山歩き

アザミゴヤ谷…トビ岩…丸瀬山…三ツ石山
2009/4/5

早水川口…小丸瀬…巨石(トビ岩)…丸瀬山…トビ岩探し…同形山北…1090P…早水越…三ツ石山…論中…マブ…旭テングストン…早水川口

■丸瀬山(マルセヤマ)1021m:島根県邑智郡瑞穂町大字市木字薊木屋(点の記:986m三角点) 邑南町
■三ツ石山(ミツイシヤマ)1191.8m:島根県那賀郡旭町大字市木字畑平(点の記・三石山) 浜田市

早水川入口
アザミゴヤ谷入口の集落
アザミゴヤ谷左岸を上がる道
看板のある分岐 左岸を上がる
間伐林が埋まる右岸
下の滝
上の小滝
炭焼跡
小丸瀬
一つ目の巨岩
ブナのある二つ目の巨岩
丸瀬山
ブナ林のスキー場を上がる
1090ピークに上がるスキー場
早水越
三ツ石山
三ツ石山西の大岩
天狗石山
雪の残るヒノキ林を横切る
ゲレンデに抜ける
マプとカラスギ山
長い最後の下り
6:25 早水川入口出発 晴れ 気温4度
 
オトメスミレ

9:45 小丸瀬
10:20 巨石(トビ岩)
10:35 丸瀬山
11:30 トビ岩探し
12:00 ゲレンデ
12:40 同形山北
13:15 1090P
13:30 早水越
14:15 三ツ石山
14:30 1145P
15:15 論中
16:00 マブ
16:30 旭テングストン
17:15 早水川入口
 

 ウオキリ橋を渡ると、道は右に折れてスキー場に上がる。早水川の入口を出発。早水川左岸を上がると、すぐに橋を渡る。林道が早水川左岸に上がっている。アザミゴヤ谷入口の集落に向って道が上がる。アザミゴヤ谷左岸に道があった。

 スギ林の道を上がって行くと、切り開き道に変わる。左岸の山道を進む。シロダモの冬芽が伸びている。ケヤキ、ミズナラの大きい木がある。落葉にケヤキが多い。ミヤマカタバミはまだ蕾。石谷造林地の看板がある。山道はここで分岐するが、左岸の切り開き道を上がる。エンレイソウが花を付けていた。山道は635ピークの東辺りで終点。

エンレイソウ
ミヤマカタバミ

 右岸に渡り、間伐倒木の多い斜面を上がる。滝は右岸を巻く。杉の倒木の間に山道がある。小滝を越えて左岸に渡ると炭焼跡があった。左岸を上がる。大きいカラスザンショウがあった。もう一つ炭焼跡があった。そこから雪の残る小丸瀬の尾根を登った。アセビが多いが花は咲いていない。イヌツゲがある。3時間ほどで小丸瀬。林で展望はない。山頂のアセビが咲いていた。

 薮を避けて東へ回り込んで鞍部へ出た。雪の尾根を進むと巨岩があった。そこから少し進むともう一つ巨岩があり、そこに大きいブナがあった。幹周囲4mの久々に見る大きいブナであった。ブナのところで少し休んで丸瀬山の登山道に出た。ミズナラにクマ棚が残る。そこからほどなく山頂。

 山頂から南面へ進み「二個並んだ巨岩」を探した。200mほどジグザグに下ったが巨岩はなかった。山頂の東面、西面も探したが無かった。丸瀬山周辺で巨岩があったのは北面にあった二つの巨石であった。

 「丸瀬山は島根県側ではよく知られた山である。初見は『石見風土記』(736年・天平8年)にさかのぼる。観音寺原の村人は、1021m峰を大丸瀬、その北西尾根上の937m独標を小丸瀬と呼んでいる。…大丸瀬山頂の南面にトビ岩という二個並んだ巨岩がある」(「西中国山地」桑原良敏)。

ニワトコ

 登山道を下った。林間からスキー場が見える。30分ほどでゲレンデに出た。雪の残るゲレンデを上がった。振り返ると丸瀬山が見える。スキーコースの林はブナ林である。スキー場ができる前はブナの山であった。日の当たる雪道は眩しく暑い。ゲレンデを40分ほど上がり、同形山手前でブナの残る林に入った。テープが続く尾根は緩やかに下る。

 30分ほどで1090ピーク。北面がスキー場である。植林地とブナのある道を進む。15分で早水越。大きい杉がかたまってあり、開けたヤブ林となっている。雪の残る登山道を登る。早水越から40分ほどで三ツ石山。平岩の上に二つ石が置いてある。そこに腰掛けて休憩。

 三ツ石山から登山道を100mほど進むと、大岩が幾つかある。平坦なスギ林を通り、1145ピークを過ぎると展望地に出て、天狗石山が正面に見える。東を見ると阿佐山から毛無山の尾根が続く。少し下って、電線が通る道を進むと西へ降りて行く。尾根を少し上がると林道に出た。石碑を過ぎると林道はUターンする。

ヤマザクラ
スキー場のブナ林

 林道から雪の多いヒノキ林を進む。ヒノキ林を抜けると潅木のある雑木林となる。三ツ石山の西へ上がる小谷の「論中」付近は、岩の多い潅木帯であった。30分ほどでゲレンデに抜けた。ブナ林のゲレンデを下った。ゲレンデから丸瀬山が見える。丸瀬山は緑の植林地だが、丸瀬山とゲレンデの間はブナ林がピンクに染まっていた。

 旭テングストンはブナ森を伐採して開発したスキー場であった。スキーコースはマブへ降りていた。その先がカラスギ山である。削られた山は昔どんな様子であったのか見当もつかない。長い単調なゲレンデ斜面を下り、車道に出た。車道を下っていくと「垰の釈(エキ)入口」「中の釈」「大汲み山」「野戸路(ノトロ)」「東ヶ谷」などと書かれた標柱が続いていた。ヤマザクラの咲く道を50分ほどで早水川入口に帰着。

シロダモ
ツノハシバミ


地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)が成立したのは、縄文時代後期であった。アイヌ語とは縄文時代中期の東日本縄文語を祖語とする言語で、アイヌ語系民族は、その言語を受け継いできた唯一の民族であった。

 東日本縄文人が縄文中期に過疎地帯であった西日本へ拡散し、東日本文化が西日本各地に定着した。

 (以上「試論・アイヌ語の祖語は東日本縄文語である」清水清次郎・アイヌ語地名研究3号・アイヌ語地名研究会発行・2000年 「和歌山県・高知県のアイヌ語系地名」前同・アイヌ語地名研究10号・同会発行・2007年から)

 東日本縄文文化の影響を受けた人々が、この辺りで生活していたと仮定すると、西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われる。
 また、アイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文時代後期を含む縄文遺跡が存在することを予見している。
 
 周辺には米屋山遺跡、今佐屋山遺跡、堀田上遺跡 、郷路橋遺跡などの縄文遺跡がある。


●アザミゴヤ谷
 atsam-ko-yan-pet
 アッサム・コ・ヤン・ペッ
 阿佐山・に向かって・上がる・川

 阿佐山山塊北の同形山は丸瀬山とも阿佐山とも呼ばれていた。「アサヤマ」はアイヌ語の「アッサム」(オヒョウニレの傍)の意である。現在、猪子谷川の水源とタテバシリ、カタラ谷、ツチダキ谷にオヒョウが残っている。この辺りはスキー場であるため、山の様相が一変した。

●トビ岩(トビイワ)
 topeni-us-iwa
 トペニ・ウシ・イワ
 イタヤカエデ・群生する・山

 丸瀬山東面はスキー場となったが、アカイタヤが多い。トビ岩は丸瀬山北東の展望の良い986ピークのことでなく、丸瀬山北150mほどの所の巨石と思われる。アイヌ語ではこの岩のことでなく、アカイタヤの多い山全体を指している。アイヌ語の「イワ」は山の意で使われることが多い。トビ岩とは「イタヤカエデ山」の意である。

 「阿佐山の島根県側、瑞穂町内山頂部に残存するブナ林である。林冠を構成するブナは、時として林冠が破壊されて、オオイタヤメイゲツ、アカイタヤ、ミズナラ、コシアブラ、トチノキ、などの他種を混生することがある」(「阿佐山のブナ林」第5回特定植物群落調査)。

●丸瀬山(マルセヤマ)
 parse
 パルセ
 木の葉舞う(山)

 parse → maruse の転訛。

 観音寺原に丸瀬橋がある。丸瀬山は観音寺原の呼称である。

 ba(pa) → ma の音韻変化(逆も)は多い。

 万 ban(pan) man
 末裔 batuei(patuei) matuei
 末男 batunan(patunan) matunan
 末席 basseki(passeki) masseki

 par に関係するアイヌ語に以下がある。
 
 par 裾などが翻るさま
 par-se 翻る
 paru あおぐ・払う・飛散させる
 (『日本語とアイヌ語』片山龍峯)

 parse 宙を舞う・飛び散る・木の葉が舞う
 (『萱野茂のアイヌ語辞典』)

 kike-parse-inaw
 削り掛けが・ばらばらに垂れた・幣
 (『知里真志保著作集』)

 丸瀬山は石見風土記(736年)にさかのぼる古い地名だが、それより少し古い『古事記』に「屎麻理(くそまり)散らしき」とある。

 古語の「まる(まり)」(古事記)は、「大小便をする」の意だが、子どもの頃、小便することを「小便をばる」と言っていた記憶がある。広島方言かもしれないが、「まる」の転訛であるかもしれない。「オマル」は「まる」のことである。
 アイヌ語の「paru」(飛散させる)は、「maru」と共通性があるようにみえる。

 まる(放る) maru baru(paru) hiru(piru)

 アイヌ語の「parse」は、分解すると「par-se」で、「(木から葉が)パラパラ落ちる・の状態をなす」意である。

 『アイヌ語小辞典』 taksep 川の中の大岩
 tak-se-p タク・セ・プ 塊・の状をなす・もの(大岩)

 わが屋戸(やど)に黄変つ(もみつ)蝦手(かえるで)見る毎に  妹(いも)に懸けつつ恋ひぬ日は無し

 『万葉集』大伴田村大嬢の詠んだ歌だが、黄色のカエデ(カエル手)はイタヤカエデのことと思われる。丸瀬山はかつて「ブナ、カエデ、ナラの鬱蒼たる古代林」であった。縄文期、秋風に黄葉の舞う山であったのであろうか。

●三ツ石山(ミツイシヤマ)とキナイ原

 「三ツ石山の山名は広島県側の古い地誌には記されていない。島根県側では有名な山であったようだ。『岩見外記』(1820年・文政3年)に

 『此山ハ絶頂ニ大ナル岩三ツアルヲ以テ三石山ノ称アリサテ山上ニハ大ナル池アリテ鈩葭生シソノアタリ四時トモニ消ル事ナキ雪のアルハ其山の高大ナル知ルヘシ』」

とあり、…」(「西中国山地」)。

 『市木村誌』(明治9年)に「頂上に三個の石あり、其安芸に傾斜する方にあるもの最も大、他の二石は各々これになかばす」、『那賀郡誌』(大正期)に「絶頂に方二尺の石があって三つに裂開している」とあるが、『石見外記』が元になっていると思われる。

 この山の周辺には「大ナル岩」は無いようだ。桑原氏は1145ピーク辺りまで探しているが、それらしき大岩は無かった。三ツ石山は「石のある山」の意ではなく、別のことを表す山であると思われる。仮に岩を意味するとすれば、山頂西の大岩のことではないか。アイヌ語では以下の意が考えられる。

★ミツイシ
 nit-us-i
 ニッ・ウシ・イ
 筋・ある・もの(岩)

 山頂西の大岩のこと。

 nit-us-i → nitu-ishi の転訛。

★ミツイシ
 ni-tum-us-i
 ニ・ツム・ウシ・イ
 林・の中・にある・もの(山)
★キナイハラ(木無原)
 kenas-hur
 ケナシ・フル
 林・丘

 ni-tum-us → ni-tu-ishi の転訛。
 kenasi-hur → kena-i-hara

 「ミツイシ」を林とすると、「キナイハラ」はアイヌ語の「ケナシ」の転訛と思われる。毛無山も同様である。この辺りに鬱蒼とした原生林があった時代の呼び名である。

  「三ツ石山の山嶺より東にそいて十数町歩にわたり、うつ蒼たる古代林なり、ブナ、カエデ、ナラの老樹にして、樹幹数人の手を連ねて抱くたるもの珍しからず」(『市木村誌』(明治9年)「西中国山地」)。

★ミツイシ
 ni-tuye-us-i
 ニ・ツィエ・ウシ・イ
 木を・切る・いつも切る・所(山)
★キナイハラ
 kina-us-i-huru
 キナ・ウシ・イ・フル
 草・群生する・所の・丘

 ni-tuye-us → ni-tu-ishi の転訛。
 kina-i-huru → kina-i-hara の転訛。

 『岩見外記』に「鈩葭生シ」とあるので、サルトリイバラやアシの群生する山であったようだ。それはこの辺りで、木を伐採し付けていた山であったと思われる。縄文期、木を取る山であったのかもしれない。

●論中(ロウチュウ)
 ironne-chiw
 イロンネ・チゥ
 草深い・急流(沢)

●論中
 oro-wen-chiw
 オロ・ウェン・チゥ
 その中・悪い・急流(沢)

 論中付近は岩の潅木帯である。

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カシミールデータ

スミレサイシン

総沿面距離20.0km
標高差867m

区間沿面距離
早水川入口
↓ 4.6km
丸瀬山
↓ 1.4km(トビ岩探し)
丸瀬山
↓ 2.0km
同形山南
↓ 3.1km
三ツ石山
↓ 8.9km
早水川入口
 

 

 
巨石の横にある周囲4mのブナ 丸瀬山北面  ここがトビ岩の一つと思われる
阿佐山から毛無山へ延びる尾根
丸瀬山と旭テングストンスキー場の間のブナ林
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より