山歩き

女鹿平山…シゲノ谷…青笹越…ヒノ谷
2008/11/22

吉和公民館…女鹿平山…シゲノ谷…大向林道…青笹越…アオザサ谷…ヒノ谷…吉和川左岸の山道…女鹿平スキー場…吉和公民館

■女鹿平山(メガヒラヤマ)1082.5m:広島県佐伯郡吉和村字田中原女鹿平 (廿日市市)

女鹿平山への入口
ログハウスの紅葉
紅葉の道
山頂手前の岩
クリノキのクマ棚
クリノキの爪痕
女鹿平山
山頂から見える冠山
ブナ林を下る
ミズナラのクマ棚 女鹿平山西面

シゲノ谷のキハダ

大町谷右岸の紅葉
石休ミ付近
青笹越
ヒノ谷 手前アオザサ谷
ヒノ谷
吉和川右岸
ヤマコウバシ
8:05 吉和公民館出発 晴れ 気温−2度
 
コマユミ

10:25 女鹿平山
11:10 シゲノ谷水源
13:10 大向林道
13:35 青笹越
14:10 ヒノ谷 
15:25 林道終点(ヒノ谷)
16:10 女鹿平スキー場
16:40 公民館


 氷点下の吉和公民館の駐車場を出発。女鹿平スキー場へ行く車が次々と通り過ぎる。吉和の里のログハウスのある山の車道を入ると、すぐ正面の入口に真っ赤なオオモミジがあり、スギ林の山道となる。墓所の横を通り、雪と落葉の山道を進む。ヤマフジの複葉、クリ、コナラ、ミズナラ、アベマキの葉が雪の上に落ちている。

 最初の車道を横切る。紅葉の中にログハウスが並ぶ。上に行くに連れアセビが多くなる。ところどころユズリハの青い葉がある。イヌツゲがある。ソヨゴの赤い実が垂れ下がる。ログハウスの地帯を抜けて舗装されてない林道に出た。山々への展望が開ける。コバノミツバツツジの黄葉が残る。

 一番上の林道を横切る。スキー場のリフトの音が間近に聞こえる。岩のところを過ぎるとクマ棚が目立つようになる。あちこちのクリノキにクマ棚があった。クマ棚は頂上近くまで続く。出発から2時間余りで二等三角点の頂上に付いた。山頂の雪は20cmほどで三角点の頭が覗いていた。

エゾユズリハ
ソヨゴ

 松の木の先に冠山が見える。山頂下のスキーリフトに次々と上がってくる人が多い。山頂にアキグミがある。ホットコーヒーで休憩し、西へ下った。ブナの斜面を下り、シゲノ谷の水源に降りる。こちらもクマ棚が多い。少し下ると谷の水源に林道が通っている。

 林道の下辺りにキハダがあった。谷筋に点々と生えている。谷中はスギの植林地となっている。谷の開けた先に冠山が見える。スギの倒木の谷を進むと、スギ林の中に炭焼跡があった。谷の途中を林道が横切る。キハダを確認しながらスギ林を下る。

 2時間ほどで大向林道に出た。シゲノ谷は小さい谷だが、キハダは15本あった。大きいもので周囲1.3mであった。スギが植林される前はもっとあったと思われる。大町谷へ落ちるシゲノ谷は堰堤で遮られている。大町谷右岸の紅葉が美しかった。

シゲノ谷のキハダ
ヒサカキ

 大向林道を上がった。林道から冠山が見える。ほどなく青笹越の入口。峠から降りる谷の左岸付近を石休ミと呼ぶ。ヒノキ林の林道を上がる。入口から10分ほどで青笹越。林道が東へ上がっている。峠を越えて進むとまた林道が東へ上がっているが、先は行き止まりである。

 アオザサ谷を下った。踏み跡がある。測量のピンクのテープが続く。峠から30分ほどでヒノ谷に出た。角兵衛の墓付近から降りる林道はまだアオザサ谷まで延長されてなかった。

 左岸に道があるがところどころ薮となり、消失している。左岸の道に公社造林の古い看板がある。進むと道は左岸にあるが、ところどころ崩れている。石垣が残っており、古くから歩かれた道であろう。ネンブツ谷の下流に倒木があった。ヒサカキに黒い実が残る。

 ヒノ谷の滝を過ぎると出口が近い。コンクリートの大きい柱のところで谷が開け展望がある。急なスギ林を下り、立野から延びる林道の終点に着いた。ここから立野経由だと大周りになる。ヒノ谷を渡ってみると山道があった。30分ほどで堰堤に出た。そのすぐ先に林道が通っていた。ほどなく女鹿平スキー場のリフトのところに出た。スキー場の上をパラグライダーが飛んでいた。

上空のパラグライダー
毛のあるコバノミツバツツジ
ヤマグルマ


地名考

 縄文時代中期から後期にかけて日本列島では「磨消縄文土器」(すりけしじょうもんどき)が全国一円に広まった。その発生地は関東地方である。また、抜歯風習、打製石斧、石棒、土偶、浅鉢、注口土器など、それまで西日本になかった文化が広がった。

 日本の縄文語(日本列島共通語)が成立したのは、縄文時代後期であった。アイヌ語とは縄文時代中期の東日本縄文語を祖語とする言語で、アイヌ語系民族は、その言語を受け継いできた唯一の民族であった。

 東日本縄文人が縄文中期に過疎地帯であった西日本へ拡散し、東日本文化が西日本各地に定着した。西日本の人口が縄文後期に爆発的に激増した原因は、東日本縄文人の西方拡散が主因であった。

 (以上「試論・アイヌ語の祖語は東日本縄文語である」清水清次郎・アイヌ語地名研究3号・アイヌ語地名研究会発行・2000年 「和歌山県・高知県のアイヌ語系地名」前同・アイヌ語地名研究10号・同会発行・2007年から)

 吉和の市垣内遺跡、半坂遺跡から磨消縄文土器が出土している。

 東日本縄文文化の影響を受けた人々が、この辺りで生活していたと仮定すると、西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代後期から呼ばれていた可能性のある地名と思われる。
 また、アイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文時代後期を含む縄文遺跡が存在することを予見している。


●シゲノ谷
 sikerpe-ni-us-nay
 シケルペ・ニ・ウシ・ナイ
 キハダの・木・群生する・沢

 『北海道蝦夷語地名解』復刻版(前同)に、
 sikerpeni-us-nay がある。

 sikerpe-ni → sike-ni の転訛。

 シゲノ谷は現在、スギ林となっている。元々、キハダの多い谷であったと思われる。

 「この樹皮はまた、それで屋根を葺き、あるいは壁敷物にしたというし、即製の樹皮舟を作ったというし、また、幌別ではそれの煎汁を染色に用いた。…北海道各地で、キワダの木は金で、ミズキは銀で、ハンノキは銅だと言われ、最も尊い神へ捧げる木幣をこの木で作る。美幌では、熊を送る時だけこの木で作った木幣を使う」(『知里真志保著作集』別巻)。

 シケルペのアイヌ語地名に以下がある。

★士気連別川(シケレベツ)北見市
 (アイヌ語地名V北見)


●女鹿平山(メガヒラヤマ)
 yam-wakka-pira
 ヤム・ワッカ・ピラ
 冷・水・崖

●ヒノ谷
 pi-nay ピ・ナイ
 細く深い谷・川

●女鹿平+ヒノ谷
 yam-wakka-pira-us-pi-nay
 ヤム・ワッカ・ピラ・ウシ・ピ・ナイ
 冷・水・崖・ある・細く深い谷・川

 「『吉和村御建野山腰林帳』(1725年)に女鹿平山とあるが、その後に書かれた『佐伯郡廿ケ村郷邑記』(1806年)には米加比良山という字が使われている。…メガは鹿または牝鹿を表わす方言で、ヒラは獣を取る装置、または山の側面や斜面を表わす地形方言…鹿を取る装置がしかけてある山、あるいは鹿が多く住んでいる場所という意になる。いずれにしろこの場所に鹿が多かったのは事実であろう」(「西中国山地」桑原良敏)。

 西中国山地の山名は川名と同じ場合が多い。女鹿平山も川名が山名になったと仮定すると、ヒノ谷の可能性がある。ヒノ谷の入口から少し入った所に滝がある。女鹿平山周辺で目立つ滝があるのはヒノ谷だけである。この滝の名が女鹿平ではないかと思われる。ヒノ谷の入口は細く深い谷となっている。

 「西中国山地」巻末の地形方言の一覧に「ヒラ・ヒラツコ 尾根の側面、山の傾斜面」とある。アイヌ語のピラに近い地形方言である。

 yam-wakka-pira → mu-ka-pira の転訛。
 pi-nay → pi-na の転訛。

 ヤムワッカピラ、ワッカピラのアイヌ語地名に以下がある。

★止若(ヤムワッカ) 北海道幕別町(北海道の地名)
★赤平(アカピラ) 北海道滝川市(北海道の地名)
★ヤムワツカ平 北海道長沼町
 (データベースアイヌ語地名3)

●ネンブツ谷
 net-un-putu-nay
 ネッ・ウン・プツ・ナイ
 流木・ある・その川口の・沢

 net-un-putu → nen-putu の転訛。

●吉和川(ヨシワガワ)
 i-yochi-pa-oma-nay
 イ・ヨチ・パ・オマ・ナイ
 それ・多い所・の上手・にある・川

 yochi-pa → yoshi-pa の転訛。

 以下の地名がある。

★イヨチ・パ・オマ・ナイ(余市・の上手・に入る・川)
★ヨイチ(余市 それ・多くいる所)
 (北海道の地名)

小室井山

 

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カシミールデータ

アキノキリンソウ

総沿面距離14.1km
標高差504m

区間沿面距離
吉和公民館
↓ 3.1km
女鹿平山
↓ 2.8km
大向林道
↓ 2.5km
ヒノ谷
↓ 2.5km
林道終点
↓ 3.2km
吉和公民館
 

 

女鹿平山から見える冠山
冠山 大向林道から
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より