山歩き

ウス谷…シケの谷…立岩山…タテイワ谷
2008/12/13

臼谷…オオダキ入口…ワサビ田跡…シケの谷…市間山登山道…キハダ群生地…立岩山…立岩山右谷…タテイワ谷…坂原…臼谷

■立岩山(タテイワヤマ)1135.0m:広島県山県郡筒賀村大字上筒賀字立岩山(点の記) 安芸太田町

臼谷橋からウス谷へ入る
スギ林を上がる
下流のワサビ田
岩場を上がる
上のワサビ田手前のキハダ
ワサビ田始点付近
ワサビ田終点
今年6月にクマが寝ていたスギの倒木
ヒノキ林のキハダ
登山道のブナ
シケの谷ピークのキハダ

立岩山

十方山
鞍部へ上がる参道
左岸へ渡る壊れた橋
小滝の下流に残る石垣
7:30 臼谷入口出発 晴れ 気温−2度
 
ツルウメモドキ

10:35 ワサビ田跡始
10:45 シケノ谷
11:15 ワサビ田跡終
12:30 登山道
13:15 立岩山
14:25 鞍部分れ
15:40 右谷分れ
15:55 タテイワ谷入口
16:25 臼谷入口


 臼谷の川口に「臼谷川」の標柱が立っている。フユイチゴの実がなり、ソテツの青い葉が伸びるスギ林の林道を上がる。チャノキの小木が多い。アベマキは茶色の葉をまだ残している。ほどなくブロック小屋のある臼谷橋。左岸に道がある。

 スギ林を上がる。堰堤がある。谷はスギで覆われている。スギ林の中にケヤキがポツンと立っていた。道は右岸に渡り、小さいワサビ田を越すと右岸にオオダキの谷が下り、そのすぐ先が二番目の堰堤。堰堤の上にムラサキシキブの実が残っていた。左岸の上は林道が通っている。三番目の堰堤を越す。

 林道の終点から続く山道へ上がった。スギ林の中にナワシログミがある。急な斜面にウサギの糞がかたまってあった。道が終わった所で谷へ降りる。谷の分岐の急な岩場を登る。この辺りは左岸の上に道が通っているようだ。

チャノキが多い
ムラサキシキブ

 谷が平坦になり、右岸から小谷が降りるところにキハダがあった。ウス谷の入口からキハダを探していたのだが、谷の下部にキハダが無いのが意外であった。左岸の山道を進むとワサビ田の石垣がある。この辺りがワサビ田の始点である。入口にケヤキがある。水路のようなワサビ田が300mほど続く。

 すぐ先で谷が分かれるが、その辺りからシケの谷と呼ぶ。谷は崩れた石垣の上にスギが覆い、歩きにくくなる。薮を抜けると、最奥に石垣があり、そこがワサビ田の終点で、そこから上は水の無い伏流水となる。少し上にスギの倒木あり、今年の6月クマが寝ていたところである。

 そのクマの寝床の上辺りからキハダが点々と見られるようになった。スギ林からヒノキ林に変わる。キハダを探しながらジグザグに登る。炭焼跡を通り、市間山登山道に出るまでに9本のキハダがあった。

シイタケ
キハダの折れた枝

 登山道から市間山が見える。残っていた雪の上にブナの空の実が落ちていた。ミズナラの落ち枝にシイタケが出来ていた。シケの谷の水源のピークに出て見るとキハダが多い。ピーク周辺を歩いてみると、約30本のキハダがかたまってあった。折れたキハダの枝先を割いて見ると黄色の樹皮が現れた。

 そこからまもなく立岩山。十方山は雪が無い。この時期めずらしい。風の無い穏やかな日である。静かな湖面の上に、いつもと違う雰囲気の十方山があった。市間山の先に深入山が目立つ。その左は苅尾山。内黒峠から十方山へ続く山並み。コーヒーで一服して下山。山頂のアセビが花穂を付け、ヤマグルマの実が残る。

 山頂から少し引き返し、スギ林の鞍部から立岩山の右谷を降りた。炭焼跡の石積が残っている。左岸に大きいトチノキがある小谷の右岸を回りこむと、タケノオク谷の鞍部へ上がる谷の分岐に出る。鞍部へ上がる道は昔、坂原の村人が立岩観音に通った参道であるという。

 参道への分岐を少し下ると壊れた橋がある。そこから右岸に参道が残っている。この参道は大分壊れかけているが、下流の小滝の上部まで数百メートル続く。ビニールひもが要所に結んである。

 参道が谷に下りると小滝の上である。左岸に踏み跡があり、滝を巻いて谷へ降りると、右岸に石垣が残っている。橋が掛かっていたと思われる。谷を少し下ると右岸に踏み跡があり、立岩山の登山道に出る。そこからほどなく坂原へ出た。

アベマキ
アセビ


地名考

 縄文時代中期から後期にかけて日本列島では「磨消縄文土器」(すりけしじょうもんどき)が全国一円に広まった。その発生地は関東地方である。また、抜歯風習、打製石斧、石棒、土偶、浅鉢、注口土器など、それまで西日本になかった文化が広がった。

 日本の縄文語(日本列島共通語)が成立したのは、縄文時代後期であった。アイヌ語とは縄文時代中期の東日本縄文語を祖語とする言語で、アイヌ語系民族は、その言語を受け継いできた唯一の民族であった。

 東日本縄文人が縄文中期に過疎地帯であった西日本へ拡散し、東日本文化が西日本各地に定着した。西日本の人口が縄文後期に爆発的に激増した原因は、東日本縄文人の西方拡散が主因であった。

 (以上「試論・アイヌ語の祖語は東日本縄文語である」清水清次郎・アイヌ語地名研究3号・アイヌ語地名研究会発行・2000年 「和歌山県・高知県のアイヌ語系地名」前同・アイヌ語地名研究10号・同会発行・2007年から)

 東日本縄文文化の影響を受けた人々が、この辺りで生活していたと仮定すると、西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代後期から呼ばれていた可能性のある地名と思われる。
 また、アイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文時代後期を含む縄文遺跡が存在することを予見している。

 下流の上殿から中ほどの筒賀、上流の吉和にかけて縄文遺跡のあるところである。


●シケの谷
 sikerpe-ni-us-nay
 シケルペ・ニ・ウシ・ナイ
 キハダの・木・ある・川

 sikerpe-us-nay
 シケルペ・ウシ・ナイ
 キハダ・ある・川

 sikerpe-us-nupuri
 シケルペ・ウシ・ヌプリ
 キハダ・群生する・山

 キハダがあるのはウス谷上部からシケの谷、シケの谷のピークである。特にピークはキハダの群生地となっている。ウス谷下流にキハダが無いのは意外であった。スギ、ヒノキの植林地となっていることに原因の一つがあるのかもしれない。シケの谷とはそのピークにキハダが群生する山のことであろうか。

 sikerpe-ni → shike-ni の転訛。
 sikerpe-nay → shike-na の転訛。
 sikerupe-nupuri → shike-nu の転訛。


●ウス谷
 us-nay
 ウシ・ナイ
 ある・川

●シケの谷+ウス谷
 sikerpe-ni-us-nay
 シケルペ・ニ・ウシ・ナイ
 キハダの・木・ある・川

 シケの谷と臼谷は元々「シケルペニウシナイ」と呼ぶ一つの谷名であったと思われる。

 us → usu の転訛。


 キハダのアイヌ語地名に以下がある。

 sikerpeni-us-nay
 sikerpe-us-nay
 『北海道蝦夷語地名解』復刻版(永田方正)

 sikerpe-ni-us-pet
 『アイヌ語地名研究9』(アイヌ語地名研究会)


 西中国山地ではアイヌ語の植物名が地名になっている場合が多いのではないか。

★恐羅漢山 エソロカンニ(ミツバウツギ)
★旧羅漢山 キウシラカンサム(茅群生する恐羅漢山の傍)
★京ツカ山 キウシツカ(茅群生する尾根上)
★五里山 コリヤム(フキ)
★阿佐山 アッサム(オヒョウニレの傍)
★畳山 アッタプコピ(オヒョウニレの小山)
★毛無山 ケナシ(木原)
★市間山 チマ(ウド)
★小五郎山 コロ(フキの葉)
★鈴ノ大谷山 スス(柳)
★馬糞ヶ岳 ハップンカル(ブドウ蔓)
★莇ヶ岳 アシサム(潅木の傍) 
★安蔵寺山 アソシリ(潅木多い山)
★高鉢山 タプコプハシ(小山の潅木)
★冠山 ホロカムンリ(後戻りする草高い)
★小室井 コムルイ(ドングリ甚だしい)
★立岩山 ウワッテイワニ(群生するアオダモ)
★沼長トロ山 ヌマオマヌプカ(果実ある野上)

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カシミールデータ

ミヤマシキミ

総沿面距離11.8km
標高差690m

区間沿面距離
臼谷入口
↓ 3.9km
ワサビ田
↓ 2.4km
立岩山
↓ 2.9km
右谷分れ
↓ 1.2km
タテイワ谷入口
↓ 1.4km
臼谷入口
 

 

十方山
ヤマグルマと市間山 左上は深入山
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より