山歩き

常国…オオ谷…後冠…寂地山
2009/9/27

常国…満州菩提樹…オオ谷…山道…冠山登山道…寺床…土滝山…後冠…寂地山…錦ヶ岳…ミノコシ峠…タイコ谷…ヤケヤマ谷…434号線…常国

■後冠(ウシロカムリ)1300m:広島県佐伯郡吉和村字吉和西(冠山の所在地) (廿日市市)
■寂地山(ジャクジサン)1337m:山口県錦町大字宇佐(1233P・三角点右谷山の所在地) (岩国市)

林道入口と冠山トンネル
林道入口の看板
ジャノウツ谷入口のマンシュウボダイジュ 直径43cm
堰堤のマンシュウボダイジュ
植林地の林道を上がる オオ谷
ワサビ田
スギ林の谷の分岐 赤禿事業地
スギ林の中の大きい石垣
常国から上がる山道
冠山登山道
オオヤマレンゲ生息地
後冠 ウシロカムリ
ガクガク山への道
寂地山のシナノキ
寂地山のシナノキの落葉
寂地林道分岐
登山道のシナノキ
コケに覆われたシナノキの幹
ミノコシ峠
クロナメラ谷入口のサワグルミ
チゲン谷入口
ヤケヤマ谷左岸の石垣
6:15 常国 曇り 気温18度
 
ユキザサ

7:05 オオ谷
9:15 登山道
9:40 土滝山
9:45 冠山分岐
10:05 後冠
10:55 寂地山
12:40 ミノコシ峠
13:20 タイコ谷落口
14:40 竜ヶ岳観音入口
15:00 レストハウス
15:45 常国出発点 
 
 常国上手の高速道下を出発。高速道下に土砂が山積され青いビニールシートが被せてある。434号線を進むと宇佐川水源の冠山トンネルの横を林道が上がっている。林道の入口に錦町教育委員会の「満州菩提樹群生地」の看板がある。群生地は「蛇のうつ峡谷」を400m登ったところにあるようだ。
 
 植林地の林道を進むと大きいカツラの木がある。水の涸れたスケジ谷落口を過ぎるとジャノウツ谷。谷の入口にマンシュウボダイジュの葉が落ちていた。ジャノウツ谷右岸の植林地の末端にあるのがマンシュウボダイジュであった。背の高い木である。計ってみると周囲136cm、直径43cmであった。木の上の方は黄葉がはじまり、根元から出ている枝の葉はまだ青い。

マンシュウボダイジュの落葉 ジャノウツ谷入口
左 マンシュウボダイジュ
右 寂地山のシナノキ

 林道を上がると林の先に堰堤が見えた。降りてみると堰堤の傍の左岸にマンシュウボダイジュの株立ちした若い木があった。堰堤の上まで葉が覆っている。ジャノウツ谷のボダイジュの種が飛んできたものであろうか。堰堤が完成した後に生えてきたと思われる。堰堤はオオ谷と左谷が合流する下流にある。

 林道は左谷を通り過ぎ、オオ谷に入る。植林地の谷であった。この谷にボダイジュを見つけることができなかった。おそらく植林地に変わるとき伐採されたのであろう。ほどなく林道終点。山道に入ると壊れた橋があり右岸に山道がある。下にワサビ田を見ながら右岸の山道を進む。

 谷に石積みが続く。スギ林の谷を登る。大きいカツラの木がある。谷の分岐に「公社造林赤禿事業地」の看板があった。分岐を右の谷へ進む。石積と野生化したワサビの残る谷である。スギ林の下に大きい石積みが残っていた。右側の谷に炭焼き跡があった。

ツルニンジン
オオバショウマ

 左の谷へ山道が続く。だんだんと谷が荒れ、スギの倒木で埋まる。ワサビの残る谷を進む。一番上の石積みを過ぎると石の谷となり、水源に入る。西側の小尾根へ登り、常国から上がる山道に出た。踏み跡とテープが続いている。出発から3時間ほどで冠山登山道に出た。

 アキノキリンソウの咲く登山道を進むと寺床付近はササが刈られていた。土滝山を過ぎると冠山への分岐。オオヤマレンゲ生息地を通り1282ピークを過ぎると、登山道は西へ向くが、後冠へのササの覆う道に入った。後冠は林の中で展望はない。

 寂地山の登山道に戻った。道沿いにオオマルバノテンニンソウが群生する。ガクガク山への分岐を過ぎて後冠から40分ほどで寂地山。ベンチに腰掛けて休憩し、テーブルに落ちた葉を見るとシナノキであった。テーブルの横の木がシナノキだった。幹はコケで覆われている。根元から葉が出ていた。あたりを見回したが、シナノキはこれ一本きりであった。

アキノキリンソウ
フウリンウメモドキ

 カタクリ保護のため縄の張られた登山道を下った。タンナサワフタギが黒い実を付ける。オオウラジロノキの実が落ちていた。ガスで霞む冠山と後冠が見える。錦ヶ岳に道標がある。コマユミが赤い実を付ける。錦ヶ岳から下っているとシナノキの落葉があった。このあたりの尾根から東側にシナノキが多い。

 東側から上がってくる湿気でシナノキの幹はコケが多く付いていた。シナノキの根元から枝が伸びて葉を出している。ミノコシ峠に下りるまでシナノキが多かった。タイコ谷の水源までシナノキがあったが、谷の下の方では見られない。シナノキは尾根筋に多い木のようである。

 ミノコシ峠から形良く鬼ヶ城山が見える。ワサビ田跡の石積みの残る谷を下る。40分ほどでタイコ谷とクロナメラ谷の合流点に出た。クロナメラ谷の落口に大きいサワグルミが実をぶら下げていた。橋を渡り右岸を下る。橋を渡り左岸を下るとチゲン谷に小さい滝があった。

トチバニンジン
オオナルコユリ

 ヤケヤマ谷を下っていくと水路跡のある石垣があった。水車小屋だろうか。さらに下ると滝に下りる道がある。ミノコシ峠から2時間ほどで竜ヶ岳観音の入口に到着。そこから木馬トンネルを抜けて宇佐八幡宮近くを通りレストハウスに出た。

 434号線を上がる。道路沿いにヒガンバナとコスモスが咲く。的場、常国のバス停の次は寂地登山口となっている。寂地登山口から寂地林道に抜ける道がある。常国から冠山登山道へ上がる山道が残っているようだ。南側には鬼ヶ城山が見える。宇佐川水源の左岸に社がある。そこからほどなく出発点に帰着。

タンナサワフタギ
木馬トンネル
寂地山登山口バス停
宇佐川水源左岸の河内神社


地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。

●常国(ツネクニ)


●クシノ谷


 クシノ谷は常国に落ちている。

 縄文遺跡からアスファルトや繊維のあとが残るヤジリなどが出土している。

 

●オオ谷
 

 オオ谷入口にマンシュウボダイジュ(シナノキ科)の群生林があった。縄文期からシナノキが群生していたのであればオオ谷はシナノキの多い谷であったと思われる。

 「アイヌは、この樹の内皮で縄をつくった。天塩では、山のアイヌがその縄を多量に作って浜へ物々交換に来たという。また、この内皮をさらして繊維をとり、狩や漁に行く時の脚絆などに織った」(『知里真志保著作集』別巻T)。

 三内丸山遺跡(縄文時代)から日本最古級の布が出土し、シナノキなどが利用されていたと推察されている。

 


●寂地山(ジャクジサン)
 

●茅帽子山(カヤボウシヤマ・右谷山)
 

 寂地山はもともと「じゃくじ山」と平仮名でかかれいて、後に漢字を当てたものである。「寂地」としたため「ジャクチ」の呼び名が通用するようになった。

 「寂地山の入口にあたる宇佐の村里のすぐ横に竜ヶ懸崖(リュウガタキ)の尖峯があり山頂に祠がある。この祠はもともと、石神(ジャクジ)を祭ったものであり、それが山名になったものではなかろうか」(「西中国山地」桑原良敏)。

 
 茅帽子山は常国、宇佐、槇原の呼び名である(「西中国山地」)。

 寂地山も茅帽子山も「リュウガタキ」を基点として、懸崖の奥にある山を、宇佐側から眺めた山名と思われる。


●竜ケタキ(リュウガタキ) 
 

 「龍が岳は昔仙人が龍頭観音を頂上にまつり修行した地と伝えられており、仙人が起居していたという洞穴が今も残っている」(『山口県の文化財HP』)。

 

宇佐の東側から見たリュウガタキ 2007/5/26

 


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カシミールデータ

タカサゴユリ

総沿面距離17.7km
標高差881m

区間沿面距離
常国
↓ 5.9km
後冠
↓ 1.8km
寂地山
↓ 6.6km
竜ヶ岳観音入口
↓ 3.4km
常国
 

 
 
常国から見る鬼ヶ城山
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より