山歩き

ニイハタ谷東尾根…セト谷…下山林道…黒ダキ山
2009/2/1

立野分れ…ニイハタ谷東尾根…セト谷…左谷…サイガ原…中ノ谷分れ…中ノ谷西尾根…下山林道…仏石…黒ダキ山…下山林道…立野

■黒ダキ山(クロダキヤマ)1084.7m:広島県廿日市市吉和細見谷(点の記) (廿日市市)

轍のある県道を降りる
波立つ小松原橋付近
小松原橋
ニイハタ谷
カラスザンショウ
ツガ林を通る
3.5mブナ
ヤマザクラ
ミズメとブナ
ミズメ
真中ヤマザクラ 両側ミズメ
セト谷左岸の石垣
タガタノ谷上流右岸の平坦地を横切るノウサギの足跡
サイガハラ スギ植林地のミズメの若木
中ノ谷分岐付近
下山林道
黒ダキ山
黒ダキ山
7:40 立野分れ 晴れ 気温3度
 
ツルシキミ

8:00 尾根取付
11:20 セト谷
12:40 中ノ谷分れ
14:50 下山林道
16:20 仏石
16:45 黒ダキ山
18:15 黒ダキ山登山口
19:15 立野キャンプ場 
19:25 立野分れ


 
 県道から立野キャンプ場へ降りる辺りを出発。深い雪の中を轍が小松原橋へ降りている。ナガ谷の水流が山の上から滝のように落ちているのが見える。吉和川本流は雪融けで増水し白く波立つ。小松原橋を渡ると車道の雪は無い。ニイハタ谷も滝のようになっていた。

 ニイハタ谷の先にあるヒノキ林を上がった。ヒノキ林の中に鋭いトゲを持つ大きなカラスザンショウがあった。少し登ると山道が通っていた。山道はニイハタ谷の方へ延びていた。5mほどのユズリハがある。林間から立岩貯水池が見える。ツガ林がある。雪の中からツルシキミの赤い実や花芽が出ている。

ツルシキミ
アセビ

 高度が増すと立岩山、市間山が見えてくる。上の平坦な尾根に出たところからカンジキを履いた。尾根にピンクのテープが続いている。空のブナの実が雪の上に落ちている。緑のアセビの葉に枯れた実が残る。ソヨゴの赤い実もある。

 枯れた葉を付けたままのブナがある。古い境界石があった。ノウサギの足跡を追うと、細枝の皮を食べている。ツガ林を抜けた先に大きなブナがあった。計ると周囲3.5m。近くにヤマザクラ、ミズメの大きい木があった。その少し先からセト谷へ下った。

 セト谷へ降りる小尾根はミズメの多い所であった。ヤマザクラよりミズメの方が多い。ほどなくセト谷の左岸の石垣がある所に下りた。右岸にミズメがある。タガタノ谷を渡った所の谷を見渡せる雪の上で一休み。セト谷の水量が増している。

ノウサギの食痕
タヌキと思われる足跡

 ここから左谷と右谷の分岐までの右岸は平坦地となっている。平坦地にヤマザクラが一本、谷沿いに数本のミズメがあった。平坦地の真中をノウサギの足跡が真直ぐ谷へ降りていた。左谷の右岸を進み左岸へ渡った。この辺りの平坦地をサイガ原と呼ぶ。植林されたスギの若木があり、伐採跡にミズメの若木が多くあった。元々ミズメが多かったのかもしれない。

 左岸を進み、中ノ谷分かれに出た。12時40分でちょっと遅かったが、上の下山林道へ上がった。タヌキのような足跡があった。ツガ林を通る。ツガの下に実を付けた枝が落ちていた。ツガに寄生するヤドリギ科のマツグミのようだ。ヤマザクラの大きい木があった。ドウダンツツジの枯枝が雪の中から出ている。

 黒ダキ山が左手に見える。中ノ谷の水音が一際大きく聞こえる。中ノ谷水源にある50mほどのナメラ滝が見え、その落ちる音であった。岩場を越えてほどなくカーブミラーのある林道に出た。深い雪の林道を下った。今登ってきたセト谷の先に日の平山から立岩山の峯が続く。

マツグミ

 林道終点に到着。黒ダキ山が目前にある。仏石がはっきりと見える。やわらかい雪の斜面をトラバースする。腰ほど埋まる雪に中々前に進まない。一つ谷を越えて、左谷水源の谷の上部へ一旦降り、そこから黒ダキ山への登山道に上がった。

 登山道の雪の上にブナの実がたくさん落ちていた。そこからほどなく仏石。十方山への展望がある。黒ダキ山へ上がったのがもう5時前であった。十方山から吹く風が強かった。山頂の赤い吸殻入れが頭を出す。冠山には雲が掛かる。

 登山道にクマの足跡が続く。尾根から細見谷へ降りる小尾根にもクマの足跡が続いていた。途中から登山道を外れて、そのまま尾根を真直ぐ降りていた。下山林道に出たのが6時過ぎ。ヘッドランプを付けて雪道を進む。大分進んだ所にイノシシの掘り返した跡がたくさんあった。

 1時間ほどで立野キャンプ場近くまで来た時、前方の細見谷橋付近の暗闇に光る目が二つ見えた。キツネかなと思っていると、音も無く二つの目が頭上の木の上にあった。フクロウであったようだ。

セト谷 左谷・右谷分岐付近
仏石


地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)が成立したのは、縄文時代後期であった。アイヌ語とは縄文時代中期の東日本縄文語を祖語とする言語で、アイヌ語系民族は、その言語を受け継いできた唯一の民族であった。

 東日本縄文人が縄文中期に過疎地帯であった西日本へ拡散し、東日本文化が西日本各地に定着した。

 (以上「試論・アイヌ語の祖語は東日本縄文語である」清水清次郎・アイヌ語地名研究3号・アイヌ語地名研究会発行・2000年 「和歌山県・高知県のアイヌ語系地名」前同・アイヌ語地名研究10号・同会発行・2007年から)

 東日本縄文文化の影響を受けた人々が、この辺りで生活していたと仮定すると、西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われる。
 また、アイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文時代後期を含む縄文遺跡が存在することを予見している。

 吉和周辺は縄文遺跡の多いところである。


●タガタノ谷


 「タガタの谷付近は、開けた平坦地で、昔水田、畑を作った跡である田形がある。左谷との出合付近の右岸は、杉林の平坦地である。ここにも石垣をめぐらした田形があり、かつて人が住んでいた場所のようだ」 「タガタ・タカタ 田形。高所にある田。田を作った跡」(「西中国山地」桑原良敏)。

 西中国山地には山の高い所に田畑の跡と思われる石垣の残っている所が多い。「西中国山地」の「田形」地名は、比尻山のカジヤ谷、湯来冠のコウノミ谷、小室井山のオクノハラ谷である。セト谷にタガタノ谷があるが、「西中国山地」を読む限り「田形」とは呼んでいないようだ。

 タガタノ谷上流のセト谷右岸は平坦地となっており、二段ほどの低い石積が残っている。昔、田畑があったのかもしれない。

 
 

 「ここも平坦なスギ林でキジヤ原と呼ばれている。この谷のテント場といえば、この付近であるが、林下は少し湿っている」(「西中国山地」)。

 「ノブスマは近畿地方の呼称である。木地屋とよばれている集団は滋賀県愛知郡小椋から出て全国の山地に分散居住し轆轤(ろくろ)を使って椀や盆を作っていたとされている。細見谷には中流部にロクロ谷があり木地屋が入っていたのは事実らしい」(「西中国山地」)。

  

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カシミールデータ

ソヨゴ

総沿面距離13.8km
標高差575m

区間沿面距離
立野分れ
↓ 4.2km
セト谷
↓ 3.3km
下山林道終点
↓ 1.1km
黒ダキ山
↓ 2.1km
下山林道
↓ 3.1km
立野分れ
 

 

セト谷 後ろは立岩山 日の平山 下山林道から
仏石 下山林道終点から
夕暮れの十方山 17:10 ゴロシのタキ付近から
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より