山歩き

千人立峠…オオエキ…大休ミ…雲月山
2009/4/18

土橋バス停…ハルニレ…ハタガ谷…千人立峠…千人立…かんな跡…アシハラ峠…オオエキ…オオシゲ谷…小谷…大休ミ…雲月山…土橋

■雲月山(ウツツキヤマ)911.8m:山県郡芸北町大字土橋字雲月山(点の記)(点名:うつづきやま:二等三角点) (北広島町)

土橋から見える遠見所山と千人立
千人立
ハンノキのある林道を進む
ヒノキ林と雑木林の間の山道
笹の覆う千人立峠
千人立のケヤマハンノキ
カラマツ林を下る
胸高径48cmのヤマハンノキ
雲月かんな跡のハンノキ
オオエキの林道からみえる高山
スギ林の林道を進む
金木山
最奥の民家の所まで下りる
オオシゲ谷落ち口
ハリギリの多い谷
岩を越えると水源の谷
大休ミ直下のスギ林
山焼きのあった遠見所山
赤いフキ
6:30 土橋バス停出発 晴れ 気温0度
 
シハイスミレ

6:40 ハルニレ
7:35 林道終点
8:25 千人立峠
9:05 千人立
10:05 アシハラ峠
11:40 オオシゲ谷入口
12:10 小谷入口 
13:50 大休ミ
14:10 雲月山
14:35 859P
14:45 牧場入口
15:15 土橋バス停


 土橋のカラマツが葉を出し始めていた。朝の日が入る田んぼを通り、ハルニレの所に寄った。ハルニレは花が終わったあとだった。ハシバミの小さい赤い花が咲いていた。ハタガ谷の右岸の道を上がる。クロモジが多い。アセビが白い花を付ける。ハンノキが道沿いにあった。

  林道終点で山道が分かれる。右のヒノキ林を進むと山道が無くなるが、先のテープのところに進むと、掘り下げた山道があった。地形図にある道はまだ残っていた。山道はハタガ谷右岸のヒノキ林とコナラ、ミズナラの広葉樹の境界を上がって行く。タムシバが咲く。

 山道が分かれる。右の笹道を進む。目立つヤマザクラがあった。ハタガ谷の水源に入ると石の谷となる。オオカメノキが咲き始めていた。ナガバモミジイチゴの棘が覆う谷を進む。大岩を通り、倒れたススキの覆う千人立峠に到着。

花が終わったハルニレ
土橋のカラマツ

 峠に石積があり、「千人立を圣て雲月山へ」の道標がある。笹を分けて県境尾根を進むと土塁が現われる。このあたりも牧草地であったのだろうか。花咲くクロモジが多い。土塁の上を進むとヤマハンノキがあった。カラマツが一斉に葉を出している。ピークへ近づくと高杉山、天狗石山が見えてくる。

 千人立の南側はススキ原となっている。ピークには十数本のヤマハンノキがあった。出始めた葉裏を見ると毛が多い。ケヤマハンノキかもしれない。ピークから西北のカラマツの小尾根を進む。東側の小谷を見るとハンノキ林であった。谷全体がハンノキで埋まっている。緑化事業で植えられたものだろうか。落葉を見るとケヤマハンノキのようであった。一番大きいものは胸高直径48cm。一般的な広葉樹の生長速度が45cmで120年と言う。成長の早いハンノキだから、100年ほどの木であろうか。

 ハンノキの谷を下り、堰堤を越えて林道に出た。林道の下の谷もヤマハンノキが続いていた。ハンノキの林道を進む。林道上にたくさんのヤマハンノキの雌花が落ちている。ほどなく「雲月かんな跡」。加計の隅屋もここで鉄を取っていたと言う。かんな跡は若いハンノキ林となっている。

オオカメノキ
ワサビ

 かんな跡のすぐ先を52号線が島根の旭町に下りている。ヤシャブシが葉を出している。車道を進みアシハラ峠に出た。東から上がるヨシハラ谷の水源の峠である。林道がオオエキの谷を降りていた。ヒノキ林の林道を下った。ヤシャブシがあった。谷沿いにハンノキがある。展望地から金木山が見える。ミズキが花芽を出していた。

 大分下った所で、キハダ、ケヤキが現われる。ヤマハンノキの下を水量多いオオエキの谷が流れる。コタチツボスミレが咲く。ニワトコの太い木があった。一番奥の民家の所に出た。民家前の水田では田起こし作業が始まっていた。畦道をオオシゲ谷の入口に進んだ。川口の上・下流は水田跡が残っている。川口に大きいハリギリがあった。

 オオシゲ谷に少し入ってみた。ワサビの花が咲いていた。林の下に石垣が残っている。この谷の入口付近にキハダは無かった。引き返して、左岸に水田跡のあるオオエキの谷を進み、スギ林の中の南へ上がる谷へ入る。大きいハリギリの多い谷であった。谷沿いのチドリノキが葉を出す。

ショウジョウバカマ
ウグイスカグラ

 大分上がった所で林道が横切る。右岸の開き道を上がる。大岩を越えると水源の谷となる。ヒノキ林を進む。ヒノキ林を抜け、笹谷を上がるとスギ林になる。スギ林の端に高さ10m、胸高径30cmほどの、幹が縦に深く割れ、上に花を付けている木があった。ハリギリかと思ったが、幹の途中から出ている葉を見るとニワトコのようであった。それにしても大きいニワトコであった。

 スギ林を抜けて大休ミに出た。雲月峠西の遠見所山は山焼きされていた。ミツバツチグリがたくさん咲いている。山頂北のカラマツ林は一斉に葉を出す。登山道に小さいヤシャブシがあった。今日は見通しがよく、土橋の先に高杉山、天狗石山、三ツ石へ続く峯が見え、高山の先に三瓶山、その左に大江高山が見える。雲月山から中の谷が通る牧場入口へ下った。

ヤマハンノキ
ハナダイコン
タムシバ



地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。
 

●千人立(センニンタチ)
 chiseni-ta-us-i
 チセニ・タ・ウシ・イ
 家材を・切る・いつも切る・所

 sem-ni-ta-us-i
 セム・ニ・タ・ウシ・イ
 小屋・材を・切る・いつも切る・所

 chiseni-ta-us-i → seni-ta-chi の転訛。
 sem-ni-ta-us-i → sen-ni-ta-chi の転訛。

 千人立の北側にハンノキ林があるが、ハンノキを食草とするミドリシジミが土橋に居るようだ。

 「ミドリシジミが姿を見せ始めたのはやはり16時半頃からでした。第3湿地西寄りにあるハンノキがまず第一演舞場」「ミドリシジミ生息概況等 第3湿地から第4湿地のハンノキに産卵」(『大きなニレと野生のものたち』ツチハシの自然誌)。

 雲月山、高山、千人立は名の付いている山として古くから呼ばれていたようだ(「西中国山地」)。太いハンノキがあることから、植林されたのでなく、昔からハンノキの多い山であったと思われる。

 以下のアイヌ語地名がある。
 chiseni-kar-us-i チセニカルシ 「家材を取る所」の意
 (『北海道蝦夷語地名解』永田方正)。

 sokoni-ta-us-i ソコニタウシ 「ニワトコ採取よくする所」
 (『アイヌ語地名研究2』アイヌ語地名研究会)

 「建てる 祖先の時代のチセづくり 部材一覧」(財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構HP)によると、チセ建築に伴う部材一覧と木材集計は下記のようになっている。

チセ部材の木材集計と材料木名
  部材名 材料名 数量 備考
※木材
集計
径12〜15cm(桁梁用) はんのき 7 凡例
※炉・炉棚・付属施設は別
※サイズは最大値。単位(cm)
※端材で流用可能な材は集計に含めず
径6〜8cm(垂木・三脚・棟木用) はんのき 55
径3〜5cm(サクマ用) あおだも 193
径15〜17cm股木(柱用) みずなら 25
径10〜12cm(足場=茅支え用) 材不問 21
309
セム小屋の部材と材料木名
  部材名 数量 材料名
セム小屋1 1 はんのき
2 垂木 6 はんのき
3 屋根下地材(アウンサクマ) 5 あおだも
4 屋根茅押さえ材(ソユンサクマ) 5 あおだも


●雲月山(ウツツキヤマ)
 u-tu-tuk-i
 ウ・ツ・ツク・イ
 互いに・山が・出っ張っている・所

 u-tu-tuk-i → u-tu-tuki の転訛。

 雲月山の山名は『陰徳太平記』(1712年)に「宇津々木多和合戦」(「西中国山地」)とあるので「ウツツキ」と呼ぶのであろう。

 元々、雲月山は雲月峠の西のピークの呼称であったが、明治になって三角点がさらに西へ設置されたことにより、現在の位置にある。下の図は雨山から雲月山2kmの間の断面図である。「互いに出っ張っている」とは峯の山並みをことか、あるいは雲月峠の東西にある千人立と旧雲月山のことを言うのか。


 アイヌ語地名に以下がある。
 tu-tuk 岬・出っ張っている(「北海道の地名」) 
 poro-tu-tuk 大きな・山の・突出(「アイヌ語資料集成」)

雨山から雲月山の県境尾根の断面図

 

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カシミールデータ

ミツバツチグリ

総沿面距離13.0km
標高差375m

区間沿面距離
土橋バス停
↓ 3.1km
千人立
↓ 4.7km
オオシゲ谷入口
↓ 2.4km
雲月山
↓ 2.8km
土橋バス停
 

 

 
枝に花を付けた後の土橋のハルニレ
千人立北の小谷を埋めるヤマハンノキ
                     三ツ石山  天狗石山  オクビ山     高杉山   小マキ山     井屋山
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より