山歩き

月の子岩…床尾山…大箒山…オオホウキ谷
2009/3/15

長源寺下バス停…月の子岩…ヨコイワ谷…高岩倉山…床尾峠…床尾山…D…C…登山口…大箒山…オオホウキ谷…鞍部…登山口…林道…オオホウキ谷…林道…大箒林道…サイの峠…ホエ原峠…長源寺下バス停

■床尾山(トコオヤマ)990.6m:広島県山県郡加計町大字下殿賀字上山(点の記・上山) 安芸太田町
■大箒山(オオホウキヤマ)1013.3m:広島県山県郡戸河内町大字松原(点の記・大坊木) 安芸太田町

月の子岩入口
長源寺
水田のある道を進む
月の子岩
松舟の歌がある石のホコラ
スギ林と大岩のヨコイワ谷
岩の尾根
高岩倉山付近
床尾峠
床尾山
葉を残すブナ
ミズナラのクマ棚
大箒山
鞍部を通る鉄の道
登山口へ南から林道が入る
オオホウキ谷の岩壁
林道大箒線入口
高岩倉山
7:10 長源寺下バス停出発 晴れ 気温−1度
 
アテツマンサク

7:30 月の子岩
8:55 高岩倉山
9:30 床尾峠
10:00 床尾山
10:20 D
10:40 C
11:50 大箒山
12:20 大箒山北の鞍部
12:50 林道
14:05 林道
16:35 サイの峠
17:00 ホエ原峠 
17:10 長源寺下バス停

 長源寺下バス停を出発。「草尾雲海の地へ」の道標の反対側に「月の子岩へ」の道標がある。南西に市間山が見える。ヨコイワ谷左岸の道を上がる。長源寺を過ぎると、谷沿いに水田の石垣が続く。カシワの木が大きい枯葉をぶら下げたままである。

 廃屋を過ぎた林道の横に、「月の子岩」があった。入口に「月の子原の泉石」の掲示板があり、伝説の由来が書かれている。「月の子岩」は2m四方の岩で、二つの穴がある。大きいお椀をはめ込んだような形の穴である。上の穴が直径20cm、深さ20cm、下の穴がそれぞれ25cm、25cmである。

 「月の子岩」の横に、石のホコラがあり、松舟の歌が書かれている。


 『松落葉集』(1768年)に松舟の歌がある。

 月子石(つきのこいし) 

 松舟

 月影や二つは石のふところ子

 「(大意)月が月子石をてらし、その二つの穴にうつヽた二つの月はちょうど、ふところに入れて大切にかわいがっている子供のようにみえる」(広島大学HPより)。

 松舟は「月の子石」と呼んでいたようだ。

 「『芸藩通志』(1819年)にも『月兒石・加計村月兒原にあり、石に凹あり、平日、水を貯ふ。月夜は輪影、水に入て、石腹にあり、月子乃子の義にや』とある」(「西中国山地」)。

 月の子岩は、古くは、「月の子石」と呼ばれていたようだ。

月の子岩の由来の掲示板

 ヨコイワ谷左岸の林道を進む。林道は西へ上がっていく。林道途中からスギ林のヨコイワ谷へ入る。大岩の谷を越える。岩原に入ると、チャボガヤが群生する。尾根に出ると、ここも岩尾根であった。

 林道に出た。さらに岩尾根を登る。大岩が尾根を塞ぎ、左へ廻り込んで上部に出ると、そこから上の尾根には岩がなかった。この岩場を高岩倉山と呼ぶようだ。岩の極まで降りてみたが、林で展望はよくない。正教山とその後ろに天上山が見える。

 尾根を進み、イワクラ谷のスギ林の水源を横切り、床尾峠に出た。イワクラ谷を林道が上がっているようだが、床尾峠が終点である。峠から雑木林を上がると、大きなブナがあった。そこから少し進むと、床尾山西の展望地に出た。伐採された先に雪の深入山があった。手前にホワイトバレーのスキーコースが見える。

床尾峠東の大きいブナ

 展望地からほどなく床尾山。雪の上に三角点が見える。尾根筋はミズナラのクマ棚が多い。D峯から北へ進む。尾根上の大きいブナが紅葉のような、たくさんの枯葉を残したままであった。そこから少し先で、スギ林の倒木地帯となっている。幹の途中から折れたスギが続く。風をまともに受けるのであろうか、ちょうど東から谷が上がっている。

 C峯、956ピークを通り、その先に大きなブナがある。そこからB峯の西を広い山道が通っている。この山道は「鉄の道」、タタラ道だった。この道は戸河内松原から大箒山付近、床尾峠を通って加計の杉泊(すぎのとまり)へ通じていた。

葉を残す大きいブナ


 鉄の道はA峯の西の鞍部を通り、大箒山へ上がる道標の所に出た。薄雪の残る滑りやすい山道を登る。ほどなく山頂。林越に深入山が見える。少し休憩して北の鞍部へ下る。下り道、苅尾山と掛津山、一兵衛山、阿佐山塊の馬蹄形の山並みが見える。

 20分ほどで鞍部に出た。鉄の道はこの鞍部を通って松原へ降りている。植林地のオオホウキ谷の水源を下る。平坦地に出ると、雑木林となっている。ほどなく林道に出た。「大箒山登山口」の道標がある。東から林道が上がっている。谷に沿って林道を下るとすぐに終点。

 スギ林を下って谷へ降りた。下って行くと両側から岩の迫る深い谷に変わる。岩場にチャボガヤが多い。右岸のスギ林に道跡があった。上の林道から1時間ほどで谷を抜け、下の林道に出た。林道は北へ上がっていた。

アテツマンサク


 林道を南へ下る。山が煙っているのはスギ花粉の発散であった。「大箒登山道入口」まで降りた。ここから大箒林道を西へ進んでみた。マンサクが咲いている。オオ谷は小谷である。ウシロヌクイ谷は大きい堰堤が谷を塞ぐ。マツ林越にダム湖が見える。

 林道が北へ上がり始めたところで尾根に取り付いた。ちょうど尾根筋に測量の切開きがあり、それに沿って下った。ほどなく車道に出て、林道を上がる。林道が北へ入り始めたところで、コヌクイ谷の水源の山道に入る。そこから伐採地を通り、舗装路のサイの峠に出た。

 杉ノ泊の北を通る車道を進む。ホエ原峠にはコンクリートのアーチトンネルがある。峠を下ると右手に高岩倉山が見える。そこからほどなく出発点に帰着。

地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)が成立したのは、縄文時代後期であった。アイヌ語とは縄文時代中期の東日本縄文語を祖語とする言語で、アイヌ語系民族は、その言語を受け継いできた唯一の民族であった。

 東日本縄文人が縄文中期に過疎地帯であった西日本へ拡散し、東日本文化が西日本各地に定着した。

 (以上「試論・アイヌ語の祖語は東日本縄文語である」清水清次郎・アイヌ語地名研究3号・アイヌ語地名研究会発行・2000年 「和歌山県・高知県のアイヌ語系地名」前同・アイヌ語地名研究10号・同会発行・2007年から)

 東日本縄文文化の影響を受けた人々が、この辺りで生活していたと仮定すると、西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われる。
 また、アイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文時代後期を含む縄文遺跡が存在することを予見している。
 
 京之本遺跡は太田川と筒賀川が合流する上殿地区にある。

 「縄文土器の出土が注目される。押型文土器・無文土器・条痕文土器は縄文時代早期、磨消縄文は後期、深鉢は晩期と推定される」(「京之本遺跡」25P・戸河内町教育委員会・平成2年)。


●月の子岩・月の子石(ツキノコイワ・ツキノコイシ)
 tuki-ne-kot-us-iwa
 ツキ・ネ・コッ・ウシ・イワ
 酒椀・のような・窪み・付いている・岩

 tuki-ne-kot-us → tuki-no-ko-ishi の転訛。
 ツキネコッウシ     ツキノコイシ
 tuki-ne-kot-iwa → tuki-no-ko-iwa の転訛。
 ツキネコッイワ     ツキノコイワ

 ツキノコイワ、ツキノコイシと呼ばれていたようだ。
 アイヌ語地名に「ツキモイワ」がある。「酒椀のような小さい山」の意である。

●高岩倉山(タカイワクラヤマ)
 tu-ka-iwa-kura
 ト・カ・イワ・クラ
 峯・上の・岩・崖

 高岩倉山は岩のある山の意と思われる。この山のピークに岩はなく、小尾根の途中に大岩がある。西中国山地の「クラ」の地形方言は、断崖、岩場、座、鞍の意がある。

●オオホウキ谷
 ooho-ki-pet
 オオホ・キ・ペッ
 深い・茅・川

●オオホウキ谷
 koyka-ooho-ki-pet
 コイカ・オオホ・キ・ペッ
 東の・深い・茅・川(東のオオホウキ谷)

●オオボウキ谷
 koypok-ooho-ki-pet
 コイポク・オオホ・キ・ペッ
 西の・深い・茅・川(西のオオホウキ谷)

 オオホウキ谷は深い岩崖のある谷であるが、西のオオボウキ谷は小さい谷である。両方の谷が同じ呼名であったとすると、呼名の頭に東、西があったと思われる。その場合は「深い茅」の意であったのではないか。


●温井(ヌクイ)
 nu-us-kuy
 ヌ・ウシ・クイ
 たくさん・ある・マツグミ

●ウシロヌクイ谷
 asir-nukuy-pet
 アシリ・ヌクイ・ペッ
 新しい・温井谷

●コヌクイ谷
 husko-nukuy-pet
 フシコ・ヌクイ・ペッ
 古い・温井谷

 アイヌ語の kuy クイ には「グイマツ」「噛む」の意がある。最終氷期の2万年前には、グイマツは北海道から東北地方北部まで分布を広げていたが、北海道では8000年前頃、東北ではそれ以前に絶滅した。現在、樺太と千島列島、色丹島、東シベリアの広大な地域には、カラマツとごく近縁なグイマツが分布する。大阪の平野からグイマツの花粉化石が出ている。

 アカマツ、モミ、ツガなどに寄生するマツグミの方言に以下がある。マツグィビ(岡山)、マツグイメ(山口)、マツグユビ(広島)。

 ヤドリギ科のマツグミのアイヌ語はないが、ヤドリギは、ni-haru ニハル と呼ぶ。「木・弁当」「木・食べ物」の意がある。アイヌは実を食料にしていた。また、ヤドリギを細かく刻み、水に入れて腐敗させ、その中へ種を入れて蒔くと収穫をもたらすとされた。

 マツグミやヤドリギは昔から、とりもちとして使われた。

 西中国山地に「クイ」を含む地名に、板敷山西の「ヌタノグイメガマノ谷」、羅漢山南の「グイメガ峠」がある。アイヌ語の mekka メッカ は「尾根」のことだが、私が西中国山地でマツグミを見たのは、尾根にあるツガの木であった。


●オオエキ
 ooho-ekimne
 オオホ・エキムネ
 深い・山へ行く(沢)

●ホエ原峠(ホエハラタオ)
 ooho-ekimne-huru-taor
 オオホ・エキムネ・フル・タオル
 オオエキ・その丘の・峠

 ooho-ekimne-huru → ho-e-hara の転訛。

 杉ノ泊の最も西側の谷がオオエキである。オオエキの水源の峠がホエ原峠で、この辺りは平坦な丘になっている。

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カシミールデータ

アテツマンサク

総沿面距離19.3km
標高差560m

区間沿面距離
長源寺下バス停
↓ 4.0km
床尾山
↓ 3.7km
大箒山
↓ 3.0km
オオホウキ谷(下の林道)
↓ 6.0km
サイの峠
↓ 2.6km
長源寺下バス停
 

 

月の子岩 二つの穴がある
由来の掲示板 月の子岩 石のホコラ
深入山とホワイトバレー  床尾山西の伐採地から
鉄の道  B峯の西
苅尾山と掛津山、大佐山  大箒山から
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より