であったのかもしれない。

●三ツ岩(ミツイワ・藩界尾根上) 
 pit-iwa 
 ピッ・イワ 
 岩・山

●ガクガク石(ガクガクイシ)
 kakkok-us-i
 カクコク・ウシ・イ
 カッコウ・多い・所

●ガクガク石+三ツ岩
 kakkok-us-i-pit-iwa
 カクコク・ウシ・イ・ピッ・イワ
 カッコウ・多い・所の・岩・山

 ジャレ谷水源の「藩界尾根」からガクガク山にかけての尾根上に「三ツ岩」は無い。ガクガク石と三ツ岩は一つの地名であったと思われる。ガクガク石と三ツ岩はともに1227ピークのガクガク山のことではないか。

 この辺りで目立つ懸崖は1227ピークだけである。ガクガク尾根上の同じような懸崖が(西)ヨケ岩、(東)ヨケ岩(覗岩)と呼ばれており、1227ピークにも呼び名があったと思われる。その呼び名が「ミツイワ」であろう。

 pit-iwa → pitu-iwa の転訛。

 東ヨケ岩は覗岩(ノゾキイワ)とも呼ぶが、「ヨケ岩+覗岩」の地名であったと思われる。

 y-o-ke-no-sotki-iwa
 イ・オ・ケ・ノ・ソッキ・イワ
 それ・居る・所の・尊い・寝床の・岩(クマの巣)

●ナメラ谷 
 nam-mem-ran-pet 
 ナム・メム・ラン・ペッ 
 冷たい・泉池に・下る・沢

 ナメラ谷は河津谷のナメ床に落ちる谷の意と思われる。ナメラ谷は入口付近が岩で覆われた谷である。

●ノブガ谷 
 nupka-pet 
 ヌプカ・ペッ 
 野原の・川

 ノブガ谷は平坦地にある谷である。

●マツダヶオ(マツダケオ)
 hattar-ke-oma-p 
 ハッタル・ケ・オマ・プ 
 渕・の所・にある・沢

●マツダヶオ(マツダカオ)
 hattar-ka-oma-p 
 ハッタル・カ・オマ・プ 
 渕・の岸・にある・沢

 『防長風土注進案』によると、伝説の馬「龍馬」は上河津の「信田か尾」に飛ぶ。「ノブタカオ」と呼ぶと思われる。これは「ノブガ谷」+「マツダヶオ」の合成地名とも考えられる。「マツダヶオ」は「マツダカオ」と呼んでいたのかもしれない。岩礁付近が渕であったと思われる。

●トチゴヤ谷 
 tochi-ko-an-pet 
 トチ・コ・アン・ペッ 
 トチの実・そこに・ある・川

 「トチゴヤ谷は天然林が残されている。トチノキが多く河津の村人は食料とするためトチの実を採りによく行っていたという。入口より300m入った所に大滝があり、遡行の興味を引く」(「西中国山地」)。

 アイヌ語の「トチ」は以下の意がある。

 tochi トチ トチの実
 tochi-ni トチ・ニ トチノキ

 『この茎で臼・杵などの家具を作った。果実は乾し貯えておき、目や傷の薬に使った。使う時は水に漬けて柔らかくし、それを割ってその浸出液で眼を洗ったり傷を洗ったりした』(『知里真志保著作集』・平凡社)。

●カネホリ谷 
 kankan-ne-o-ori-pet
 カンカン・ネ・オ・オリ・ペッ 
 腸・のような・川口の・坂・沢

●金山谷(カナヤマダニ) 
 kankan-ne-ya-oma-pet 
 カンカン・ネ・ヤ・オマ・ペッ 
 腸・のような・岸・にある・川

●コカナヤマ谷 
 husko-kanayama 
 フシコ・カナヤマ 
 古い(元の)・金山谷

●カンネワラ谷(細見谷・S字ゴルジュ)
 kankan-ne-par-oma-nay 
 カンカン・ネ・パル・オマ・ナイ 
 腸・のような・入口・にある・川

 「カネホリ谷は銅を産出した鉱山があったので、この呼称がつけられたようだ」(「西中国山地」)。

 鉱山がある以前からの地名であれば上記の意。
 曲流地形に入る沢である。下流にある金山谷、コカナヤマ谷も川の曲流部にある。金山谷の地元の人の話ではコカナヤマ谷には鉱山は無いとのことだった。

 細見谷にカンネワラ谷がある。細見谷本流S字ゴルジュの下流左岸にある谷である。


●ノボリヨウ谷
 nupuri-o-un-nay
 ヌプリ・オ・ウン・ナイ
 山の・尻・に入る・川

 山の尻とは山の尾根が川口と接している部分を言う。ノボリヨウ谷は左岸、右岸の両方に尾根が下りて河津谷と接している。
 アイヌ語の「ヌプリ」は「ノボリ」の地名として残っている場合が多い。「西中国山地」の谷名に「ノボリ」を含む地名がいくつかある。ノボリ、ノボリエキ、ノボリオ、ノボリタテ、ノボリヨウなどの谷名である。


●雨杉
 am-tuki
 アム・ツキ
 クリの実・山

 雨杉は寂地山から後冠にかけての呼び名であるが、周辺の植生は植林帯を除くとクロモジ−ブナ群集、ブナ−ミズナラ群落、クリ−ミズナラ群落である(第2回・第3回自然環境保全基礎調査 s53〜62年)。

 恐羅漢山北の天杉山(アマスギヤマ)も同じような植生を持ち、同意と思われる。この山にはアマスギ谷がある。

 小五郎山南尾根にあるピークを「一のヅク」(十王山)、「二のヅク」(大谷辻)、「三のヅク」(小五郎山)とも呼び、「ツク」は山の意である。アイヌ語の「tuk」(ツク)は「小山」の意で、「tuki」(ツキ)は「その小山」の意である。

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カシミールデータ

イヌザンショウ

総沿面距離14.3km
標高差775m

区間沿面距離
河津
↓ 5.9km
ガクガク山
↓ 1.8km
寂地山
↓ 3.4km
ミノコシ山
↓ 3.3km
河津
  

 
ジャレの谷左岸に続く岩壁
広高山と冠山  広高谷分岐から
冠山  錦ヶ岳付近から
紅葉の登山道  ミノコシ峠東
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より