山歩き

板ヶ谷…最早山…畳ヶ平
2009/1/17

板ヶ谷チェーン着脱場…植林境界…林道…大岩…最早山…タタミガナル…最早山…大岩…植林境界…板ヶ谷

■最早山(モヤイヤマ)1064m:広島県山県郡戸河内町字向イ山(向山点の記) 安芸太田町

板ヶ谷チェーン着脱場
ヒノキ林の間を登る
植林境界のミズナラのクマ棚
雑木林の平坦地に入ると雪が深い
葉の残るブナ
樹皮の剥がれたヤマザクラ
山頂東の直下を通る林道
林道のミズメ
最早山の大岩
大岩のヤマザクラ
頭上のミズナラに留まるコゲラ
山頂付近のキハダ
タタミガナル
下り道のブナ
7:45 板ヶ谷チェーン着脱場出発 曇り 気温0度
 
ブナ

11:45 植林境界
13:55 林道
14:15 大岩
14:30 最早山
14:55 タタミガナル
15:10 大岩
15:20 林道
16:10 植林境界
17:25 板ヶ谷


 板ヶ谷のチェーン着脱場には、車が次々と入り、チェーンを付けて雪の残る道を登っていく。気温は0度で寒くはない。着脱場からカンジキを履いて雪の斜面を登る。水田の石垣を越えると上に林道が通っている。
 
 林道を少し谷側へ歩いて急な斜面を登った。山道らしきところを進み、ヒノキ林の小谷を上がる。雑木と松林の中は膝まで埋まる。ヒノキ林と雑木の境界まで進み、ヒノキ林の下を登った。この辺りで埋まるのは膝下である。

 ノウサギの足跡は10cmほど沈んでいる。尾根に沿って山道がある。植林道であろうか。エゾユズリハが雪の中から葉だけを出している。ヒノキ林を大分登ったところのミズナラにクマ棚があった。

ノウサギの足跡がつづく

 急な植林地の尾根を抜けると、雑木林の平坦な尾根に変わる。植林境界のミズナラにクマ棚があった。この辺りからクマ棚が多くなる。雑木林の草原のような平坦地は、重い雪に埋まる歩きにくい道である。

 ブナが現れ始める。枯れた葉の残るブナが多い。そのブナにクマの爪痕が残っていた。枯れたヤマザクラの樹皮が板のように剥がれていた。ヤマザクラも多い。

 カナクラ峠から上がる尾根に入ると赤やピンクのテープが見つかる。探していたミズメをやっと見付けた。樹皮を少し剥ぐとサロメチールの香りがある。そこからすぐに林道に出た。林道脇にもミズメがあった。この林道は地形図には載っていない。

雪の中から葉を出すエゾユズリハ

 スギ林の脇をテープを見ながら進む。キハダが点々とある。やっと大岩の所に着いた。板ヶ谷から6時間余りかかった。大岩の雪の上に羽状の種が落ちていた。岩の周辺にヤマザクラがある。ホットコーヒーでひと息入れて、タタミガナルへ進んだ。

 キツツキがミズナラを飛び回りながら、木を突付いている。頭上のミズナラに留まった。コゲラであった。クマ棚が多く残っている。鞍部の地下を通る導水トンネル付近で引き返した。向山を回ってバア堀を通り、南の尾根を下りようと思っていたが、雪が深く時間がかかる。

 帰りは早い。山頂付近は、ずっと小雪の舞う天気であったが、夕日が差し始めた。大岩から2時間半ほどで板ヶ谷へ下った。

葉の残るブナ

地名考

 縄文時代中期から後期にかけて日本列島では「磨消縄文土器」(すりけしじょうもんどき)が全国一円に広まった。その発生地は関東地方である。また、抜歯風習、打製石斧、石棒、土偶、浅鉢、注口土器など、それまで西日本になかった文化が広がった。

 日本の縄文語(日本列島共通語)が成立したのは、縄文時代後期であった。アイヌ語とは縄文時代中期の東日本縄文語を祖語とする言語で、アイヌ語系民族は、その言語を受け継いできた唯一の民族であった。

 東日本縄文人が縄文中期に過疎地帯であった西日本へ拡散し、東日本文化が西日本各地に定着した。西日本の人口が縄文後期に爆発的に激増した原因は、東日本縄文人の西方拡散が主因であった。

 (以上「試論・アイヌ語の祖語は東日本縄文語である」清水清次郎・アイヌ語地名研究3号・アイヌ語地名研究会発行・2000年 「和歌山県・高知県のアイヌ語系地名」前同・アイヌ語地名研究10号・同会発行・2007年から)

 東日本縄文文化の影響を受けた人々が、この辺りで生活していたと仮定すると、西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代後期から呼ばれていた可能性のある地名と思われる。
 また、アイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文時代後期を含む縄文遺跡が存在することを予見している。

 周辺は縄文遺跡の多いところである。


●畳ヶ平(タタミガナル)
 tat-ta-pirka-ninar
 タッ・タ・ピリカ・ニナル
 樺皮を・取る・良い・丘

●畳ヶ平(タタミガナル)
 tat-pirka-ninar
 タッ・ピリカ・ニナル
 樺皮の木の・良い・丘

 関連するアイヌ語地名に以下がある。

 『データベースアイヌ語地名1後志』
 (榊原正文・北海道出版企画センター)
 kene-ta-us-nay ハンノキ・伐る・よくした・川

 『アイヌ語地名研究5』
 (アイヌ語地名研究会・北海道出版企画センター)
 pirka-ninar 良好な・川沿いの台地 

 カバノキ科の樹木のアイヌ語に以下がある。

★kene ケネ(ケヤマハンノキ)
★nitat-kene ニタッケネ(ヤチハンノキ)
★hani ハニ(ミヤマハンノキ)
★kamuy-tat カムイタッ(エゾノダケカンバ)
★si-tat シタッ(ウダイカンバ)
★retat-tat レタッタッ(シラカンバ)
★pase-ni パセニ(サワシバ)
★seykapar セイカパル(アサダ)

 ウダイカンバのアイヌ語の別名に、「カリンパタッ」
 karimpa-tat 「ぐるぐる巻く・樺皮」の意。

 エゾヤマザクラ・オオヤマザクラのアイヌ語は以下。
 
★karimpa カリンパ 桜皮
★karimpa-ni カリンパニ 桜皮の・木

 「この樹皮は、それで刀の鞘や矢筒や弓の柄を巻いたり、舟や曲げ物を綴じたりした。桜の皮を巻いた弓を『カリンパ・ウン・ク』karimpa-un-ku すなわち『カリンパの・ついている・弓』などという所を見ても分かる通り、もと『カリンパ』は桜の皮を言ったものである。その原義は、kari『まわる』、kari-no『よくまわる』、複数の -paがついて karino-pa、karin-pa、karim-pa 『ぐるぐると充分にまわる』となったものである。日本語の『かには』(桜皮)『かば』(樺)などもそれから来たものと思われる」

 (以上『知里真志保著作集』植物編・平凡社から)

 koshikarimpa コシカリンパ くるりと廻りました。
 chikoshikarinpa チコシカリンパ 私は輪をえがいていました。
 (以上『アイヌ神謡集』知里幸恵から)


 タタミガナルはミズメのある所と予想した。『樹皮ハンドブック』(林将之・文一総合出版)に次の記述がある。

 「ミズメ 灰色で横向きの皮目が目立ち、サクラ類の樹皮によく似る。若い樹皮をナイフで削ると、湿布薬に使われるサロメチールの匂いがあることが特徴」

 「ウダイカンバ ミズメに似ており、樹皮を削ると弱いサロメチール臭がある」

 歩いた道はミズメは少なく、最早山山頂周辺の尾根上にはヤマザクラが目立つ。

 ウダイカンバのアイヌ語の別名
 karimpa-tat カリンパタッ 「ぐるぐる巻く・樺皮」

 直訳すれば「桜の樺皮」の意である。縄文期に現在と同様、ミズメよりもヤマザクラが多かったのであれば、ヤマザクラは「カリンパタッ」と呼ばれたいたのかもしれない。


●最早山(モヤイヤマ)
 mo-ya-i モヤイ 小さい・岸の・所

 最早山は松原ではゾウザ山と呼ばれている。ゾウザ谷の山の意であろう。向山から東へ200mほど下ったところにバア堀があった。トイガ谷の川口に住むおじさんから聞いた話だが、そのおじさんは昔、バア堀で炭焼きをしており、炭焼き窯のすぐ脇に池があった。その池にはミズバショウに似た美しい花が咲いていたと言う。

 バア堀の下を通り柴木発電所に下りる導水トンネルが出来てから、その池が無くなったようだ。最早山は板ヶ谷の呼称であるが、「小さい岸」とは、そのバア堀のことではないだろうか。

●バア堀
 wa-an-hur ワ・アン・フル 岸・ある・丘

 wa-an-hur → wa-a-hori の転訛。

●マツオ谷
 mun-tum-oma-nay
 ムン・ツム・オマ・ナイ
 草原・に入る・沢

 mun-tum-oma → mu-tu-o の転訛。

 マツオ谷は最早山東の水源に入る谷であるが、マツオ谷東の尾根は、植林境界から上は平坦な所である。

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カシミールデータ

大岩の種

総沿面距離8.8km
標高差632m

区間沿面距離
板ヶ谷チェーン着脱場
↓ 3.1km
植林境界
↓ 1.8km
大岩
↓ 0.5km
タタミガナル
↓ 1.6km
植林境界
↓ 1.8km
板ヶ谷
 

 

畳ヶ平(タタミガナル)付近
最早山 向山  深入山から 2006/4/16
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より