7:45 板ヶ谷チェーン着脱場出発 曇り 気温0度
ブナ |
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11:45 植林境界
13:55 林道
14:15 大岩
14:30 最早山
14:55 タタミガナル
15:10 大岩
15:20 林道
16:10 植林境界
17:25 板ヶ谷
板ヶ谷のチェーン着脱場には、車が次々と入り、チェーンを付けて雪の残る道を登っていく。気温は0度で寒くはない。着脱場からカンジキを履いて雪の斜面を登る。水田の石垣を越えると上に林道が通っている。
林道を少し谷側へ歩いて急な斜面を登った。山道らしきところを進み、ヒノキ林の小谷を上がる。雑木と松林の中は膝まで埋まる。ヒノキ林と雑木の境界まで進み、ヒノキ林の下を登った。この辺りで埋まるのは膝下である。
ノウサギの足跡は10cmほど沈んでいる。尾根に沿って山道がある。植林道であろうか。エゾユズリハが雪の中から葉だけを出している。ヒノキ林を大分登ったところのミズナラにクマ棚があった。
ノウサギの足跡がつづく |
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急な植林地の尾根を抜けると、雑木林の平坦な尾根に変わる。植林境界のミズナラにクマ棚があった。この辺りからクマ棚が多くなる。雑木林の草原のような平坦地は、重い雪に埋まる歩きにくい道である。
ブナが現れ始める。枯れた葉の残るブナが多い。そのブナにクマの爪痕が残っていた。枯れたヤマザクラの樹皮が板のように剥がれていた。ヤマザクラも多い。
カナクラ峠から上がる尾根に入ると赤やピンクのテープが見つかる。探していたミズメをやっと見付けた。樹皮を少し剥ぐとサロメチールの香りがある。そこからすぐに林道に出た。林道脇にもミズメがあった。この林道は地形図には載っていない。
雪の中から葉を出すエゾユズリハ |
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スギ林の脇をテープを見ながら進む。キハダが点々とある。やっと大岩の所に着いた。板ヶ谷から6時間余りかかった。大岩の雪の上に羽状の種が落ちていた。岩の周辺にヤマザクラがある。ホットコーヒーでひと息入れて、タタミガナルへ進んだ。
キツツキがミズナラを飛び回りながら、木を突付いている。頭上のミズナラに留まった。コゲラであった。クマ棚が多く残っている。鞍部の地下を通る導水トンネル付近で引き返した。向山を回ってバア堀を通り、南の尾根を下りようと思っていたが、雪が深く時間がかかる。
帰りは早い。山頂付近は、ずっと小雪の舞う天気であったが、夕日が差し始めた。大岩から2時間半ほどで板ヶ谷へ下った。
葉の残るブナ |
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■地名考
縄文時代中期から後期にかけて日本列島では「磨消縄文土器」(すりけしじょうもんどき)が全国一円に広まった。その発生地は関東地方である。また、抜歯風習、打製石斧、石棒、土偶、浅鉢、注口土器など、それまで西日本になかった文化が広がった。
日本の縄文語(日本列島共通語)が成立したのは、縄文時代後期であった。アイヌ語とは縄文時代中期の東日本縄文語を祖語とする言語で、アイヌ語系民族は、その言語を受け継いできた唯一の民族であった。
東日本縄文人が縄文中期に過疎地帯であった西日本へ拡散し、東日本文化が西日本各地に定着した。西日本の人口が縄文後期に爆発的に激増した原因は、東日本縄文人の西方拡散が主因であった。
(以上「試論・アイヌ語の祖語は東日本縄文語である」清水清次郎・アイヌ語地名研究3号・アイヌ語地名研究会発行・2000年 「和歌山県・高知県のアイヌ語系地名」前同・アイヌ語地名研究10号・同会発行・2007年から)
東日本縄文文化の影響を受けた人々が、この辺りで生活していたと仮定すると、西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代後期から呼ばれていた可能性のある地名と思われる。
また、アイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文時代後期を含む縄文遺跡が存在することを予見している。
周辺は縄文遺跡の多いところである。
カシミールデータ
大岩の種 |
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総沿面距離8.8km
標高差632m
区間沿面距離
板ヶ谷チェーン着脱場
↓ 3.1km
植林境界
↓ 1.8km
大岩
↓ 0.5km
タタミガナル
↓ 1.6km
植林境界
↓ 1.8km
板ヶ谷
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