山歩き

オモ川…シゲノ谷…タジマ谷…千両山 2008/11/15
長浜…オモ川…シゲノ谷…田島橋…タジマ谷…千両山…クマノウツ谷…タジマ谷…八郎川…八郎橋…オモ川…長浜

■千両山(センリョウザン)1175m:広島県佐伯郡吉和村字吉和西 (廿日市市)

長浜付近のオモ川
日が当たり始めた山
シゲノ谷入口
シゲノ谷のキハダ
ワサビ田跡
シゲノ谷の小滝
シゲノ谷水源のキハダ
小尾根の紅葉の終わり
林間から見える千両山
スギ林の林道を上がる

千両山

八郎川右岸の伐採地
50年を超えるスギの切り株
オモ川上流の紅葉
コナラのクマ棚
オモ川
ムキタケ
ニワトコ
7:00 長浜出発 晴れ 気温−1度
 
オトコヨウゾメ

8:00 シゲノ谷
10:45 シゲノ谷の尾根
11:30 田島橋
13:25 千両山 
14:20 クマノウツ谷
15:20 田島橋
16:05 八郎橋 
16:55 長浜


 気温がはじめて氷点下となったが、寒くはない。991三角点(角兵衛)付近から西へ下りる小尾根がオモ川に接するところが長浜である。川原に下りると、尾根の先端部は水量が少なく川幅が狭い。川原にヤナギが一面に生えている。

 オモ川に沿う国道を進む。山々の頂に日が入り始める。ウサギ谷の落口を見ようと思ったが、よく分からなかった。実が残るムラサキシキブが多い。チドリノキはどこの谷を歩いても多い木である。道路沿いにシラネセンキュウが一株だけ残っていた。

 1時間ほどでシゲノ谷に到着。国道を下りようと幹を見るとキハダであった。ちょうどシゲノ谷の入口の対岸のオモ川左岸にキハダがあった。川原に下りて浅いオモ川を渉ると、シゲノ谷の入口にもキハダがあった。念のため厚い幹を少し剥ぐと黄色の内皮が現れた。間違いなく二股の黄膚であった。

ムラサキシキブ
シゲノ谷のキハダ

 水の少ないシゲノ谷に入ると、キハダがあった。胸周囲112cmであった。谷を進むとワサビ田跡が残っていた。谷の上に野生化したワサビの葉が点々とある。中ほどに小さいナメ滝があった。谷の水源の分岐の右側の谷の先にキハダらしき樹皮が見えた。近づいて見ると、木の上部に緑の葉が残るキハダであった。周辺を調べたが、キハダはこれ一本だけであった。

 戻って左の谷に進むと、水源の広地にワサビの葉が残っていた。ここもおそらくワサビ田であったと思われる。そこからほどなく笹の少ない尾根に出た。林間から御境が見える。オトコヨウゾメの紅い実が残る。リョウブはまだ緑の葉がある。千両山を正面に見ながら紅葉の残る小尾根を下る。尾根から30分ほどで車道に降りた。

 八郎川を渡って田島林道に入る。先は林道が三つに分かれる。タジマ谷に沿う真中の林道を上がった。ワサビ谷はスギ林の中の小石の谷である。林道は幾つも分岐があるが、堰堤の所で終点。堰堤を越えて進むと右岸に踏み跡がある。踏み跡が終わった所で右岸の小尾根を上がると再び林道に出た。

アケボノソウ

 林道が山腹を横切っていくのを確認して戻り、タジマ谷を上がると、また上で林道が谷を横切っていた。林道が縦横に延びる山である。千両山直下まで林道がある。そこからほどなく山頂に到着。山頂はスギ林で展望はなく、三角点の無い山である。

 テープと切り開きのある南へ降りてみた。ほどなく林道に出た。入口はスギとミズナラの大木、リョウブの小木があるが、道標は無かった。降りてきた切り開き道は、山頂への林業の道であろうか。林道を南へ下ってみたが、行き止まりであった。引き返してクマノウツ谷の水源を下った。

 クマノウツ谷の途中からタジマ谷の南の尾根に出た。尾根を下っていると林道が見えたのでそこへ降りる。林道を少し進むと終点。そこから尾根を少し下り、タジマ谷の林道に出た。千両山から2時間ほどで田島橋に戻った。千両山の林道は迷路のように入り組み、行き止まりの多いところである。

長者原
ヤマブシタケ
シオジ

 八郎川を下ると、右岸で伐採作業を行っていた。上で伐採したスギの木に鋼のロープを繋ぎ、引っ張り下ろしていた。山から滑るように大木が落ちてくる。どこまで伐採するのか聞いてみると、もう終わりということだった。切り株を見ると50年以上の年輪が刻まれていた。

 40分ほどで八郎橋。上流の山の紅葉は終わりを告げていた。葉の落ちたオモ川を下る。車道のコナラの木にクマ棚があった。下に折られた枝が散乱していた。セキヤ谷落口の長者原はススキで白くなっていた。シゲノ谷落口の周辺を注意深く見てみると、落口の下流200mほどのところにもキハダがあった。

 シゲノ谷のキハダは予想したより少なかったが、ワサビ田のために伐採されたのか、あるいは気候の変動によるのかもしれない。西中国山地ではキハダは点々と生えており、群生することはないようだ。シゲノ谷とその周辺には、キハダが多い地域に属するように思われる。かつてはキハダが群生していたのかもしれない。

 「キハダの木の葉が黄色く色づいたころ、その実のシケケレペをたくさん採取する。まだ実は青く、ところどころしか黒ずんではいないが、熟すとポロポロとこぼれ落ちてしまうので、霜の降りる前に採り急ぐ。乾燥させて保存し、一年を通しての食糧、あるいは薬として欠かせぬものである…ハチミツなどをいれて煮つめ、咳止めの薬とする。風邪にきくという。子供が虫を起こしたときには実を噛ませたり、胃腸の薬として朝、晩と一粒ずつ食べたという」(『アイヌ植物誌』福岡イト子・草風館)。


地名考

 縄文時代中期から後期にかけて日本列島では「磨消縄文土器」(すりけしじょうもんどき)が全国一円に広まった。その発生地は関東地方である。また、抜歯風習、打製石斧、石棒、土偶、浅鉢、注口土器など、それまで西日本になかった文化が広がった。

 日本の縄文語(日本列島共通語)が成立したのは、縄文時代後期であった。アイヌ語とは縄文時代中期の東日本縄文語を祖語とする言語で、アイヌ語系民族は、その言語を受け継いできた唯一の民族であった。

 東日本縄文人が縄文中期に過疎地帯であった西日本へ拡散し、東日本文化が西日本各地に定着した。西日本の人口が縄文後期に爆発的に激増した原因は、東日本縄文人の西方拡散が主因であった。

 (以上「試論・アイヌ語の祖語は東日本縄文語である」清水清次郎・アイヌ語地名研究3号・アイヌ語地名研究会発行・2000年 「和歌山県・高知県のアイヌ語系地名」前同・アイヌ語地名研究10号・同会発行・2007年から)

 周辺の吉和、匹見は縄文の遺物・遺跡が多い所である。

 東日本縄文文化の影響を受けた人々が、この辺りで生活していたと仮定すると、西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代後期から呼ばれていた可能性のある地名と思われる。
 また、アイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文時代後期を含む縄文遺跡が存在することを予見している。


●長浜(ナガハマ)
 nupka-wawa-us-i
 ヌプカ・ワワ・ウシ・イ
 野原の・渡渉する・いつもする・所   

 『北海道蝦夷語地名解』復刻版(永田方正・草風館)に、
 wawa-usi がある。「渡り場」の意。

 nupka-wawa → nuka-wama の転訛。


●シゲノ谷
 sikerpe-ni-us-nay
 シケルペ・ニ・ウシ・ナイ
 キハダの・木・ある・川

 『北海道蝦夷語地名解』復刻版(前同)に、
 sikerpeni-us-nay がある。

 sikerpe-ni → sike-ni の転訛。


●タジマ谷
 tu-osmak-oma-nay
 ト・オシマク・オマ・ナイ
 山崎・の後ろ・に入る・川

●田島坊主(タジマボウズ)
 tu-osmak-oma-nay-putu
 ト・オシマク・オマ・ナイ・プツ
 山崎・の後ろ・に入る・川の・その川口

 tu-osmak → to-shima の転訛。
 putu → pu-u-tu の転訛。

 田島坊主がタジマ谷の山であることは異論がないであろう。山名と山ろく地名の関係にある。地形図で見ると、千両山から八郎川へ尾根が長く伸びており、その尾根の北側へ入って行くのがタジマ谷である。

 nay-putu の形はアイヌ語地名に多い。「川口」「沢口」などと訳されている。南にある坊主山とオモ川も「putu」であると思われる。田島坊主の本来の意は、小ピークのことでなく、タジマ谷と八郎川が交わる川口のことをあらわしている。

 『アイヌ語地名研究2』(アイヌ語地名研究会・北海道出版企画センター)に、
 tu-osmak-oma-nay がある。「尾根・の後ろ・に入る・沢川」の意。


●千両山(センリョウザン)
 set-un-oro-sam-pet
 セッ・ウン・オロ・サム・ペッ
 鳥巣・ある・所・の傍の・川(八郎川の山)

●八郎川(ハチロウガワ)
 paskur-or-pet
 パシクル・オロ・ペッ カラス・の所の・川

●八郎川+千両山
 paskur-set-un-oro-sam-pet
 パシクル・セッ・ウン・オロ・サム・ペッ
 カラスの・巣・ある・所・の傍の・川

 set-un-oro-sam → sen-ro-sam の転訛。
 paskur-oro → has-ro の転訛。

 「この付近の山々の名称については『佐伯郡廿ヶ村郷邑記』(1806年)に御建山八郎山の名が見え、『吉和村絵図』(江戸末期)にも八郎山がある。八郎川という呼称があるので、その水源帯の山の名と思える」
 「千両山の呼称はかなり広くゆきわたっており、多くの村人から『かつてこの付近の山々が千両で売買されてからの呼称である』と聞かされた」(「西中国山地」桑原良敏)。

 千両山と八郎川は元々一つの地名ではなかったかの仮説から上記地名を合成した。西中国山地の同じ地名が別名になっている場合、元々同じ地名の一部が現在の地名となっている場合が多いのではないかと思っている。

 西中国山地では、山名を「サン」と呼ぶのは多くないが、アイヌ語の「san」「sam」の転訛が考えられる。

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カシミールデータ

シラネセンキュウ

総沿面距離18.8km
標高差422m

区間沿面距離
長浜
↓ 2.5km
シゲノ谷
↓ 3.9km
田島橋
↓ 2.8km
千両山
↓ 4.0km
田島橋
↓ 5.6km
長浜
 

 

八郎川へ下る尾根
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より