6:20 一ノ原出発 晴れ 気温5度
チャルメルソウ |
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7:10 瀬戸滝登山口
7:55 瀬戸滝上
8:45 右谷分岐
9:05 キジヤ原
9:50 三ツ岩
10:10 大ビラメノ滝
11:25 アライ川
11:35 ブツダンタキ
12:30 三ツ倉
13:20 瀬戸滝分岐
14:00 登山口
14:30 一ノ原
一ノ原のハルニレの花が咲いていた。高い方の枝に花があるが、低い枝には花が付いていない。同じニレ科のケヤキも花を付けている。クマシデがたくさんの花をぶら下げる。瀬戸滝登山口から遊歩道を上がる。
瀬戸滝に日が差していた。アライ川はめずらしく水が多い。アライ川入口の右岸の崖を4、5mほど登ると、瀬戸滝の上の滝つぼに出る踏み跡がある。滝の上段から見上げると木馬道の石垣が見える。
木馬道へ上がると、崩れているアライ川右岸からセト谷左岸へ道が続き、すぐにセト谷右岸へ道が渡っている。瀬戸滝の上を「大休ミ」と呼んでいる。スゲ類が花穂を付ける谷を進む。右岸に石垣が残る。エンレイソウが咲く。タガタノ谷落ち口下流のセト谷左岸の石垣は二段になっている。
タガタノ谷から上流のセト谷右岸の平坦地は笹に覆われているが、平坦地の真中辺りで上流側が高くなっている。右谷分岐の左岸の少し上辺りに石を敷いた水路のような跡があり、一方はセト谷左岸に延び、片方は右谷の左岸を少し入った所で終わっている。
右谷を進む。左岸にスギの大きい木が数本ある所がキジヤ原である。広い平坦地となっている。トチノキ、ケヤキのほかに大きいキハダがあった。キハダは周囲237cmの大きいものだった。左岸に石積の道が残る。右岸にも大きいキハダがあった。
キジヤ原の先に小谷のある平坦地がある。大きいケヤキがある。ここにも石積道がある。その道に釣竿が落ちていた。針に干からびたミミズが付いていたので、最近入渓したようだ。釣竿を木にぶら下げて進むと、今度はケースに入った釣竿が落ちていた。同じ釣り人が落としたようだ。同じ所に二本の釣竿を吊るしておいた。渓流釣りは、こんな奥まで入ると面白いものである。私もこの先の大ビラメの滝まで何度か釣りに入ったことがある。
釣り人さん 竿ここにあります。 |
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竿が落ちていた少し先の左岸で石積道は終点となる。道の終点の上流辺りを三ツ岩と呼んでいる。三ツ岩は谷中にある岩のことと思われるが、私はこの辺りの左岸にある岩壁のことと思っている。この辺りに石を何重にも重ねたような層のある岩がある。
三ツ岩の先で谷が狭まり、ゴルジュとなる。その先が大ビラメの滝である。崖の間に二段の低い滝がある。左岸の踏み跡を進み滝上に出た。そこから先、谷は平坦となる。ウシロヤマ谷と左の谷に分かれる。滝上の先の分岐付近の右岸に石積が残っている。この道は左の谷の右岸に続いている。木馬道が大ビラメの滝を越えて繋がっていたようにも考えられる。
ショウジョウバカマ |
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谷の分岐に降りる小尾根を東に登る。スギ林と広葉樹の尾根である。山々はタムシバの白が染まる。大きいブナがあった。周囲3.4mほど。そこからほどなく三ツ倉から下りる尾根に出た。この辺りの尾根は地形図に崖の記号があるが、間違いのようだ。崖は全く無い。この崖記号の所にブツダンダキがあるかも、と思って通ってみたのだが。笹の斜面を谷へ下りた。
谷を下り、アライ川水源の分岐に出た。北の小谷へ上がる。こちらは岩盤の谷となっている。崖の記号はこちらの谷に記すべきであった。谷に大きい杉が立っている。ここがブツダンタキである。谷の西側に、左右に大岩があり、右の岩が長い。
小谷を上がると笹原に出る。西側の尾根に進むと展望地に出た。タムシバの花の先に立岩山、日の平山、女鹿平山、冠山への展望がある。そこからほどなく伊藤四郎の遭難碑がある三ツ倉に出た。ミツバツツジが咲き始めた山道を下る。水場の谷の下をアナグマが下りていく。瀬戸滝への道を下り、木馬道から登山口へ出た。
ツノハシバミ |
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ミズキ |
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■地名考
日本の縄文語(日本列島共通語)が成立したのは、縄文時代後期であった。アイヌ語とは縄文時代中期の東日本縄文語を祖語とする言語で、アイヌ語系民族は、その言語を受け継いできた唯一の民族であった。
東日本縄文人が縄文中期に過疎地帯であった西日本へ拡散し、東日本文化が西日本各地に定着した。
(以上「試論・アイヌ語の祖語は東日本縄文語である」清水清次郎・アイヌ語地名研究3号・アイヌ語地名研究会発行・2000年 「和歌山県・高知県のアイヌ語系地名」前同・アイヌ語地名研究10号・同会発行・2007年から)
東日本縄文文化の影響を受けた人々が、この辺りで生活していたと仮定すると、西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われる。
また、アイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文時代後期を含む縄文遺跡が存在することを予見している。
吉和の市垣内遺跡、半坂遺跡、女鹿平4号遺跡から磨消縄文土器が出土している。
●三ツ岩(ミツイワ)
三ツ岩付近は大岩の多い所である。
三ツ岩付近の岩壁に褶曲による筋がある。
●大休ミ(オオヤスミ・瀬戸滝の上)
「ヤスミ」を含む地名が近辺にある。細見谷のオオリュウズの上の「休み場」(ヤスミバ)、立岩ダム東の小滝のあるタユウ谷の水源の「大休ミの丘」(オオヤスミノオカ)である。共通点は滝の上にあること。「深い崖ある激湍」とは瀬戸滝のことである。
「オオヤスミ」は元々「オオヤスミバ」と呼んでいたと思われる。supi-pa 「スピパ」の「パ」が省略された形である。
タユウ谷水源の滝上に出ると小川のある丘になっている。水が無い時、川跡だけが残るような所であった。
●三ツ倉(ミツクラ)
十方山に四つの「三ツ倉」がある。十方山東に奥三ツ倉、中三ツ倉、前三ツ倉のピークが続いている。
西中国山地の地形方言「クラ」は、 断崖、岩場、座、鞍などの意である(「西中国山地」巻末)。
四つの三ツ倉の共通点は岩のある山のピークであり、「座」の意に近い。ミツクラが縄文期からの呼び名であれば山のピークの意であろうか。
●ブツダンタキ
片山龍峯氏はアイヌ語の「プッ」が日本語の「クチ」に対応するとしている(以下『日本語とアイヌ語』から)。
アイヌ語 |
日本語 |
put(口) |
kuti(口) |
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kutu(口)くつわ |
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koto(言) |
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koto(事) |
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koto-ba(言葉) |
h(p) → k の音韻変化については『縄文語の発掘』(鈴木健)に詳しい(以下)。
アイヌ語 |
日本語 |
pis(浜) |
kisi(岸) |
pake(突端の崖) |
gake(崖) |
put |
kuchi kuti |
hapo(母)
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kaka(母)
haho(宮崎・鹿児島方言)
fafa(中世まで) |
hos(犬をけしかける声)
ホシ!ホシ! |
ケシカケ
ホシホシ(埼玉・伊豆・長崎・壱岐)
ホシッホシッ(島根美濃郡)
ホシカケル(山口県豊浦郡) |
●大ビラメノ滝(オオビラメノタキ)
●「滝」「タキ」について
「タキは岩壁、懸崖の意で、山頂の岩壁、山の中腹にある岩壁、渓谷の側壁、すべてタキと呼んでおり、水が落下している滝とは無関係な語意である」(「西中国山地」)。
アイヌ語小辞典(知里真志保)に以下がある。
tak 塊、球、玉石、川の中のごろた石
taksep 川の中のごろた石、川の中の大岩
tak-se-p 塊・の状をなす・もの
『樺太アイヌ語地名小辞典』(佐々木弘太郎)に以下がある。
カシミールデータ
ヤマエンゴサク |
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総沿面距離8.2km
標高差526m
区間沿面距離
一ノ原
↓ 1.7km
瀬戸滝上
↓ 1.9km
大ビラメのタキ
↓ 1.1km
三ツ倉
↓ 3.5km
一ノ原
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