山歩き

悪谷…生山峠…羅漢山…ヒナタゴヤ峠
2009/3/28

アクタニ入口…悪谷林道…越ヶ原…境ヶ峠…生山峠…羅漢山…仏岩…ヘカ岩…オオカミジョウ…タヌキジョウ…キツネジョウ…ヒナタゴヤ峠…板押峠…中道橋…出合橋…R186…悪谷入口

■羅漢山(ラカンザン)1109.1m:山口県玖珂郡錦町大字大原字羅漢山(点の記 点名:羅漢山) 岩国市

コウヤミズキの咲く悪谷入口
手前が悪谷の滝 上が「三国横え」から落ちる小谷
比丘尼ヶ渕に落ちる左岸の小谷
津和野街道の新しい橋
工事中の中国自然歩道
越ヶ原
三島橋
板押峠
境ヶ峠(生山峠)
羅漢山レーダー
生山峠の観音様が祀られたホコラ
木の階段が上がる登山道
羅漢山レーダー
スキー場の岩
羅漢石・仏岩・ぢねん石
潅木多いヘカ岩・八畳の間
分岐の道標
オオカミジョウ
キツネジョウから見たタヌキジョウ
ヒナタゴヤ峠
石垣の残る植林地
梅の咲く廃屋 板押橋西
岩だらけの山の斜面 板押峠南
三島の河内神社
ダンコウバイ
小瀬川のコウヤミズキ
6:25 悪谷入口出発 曇り後晴れ
 
タチツボスミレ

7:30 比丘尼ヶ渕
8:10 越ヶ原
9:20 境ヶ峠
9:50 生山峠
10:25 羅漢山
11:05 仏岩
11:45 オオカミジョウ
12:40 キツネジョウ
13:00 ヒナタゴヤ峠
13:40 板押峠
14:55 中道橋
15:30 出合橋
16:20 悪谷入口


 悪谷付近を出発。悪谷下橋の東側は悪谷バス停となっている。浅い悪谷の入口にコウヤミズキの黄色い花が咲く。谷沿いはコウヤミズキ、ダンコウバイ、クロモジ、キブシ、ヤブツバキの花が咲く。目立たないヒサカキの花も咲く。日の当たる道にはスミレ。伐採地の斜面にミツマタが群生していた。

 中国電力栗栖川発電所の水路橋を過ぎた先は滝となっている。滝の下に右岸から小谷が降りている。小谷の上部は津和野街道の「三国横え」付近である。「ミクニヨコエ」はこの小谷のことではないだろうか。悪谷はこの滝付近からゴルジュとなり、上流が比丘尼ヶ渕(ビクニガフチ)である。

 比丘尼ヶ渕に左岸から小谷が降りている。比丘尼ヶ渕は「芸藩通志」絵図・栗栖村(1819年)では「比丘尼渕」となっている。悪谷林道を進む。左岸の小住造林地を過ぎると津和野街道史跡。悪谷に新しい木橋が架かっていた。

クロモジ
コウヤミズキ

 林道を進み、分岐を中国自然歩道に入る。歩道の工事が進められている。植林地の道を進み、峠を越えると越ヶ原の広い平坦地に出る。クリの木にクマ棚があった。越ヶ原で道が分かれるが、道標に従い中道へ進む。中道の車道に出ると、道標は南へ生山峠とあるが、北へ進む。

 中道バス停を通り、三島橋を渡り車道を進む。ツノハシバミが花をぶら下げる。トリゴヤノ谷を過ぎると板押峠。峠の東面は伐採され、峠は分譲地となっていた。車道を進み別荘地を過ぎると、山口県境の境ヶ峠だが、「生山峠」の説明板があった。

 国土地理院の地形図では、境ヶ峠の所が生山峠となっているが、これは間違い。桑原良敏の「西中国山地」(昭和57年発行)にこの間違いが指摘されている。『防長風土注進案』(1841年)には次のように記されている。

 「芸石の往来は東芸州中道村境(境ケ峠)に榜木有、榜木より上り六丁許りにて西に折曲り下り坂二十丁許、是を生山峠(ナマヤマタオ)と唱う」(「西中国山地」)。

 羅漢山のすぐ北の最高点が生山峠である。

 「生山峠は芸石往還の最高所にあたり、略図に記した位置である。歴史的に見ても重要な峠なので早急に訂正すべきであろう」(「西中国山地」)。

 桑原氏の指摘から27年が経過したが、未だに訂正されていない。「生山峠」で検索すると、境ヶ峠を生山峠としているホームページがほとんどである。

キブシ

 植林地の119号線を進む。前方に羅漢山のレーダーサイトが見える。20分ほどで生山峠。峠の東が登山口。峠には石の上に観音様を祀るホコラがあった。峠は等高線で見ると960m標高の上にあるようだ。

 登山道を上がるとNTTの羅漢無線中継所がある。手前の植林地の間を木の階段が続いている。霜柱が立っている。20分ほどでレーダーサイトに出た。山頂に磁石岩があり、磁石を近づけると吸い寄せられる。小五郎山、茅帽子山、寂地山、冠山の山並みは曇り空で霞む。

 「羅漢山という山名については『防長地下上申』(1749年)の秋掛の項

 羅漢山と申は、ぢねん石ノらかん御座候故、山ノ名をも右之通申候

とあり、この山の南面サギノクチ川の水源にある羅漢石(仏岩ともいう)に因んで付けられたことが記されている」(「西中国山地」)。

ヒサカキ

 遊歩道を南へ下る。大岩の所を通り、奇岩のあるスキー場を横切り、テニスコートに出た。フキノトウが群生する。テニスコートの東に新しく林道が開かれていた。スギ林の中にあった仏岩は、すぐ下を林道が通る。「羅漢石」「仏岩」の古名は「ぢねん石」と言う。

 林道を150mほど進むとヘカ岩がある。倒れ掛かった「八畳の間」の立て札が残っている。元々庇状の岩であったが、崩れてしまった。岩の周りは潅木が多い。日向にスミレが咲いていた。

 林道を進むとすぐに終点。植林地の山道を進む。羅漢山造林地の新しい看板があった。「憩いの広場」の道標があった。前に通った時は道標などはなかったので、この3年の内に立てられたものであろう。羅漢山への分岐に出ると、ここにも新しい道標があった。「羅漢山山頂−日南木屋峠」「日南木屋峠(男岩すぐそこ)−憩いの広場」の二本が立っていた。

 東へ進むと、南面は伐採されていた。そのためか北へ倒れた木が山道を塞ぐ。程なくオオカミジョウ、男岩とも呼ぶ。「狼城」の立て札に「芸藩、書出帳による」と手書きの字があった。岩上に上がると羅漢山のレーダーが頭上に見える。岩崖を下りてみると、岩の間に狼の棲みそうな穴が多くあった。

シキミ

 県境尾根を進む。所々、石の仏様が鎮座する。30分ほどで赤石山、その先にタヌキジョウがある。オオカミジョウと同じ岩である。小谷を隔てて東にあるのがキツネジョウである。

 「羅漢山のかんらん岩は広島型花崗岩による熱変性作用を受け、硬化して熱変性かんらん岩となっていますが、源岩は蛇紋岩です。羅漢山の東斜面にみられる狐城は、これらの岩石からできている奇岩峰です」(「広島の地質をめぐって」)。

 キツネジョウの東側斜面にも大岩があった。そこからヒナタゴヤ峠に下った。峠に「町道根木の骨線」とある。植林地が間伐され、林中は明るくなっている。植林地の中に石垣が残っている。中道川の水源は広い平坦地であった。下っていくと生山峠への道標があった。

 板押橋を渡ると梅の咲く茅葺の廃屋がある。カンメウノ谷へ上がる小谷を上がった。「中国自然歩道 38.4km」と書かれた標柱がある。板押峠に出ると、西面の斜面に岩がごろごろとあった。上の造成地から岩を落とした跡であった。

 引き返して中道へ下った。左岸に河内神社がある。注連縄に新しい紙の幣が下げてあった。左岸の岩山が目立つ。1時間余りで出合橋に出た。小瀬川沿いはコウヤミズキの花がたくさん咲いていた。 

サンシュユ
フウロケマン


地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)が成立したのは、縄文時代後期であった。アイヌ語とは縄文時代中期の東日本縄文語を祖語とする言語で、アイヌ語系民族は、その言語を受け継いできた唯一の民族であった。

 東日本縄文人が縄文中期に過疎地帯であった西日本へ拡散し、東日本文化が西日本各地に定着した。

 (以上「試論・アイヌ語の祖語は東日本縄文語である」清水清次郎・アイヌ語地名研究3号・アイヌ語地名研究会発行・2000年 「和歌山県・高知県のアイヌ語系地名」前同・アイヌ語地名研究10号・同会発行・2007年から)

 東日本縄文文化の影響を受けた人々が、この辺りで生活していたと仮定すると、西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われる。
 また、アイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文時代後期を含む縄文遺跡が存在することを予見している。
 
 「広島県北西端の冠山周辺にも、縄文時代遺跡が分布する。先土器時代の石器石材原産地跡として知られている冠遺跡群からは、縄文前期初頭の九州系の轟式土器や瀬戸内系羽島下層式土器などが出土している」」(『中国山地の縄文文化』新泉社)。


●ぢねん石ノらかん(ジネンイシノラカン・羅漢石古名:1749年)
 

 羅漢山南にある羅漢石は仏岩とも呼ぶ。羅漢石は古名を「ぢねん石ノらかん」と呼んだことから、山名が羅漢山と呼ぶようになった。一つ一つの岩が脚のようにも見える。

 

●仏岩(ホトケイワ・古名:ぢねん石ノらかん)
 


●羅漢山(ラカンザン)と羅漢石
 




●生山峠と車前子ケ峠山
 (ナマヤマタオとオハコカタオヤマ)



 生山、生山峠、車前子ケ峠山は、羅漢山西の大原村の呼び名である。生山、車前子ケ峠山は羅漢山のことである。車前子ケ峠山は、「車前子ケ峠」があって、その峠の山の意と思われる。羅漢山周辺の峠はアンナキ峠、笹の折峠、道祖峠、ヒナタゴヤ峠、境ヶ峠、生山峠があるが、生山峠が羅漢山のすぐ北にあり、その他の峠は羅漢山から少し離れている。

 「車前子ケ峠」とは、羅漢山に最も近い生山峠のことではないかと思われる。それ故山名となった。「車前子」は、オオバコの当て字で「オハコカタオ」は「オバコカタオ」と呼んでいたのでないだろうか。藤原宮跡から発見された木簡(703年頃のもの)には「車前子」の文字が見られ、古くから「車前子」の字が使われていた。

 「夏鳥として全国の平地や丘陵、高原の明るい林、耕作地や海岸に近い林や低木の散在する高原などに渡来する。県内では平野部では渡りの途中以外はほとんど生息せず、寂地山や羅漢山、長野山、徳地町長者ケ原など県境の山地や秋吉台などでよく記録されている(カッコウ「レッドデータブックやまぐち」HP)。

 

 羅漢山は植林地の山であるが、東側に「クリ−ミズナラ群落」が残っている(「第2回植生調査」昭和54年)。元々、クリ、ナラ類の多い山であったと思われる。そこにチョウやガが集まり、毛虫や青虫を食べるカッコウが渡来したのであろう。

 「最近、羅漢山で採集され、分布上注目されるチョウとしてジョウザンミドリシジミ、エゾミドリシジミ、ヒメシジミ、ヒョウモンモドキが報告された。これらの種はいずれもここが本州における分布の西南限地である。食草、食樹の保護と共に生息環境の保全が望まれる」(「西中国山地」)。

 「国郡書出帳・中道村」(文政2年・1819年)の「獣之類」に狼、「鳥之類」に「時鳥」がある。「ホトトギス」と読むが、当時はカッコウ、ホトトギスを区別していなかったようだ。昔からカッコウが渡来する山であったのであろう。

 生山の元の名は、オハコカタオ山と同じようにナマヤマタオ山であったと思われる。生山でなく、「ナマヤマ」と呼ぶ地名であったのではないか。

●オオカミジョウ
 (狼城山「防長地下上申」・狼岩山「防長風土注進案」)


●タヌキジョウ
 

●キツネジョウ
 

 「ジョウという語は耳なれないが、この方言は西中国一帯でかなり広範囲に用いられており、東条操編『全国方言辞典』にも島根県鹿足郡地方の方言として採録されている。ジョウは『動物などの住んでいる洞穴』の意とある」(「西中国山地」)。

 アイヌ語の「so」は、岩、岩崖などを表す。

 

ビクニガフチに落ちる岩が黒い小谷

●三国横え(ミクニヨコエ)
 

●比丘尼ヶ渕(ビクニガフチ)
 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

カシミールデータ

ショウジョウバカマ

総沿面距離23.8km
標高差691m

区間沿面距離
悪谷入口
↓ 7.4km
境ヶ峠
↓ 2.6km
羅漢山
↓ 4.2km
ヒナタゴヤ峠
↓ 5.3km(板押峠経由)
中道橋
↓ 4.3km
悪谷入口
 

 

ぢねん石・羅漢石・仏岩
                           茅帽子山             寂地山                   冠山
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』25000」より