山歩き

樽床ダム…比尻山…狼岩山…狼岩
2009/2/28

樽床ダム…カジヤ谷(シジリ谷)…田形…畝畑…比尻山(聖山)…十文字キビレ…狼岩山…狼岩…十文字キビレ…樽床ダム

■比尻山(ヒジリヤマ)1113.2m:広島県山県郡戸河内町横川(点の記・三岩 ミイワ) 安芸太田町
■狼岩山(オオカミイワヤマ)1002.6m:広島県山県郡戸河内町横川(点の記・竜門) 安芸太田町

雪の車道
聖湖と苅尾山
カジヤ谷の橋
氷が張るカジヤ谷
コナラのクマ棚
谷のキハダ
谷を進む
アカマツ林の平坦地 田形付近
谷を進む
畝畑付近の平坦地
尾根のブナ
カラマツ林を進む
比尻山三角点付近
山頂の岩
春日山
十文字キビレ
十文字キビレのハンノキ
狼岩山三角点
狼岩
狼岩の裂け目
中ノ甲林道を下る
7:45 樽床ダム出発 晴れ 気温−2度
 
ハンノキの雌花

8:05 カジヤ谷
9:20 田形
10:30 畝畑
11:30 比尻山
12:10 中ノ甲林道
12:20 十文字キビレ
13:05 狼岩山
13:35 狼岩
14:00 十文字キビレ 
14:50 樽床ダム

 樽床ダムを渡ると、道に雪が残っている。湖面には、もう氷が張っていない。水鳥のいる静かな湖面の先に苅尾山がある。氷点下の雪道をザクザクと歩く。湖面に沿ってアカマツ、コナラの林が続く。

 カジヤ谷に架かる橋の手前から右岸に道が上がっている。カジヤ谷の右岸を進むと、水面の氷が残っていた。コナラにクマ棚がある。左岸にも道がある。ナシノキ原の先に小谷があり、道はその小谷に上がって行く。

 道と分かれて、823ピークをぐるりと回るカジヤ谷を進む。大きいキハダが二本並んで立っていた。チョウかガのまゆが雪の上に落ちていた。ブナに鋭いクマの爪痕が残る。

ブナの爪痕

 823ピークを回り込んだ所が田形と思われる。周辺はアカマツ林となっている。何故か、平坦地の真中が空き地になっており、そこだけ雪がなく、その周りをアカマツ林が囲っている。そこは湿地であった。

 気温が上がって来たせいか、時々、雪の落とし穴に落ちる。雪の無い谷を歩いたり、雪の堅そうな所へ進んだり、ジグザグに谷を進む。畝畑付近も小さい平坦地である。その辺りから谷を離れ、小尾根を登った。

 ミズメにクマの爪痕がある。イワガラミの枯れた花がアチコチに落ちている。振り返ると、林間から湖と苅尾山が見える。登山道に近づくにつれ、クリやミズナラのクマ棚が多くなる。カラマツ林の平坦地に出た。カラマツの実が落ちている。

ミズメの爪痕

 山頂はまだ雪で埋まっている。背丈ほどある笹は雪の下にある。山頂の西側に岩があり、「三つ子岩」がヒジリ山の古名である。その岩には十字の溝がある。

 「水没前の樽床に住んでいた古老の話によると、子供の頃はこの山を三つ岩と呼んでおり小学校の遠足の時、よく登っていたという。『戸河内森原家手鑑帳』(1715年・正徳5年)には、戸河内横川と八幡村樽床の村境の山として『三つ子岩然り木峯』の呼称がみられ、この山の山名として『三つ子岩』『三つ岩』が用いられていることがわかった。『樽床誌』(1970年)にも、『昔三つ岩と呼ばれていた』と記されており、その呼称の起こりについて、

 山頂に三つ岩が配置よく点在しており三武市(サンブイチ 樽床の伝説の巨人)が鍋を据えて飯を炊いた

 という伝承が紹介されている」(「西中国山地」桑原良敏)。

 以下、「戸河内町史」から引用する。

 「一、八幡原村境、横川分横谷頭より三つ子岩懸り木峯水走り限り、尻は横川分もちの木山の内きびね谷限り、向へ渡り小板ケ原分三つ瀧山は大松の尾限り次第にうへ、下城山上城山どうせい垰次第に尾限り(『戸河内森原家手鑑帳』・1715年)。

 八幡原村境のうち、三つ子岩は比尻山(聖山)であり、『懸り木』は横川の地名であるが、『もちの木垰懸り木道わかれより小板ヶ原の原道分れ迄一里拾弐町拾五間』という道路の説明を考慮すれば、懸り木峯とは狼岩山である可能性が高い。たま『きびね谷』は柴木川の上流・出合滝の西側の谷であることは間違いない。そして小板の方へ渡り尾根に沿って下城山(論山)をへて『どうせい垰』=道戦峠までが境である」(「戸河内町史」)。

 整理すると以下のようになる。

 比尻山=三つ子岩
 狼岩山=懸り木峯(然り木峯)
 貴船滝=きびね谷
 論山=下城山
 道戦峠=どうせい垰
 論山南西の山=三つ瀧山
 鷹の巣山=上城山

ハンノキの果実と雌花

 岩の上から春日山が見える。岩の上でしばらく休んで、十文字キビレへ下った。足跡に沿って下った。途中で登山道でないことが分かったが、そのまま足跡に従った。20分ほどで中ノ甲林道に出た。峠のハンノキが雌花をたくさんぶら下げていた。

 林道を少し南へ進み、イキイシ谷の水源を上がる。スギ、ヒノキの谷を上がると、アカマツの尾根に出る。そこからほどなく狼岩山。笹の中に三角点がある。眼下に樽床ダムと湖が見える。その先に苅尾山、大佐山、鷹ノ巣山がくっきりと浮かぶ。

 尾根を引き返す。尾根の西側を注視しながら進む。十文字キビレへ下りるピークまで来たが、狼岩はない。「この岩は、十文字峠と1002.6m峯(狼岩山)を結ぶ線上の中間点より、かなり北へ寄った地点にある」(「西中国山地」)。

 ピークから北側のピークへ少し進むと、左手に大岩が見えてきた。それが狼岩であった。真中で二つに裂けた大岩で、裂け目は深い穴が落ちている。岩の上に上がると、林越しに湖を見下ろす。高岳を見渡す位置にある。狼岩は十文字峠と狼岩山を結ぶ尾根のピークの北側にあった。

 植林地の尾根を十文字キビレに下った。中ノ甲林道の雪は、陰の所は残っているが、日当たりの所はもう無い。コナラに付いた黄色のまゆが落ちていた。ほどなく樽床ダムへ帰着。

カラマツの実

地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)が成立したのは、縄文時代後期であった。アイヌ語とは縄文時代中期の東日本縄文語を祖語とする言語で、アイヌ語系民族は、その言語を受け継いできた唯一の民族であった。

 東日本縄文人が縄文中期に過疎地帯であった西日本へ拡散し、東日本文化が西日本各地に定着した。

 (以上「試論・アイヌ語の祖語は東日本縄文語である」清水清次郎・アイヌ語地名研究3号・アイヌ語地名研究会発行・2000年 「和歌山県・高知県のアイヌ語系地名」前同・アイヌ語地名研究10号・同会発行・2007年から)

 東日本縄文文化の影響を受けた人々が、この辺りで生活していたと仮定すると、西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われる。
 また、アイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文時代後期を含む縄文遺跡が存在することを予見している。

 樽床遺跡群は、人工湖である聖湖に面した丘陵を中心に立地している。旧石器〜縄文時代を中心とする遺物が採集され、旧石器時代の遺物は、縦長剥片素材の基部加工ナイフ形石器、掻器や整った形態の縦長剥片が多数採集されており、石材は黒曜石、安山岩などだが、黒曜石の割合が高く、理化学分析では島根県隠岐産という分析結果が出ている。

 出土石器は後期旧石器時代後半期に位置づけられるものと思われ、隠岐からの距離は直線で約200kmあることや石器群の特徴が山陰・北陸地域と関連を持つことなどから、今後の調査・研究の進展が期待される。(「広島大学埋蔵文化調査室」)。

●比尻山(ヒジリヤマ・聖山)
 si-sir
 シ・シリ
 シジリ谷の山

●シジリ谷(カジヤ谷古名)
 si-sir-pet
 シ・シリ・ペッ
 大きい・山・川

 si-sir-pet
 シ・シリ・ペッ
 大きい・崖・川

 シジリ谷は検地帳(1601年)にある古い地名である。シシリ→シジリ→ヒジリ と変遷したようだ。現在の川口から上には大きい崖はないので、ダムに沈んでいる部分に崖があるのかもしれない。シジリ谷に崖がないのであれば「大きい山の川」の意である。

●カジヤ谷(シジリ谷別名)
 kasi-yam-us-nay
 カシ・ヤム・ウシ・ナイ
 その上・クリの実・群生する・川

 植生図(「第6回・第7回自然環境保全基礎調査 植生調査」・平成16年・18年)によると、カジヤ谷入口は「コナラ群落」、上流が「クリ−ミズナラ群集」、比尻山周辺が「ブナ−ミズナラ群落」となっている。縄文期も「クリ−ミズナラ群集」が存在していたと思われる。コナラ、ミズナラ、クリなどが多い谷である。

 アイヌ語地名に以下がある。
 kasi-yamni-us-i
 カシヤムニウシイ
 その上クリの木群生する所
 (「北海道の地名」山田秀三)


●三つ子岩(ミツコイワ・三つ子岩然り木峯・比尻山古名・1715年)  
 nit-kot-us-iwa
 ニッ・コッ・ウシ・イワ
 串・跡・付いている・岩

 「(イマニッは)北海道の海岸地方の方々に残る伝説である。創世文化神が、海岸で鯨の肉をイ・マ・ニッ(i-ma-nit それを・焼く・串)に刺し、火で焼いたら、たき火がパチンとはね、神様が驚いて尻餅をついた跡がオソル・コッ(尻・跡)として残り、焼き串の破片が飛んで岩になったのだという」(『北海道の地名』山田秀三)。

●三武市(サンブイチ)
 sampe-nit-us-i
 サンペ・ニッ・ウシ・イ
 心臓に・串・付いている・もの(岩)

 三武市が比尻山の岩のことなら、上記の意が考えられる。

●三武市+三つ子岩 
 sampe-nit-kot-us-iwa
 サンペ・ニッ・コッ・ウシ・イワ
 心臓に・串・跡・付いている・岩

 「三武市の一鍬掘り  大林川上流で取水をして上ヶ谷の裏を通り、駄原山を掘削して菅原部落に通じる用水路がある。この用水路は三武市の一鍬掘りと言い伝えられている。三武市は大男で強力無双な人物であった。樽床の三ツ岩より投げた大岩は、今は湖底となった臼渕(出が原沖)まで達したという。三武市の鍬は小板某家に伝承されているとか、飯入(メンツ)が樽床中倉屋に火災で焼失するまで保存伝承されたものである」(「八幡村史」)。

 「三武市(サンブイチ 樽床の伝説の巨人)が鍋を据えて飯を炊いた」のが、比尻山の山頂であるが、三武市もアイヌの文化神も巨人であり、飯を炊いたり、串を焼いたりと、情景が似ている。

 『八幡村史』で三武市が登場するのは、比尻山山頂と菅原部落に通じる用水路である。三武市は樽床に特有の巨人で、ほかの地域では見られない。「三武市」と「三つ子岩」は同じ内容の別の表現なのかもしれない。


 「熊を仕留めた時の儀式は興味深い。…解体した後、心臓を取り出し、『さんべん開く』と唱えて十字に切り開く。ここで初めて熊の魂は、山の神様のもとに昇っていくという」(「マタギの家系」HP asahi.com 青森 2009/1/8)。

 「山形県小国町の五味沢では、クマを捕獲した場所で送りの儀礼をおこなう。…ホナ(心臓)をアカフク(肺)と一緒に取り出し、唱え詞を唱えながらホナにキリハで十字の切れ目を深く入れる。これを『ホナワリ』と呼んでいる」(「日本ペンクラブ」HP「環境委員会」「カミと狩人の約束」)。

 アイヌのイヨマンテ(熊の霊送り)では、「内臓を取り出したら、楕円形状になった心臓をまず切り離し、タテ・ヨコ十字型に切れ目を入れて4つ割にし、これを平らになるように広げる(HP 「イヨマンテ報告書」)。

 マタギとアイヌの熊送りの儀式が似ているが、共通語も多い。三瓶山もアイヌ語やマタギ語の「サンペ」が語源なのかもしれない。アイヌ語からマタギ語が派生したのか、あるいは縄文語がマタギ語、アイヌ語に受け継がれたのか。

アイヌ語 マタギ語 日本語
seta セタ・シェタ セタ・シェタ・シェダ・セッタ・ヘダ
wakka ワッカ ワカ・ワッカ
sampe サンペ サンペ・ホヤ 心臓
pake パケ ハケ・ハッケ・ハッケィ・ハッキ
makir マキリ マギリ 小刀

 ヒジリ山山頂にある岩には十文字の溝がある。岩を心臓に見立てたことから「サンブイチ」の伝承となったのかもしれない。石の溝跡は鬼石山(廿日市)、鬼爪石の「nit」(ニッ)と同じ語源と思われる。

●懸り木峯(カカリキミネ・1715年・狼岩山)
 kut-kari-kimun-nay
 クッ・カリ・キムン・ナイ
 崖を・回る・山奥の・川(戸河内町史)

 懸り木峯、然り木峯は、餅ノ木から樽床ダムへ入る川の崖、川曲がり地形を表しており、山名でなく川名である。

●狼岩(オオカミイワ)
 onne-kamuy-iwa
 オンネ・カムイ・イワ
 大きい・神の・岩

 wose-kamuy-iwa
 ウォーセ・カムイ・イワ
 狼の・神の・岩

 狼岩山は、狼岩のある山の意であるが、狼岩は少し離れた所にあり、狼が棲んでいた伝承による。
 オンネカムイであれば、クマの岩の意である。「ウォーセ・カムイ」と呼ぶアイヌ語地名があり、「セタカムイ岩」(犬神岩)と訳されている。

●田形(タガタ)

 「田形 水田の遺構で耕作された年代はわからない。
  一 駒ガ嶽東面の山麓、
  一 小屋ガ曽根北側の谷、
  一 宇城ガ原船越しの川添い、
  一 水浴と本流の合流点附近、
  一 木峠山麓の七本土手、
  一 三九奥石仏の下、

 以上六カ所である」(「八幡村史」)。

 田形の遺構が六ヶ所あるが、カジヤ谷がこの中に含まれているのか分からない。田形付近は現在、アカマツの平坦地となっている。雪のため石垣は確認できなかった。さらに上流の畝畑(ウネハタ)も小さい平坦地となっている。

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カシミールデータ

コナラに付いたまゆ
ヤママユガ?

総沿面距離10.6km
標高差363m

区間沿面距離
樽床ダム
↓ 4.6km
比尻山
↓ 1.6km
十文字キビレ
↓ 1.2km
狼岩山
↓ 0.7km
狼岩
↓ 2.5km
樽床ダム
 

 

比尻山の岩 十字の溝がある
鷹ノ巣山 大佐山 苅尾山   狼岩山から
真中が裂けた狼岩
狼岩から見た高岳と嶽
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より