山歩き

那須集落…ヒコハチ谷…十方山…瀬戸滝 2008/11/1
那須橋…那須集落…カザゴヤ林道…ヒコハチ谷…彦八の頭…カザゴヤキビレ…丸子頭…十方山…瀬戸滝登山口…立岩ダム…那須橋

■彦八の頭(ヒコハチノカシラ)1151m:広島県山県郡戸河内町(点の記) (安芸太田町)
■丸子頭(マルコカシラ)1236m:広島県山県郡戸河内町字横川(点の記) (安芸太田町)
■十方山(ジッポウザン)1319m:広島県佐伯郡吉和村吉和西(点の記) (廿日市市)

那須橋
那須の滝
那須小学校跡
ウラオレ谷
スギ林の中の石垣
石とスギ林のヒコハチ谷
倒木の谷
石の間から幹が出るオヒョウニレ
オオイタヤメイゲツの樹林を進む
恐羅漢山

ブナの登山道 カザゴヤキビレ

道標が立てられた丸子頭
十方山の新しい道標
立岩山
ハウチワカエデ
キリイシのタキ
登山道のブナ
押ヶ垰集落
ミズナラの朽木に生えるヌメリスギタケ
6:35 那須橋出発 晴れ 気温10度
 
キバナアキギリ

7:20 那須小学校跡
7:50 ウラオレ谷
10:20 彦八の頭  
11:30 丸子頭
12:35 十方山
14:50 瀬戸滝登山口 
15:40 立岩ダム
16:45 那須橋 


 那須橋の手前を出発、那須川を上がる。400mほどで杉林の右岸にジョウゼンの谷が降りている。その少し上流に高さ8mの那須の滝が見える。山々は錦を飾る。大正橋を渡ると、ほどなく今アトリエになっている那須小学校跡に到着。

 川沿いのダンコウバイが黄色に染まる。電気柵で囲まれた那須集落を通り、川沿いを進むとウラオレ谷。カザゴヤ林道を上がって行くと、アマゴ禁漁区の看板があり、そこからウラオレ谷へ降りた。

 大岩の谷を渉り、スギ林を少し登ると石垣が残っている。水田跡である。水田はウラオレ谷右岸のダイガハラだけでなく、左岸にもあったようだ。

 石垣の西側へ下りるとヒコハチ谷である。岩がゴロゴロとあるスギ林の谷を登る。スギは大きく伸びているが倒木も多い。上に行くと、僅かだが石積が残っており、ワサビ田であったと思われる。

ムラサキシキブ
キハダ

 サワグルミ、トチノキの傍にゴツゴツしたコルク質の大きいキハダの木があった。スギ林が開けたところは潅木が覆う。谷の上部は大岩が多い。左岸の岩壁を過ぎた先で、珍しくオヒョウニレが数本あった。石の間から幹を伸ばしていた。西中国山地のオヒョウはゴーロ帯によく生えているように思われる。

 キツツキのドラミングが響く。シダの覆うゴーロを通り、ハイイヌガヤ、笹帯に入るとようやく岩の道を抜けた。谷の上部まで石の多い所であった。葉柄の長いオオイタヤメイゲツの紅黄葉の樹林を登る。背丈を越える笹と潅木の急坂を登って尾根に出た。ピンクのテープの下の笹の中に彦八の頭の三角点があった。

 地形図では三角点を踏む道となっているが、昔は登山道が三角点を通っていたのであろうか。笹を分けて登山道に出て進むと、三角点の西に「彦八の頭」の新しい道標が立てられていた。

アサクラザンショウ
ナナカマド

 紅葉の登山道を進む。恐羅漢山は緑で覆われ紅葉が目立たない。紅いウリハダカエデの絨毯を歩く。ブナは黄色に染まる。前方の山腹は点々と紅が目立つ。ウリハダカエデかナナカマドであろうか。カザゴヤキビレのブナ林を抜けると、「藤本新道分れ」にも新しい道標が立ててあった。

 ブナの枯葉の道を進む。ナナカマドの赤い実がたくさん落ちている。実だけをぶら下げた木もある。丸子頭へ新しく道が開かれていた。中に入るとナナカマドの木の下に三角点があり、「丸子頭」の新しい道標がそこに立てられていた。道のない時、笹を分けて入ると遠く感じられたが、道が開かれると丸子頭は登山道から近い。

 中三ツ倉への登りに入ると、恐羅漢、砥石川山、深入山への展望がある。中三ツ倉にも「那須分れ」の道標がある。幹が枯れているようなブナから黄色の葉がたくさん出ていた。「奥三ツ倉」の道標を過ぎると十方山は目の前にある。十方山の道標がはっきりと見える。

ブナ
ダイモンジソウ

 快晴の十方山は多くの人で賑わう。女性が多い。「十方山頂」の新しい道標が立てられている。見通しが良ければ立岩山の先に瀬戸内海が見えるのだが、今日は霞んでいる。登山道を下る。旧恐羅漢山、ケンノジキビレ、焼杉山の南側は緑に覆われている。植林地の山である。立岩貯水池へ降りる山の斜面は紅く染まる。

 コノタのギシから少し下った1000m付近のイヌブナの葉に虫こぶがあった。三ツ倉の下の登山道から見えるキリイシノタキ方向への紅葉が素晴らしかった。真っ紅に光るカエデの登山道を瀬戸滝へ下った。

 錦に染まる山を眺めながら貯水池の道を進んだ。立岩ダムから見る押ヶ垰の集落は紅葉の中にあった。スギ林の中にまだキバナアキギリが残っていた。紅葉の太田川を那須橋へ下った。

ブナハマルタマフシ イヌブナ
ケヤキフクロフシ
ウメモドキ


地名考

 縄文時代中期から後期にかけて日本列島では「磨消縄文土器」(すりけしじょうもんどき)が全国一円に広まった。その発生地は関東地方である。また、抜歯風習、打製石斧、石棒、土偶、浅鉢、注口土器など、それまで西日本になかった文化が広がった。

 日本の縄文語(日本列島共通語)が成立したのは、縄文時代後期であった。アイヌ語とは縄文時代中期の東日本縄文語を祖語とする言語で、アイヌ語系民族は、その言語を受け継いできた唯一の民族であった。

 東日本縄文人が縄文中期に過疎地帯であった西日本へ拡散し、東日本文化が西日本各地に定着した。西日本の人口が縄文後期に爆発的に激増した原因は、東日本縄文人の西方拡散が主因であった。

 (以上「試論・アイヌ語の祖語は東日本縄文語である」清水清次郎・アイヌ語地名研究3号・アイヌ語地名研究会発行・2000年 「和歌山県・高知県のアイヌ語系地名」前同・アイヌ語地名研究10号・同会発行・2007年から)

 戸河内、吉和は縄文の遺物が多い所である。

 東日本縄文文化の影響を受けた人々が、この辺りで生活していたと仮定すると、西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代後期から呼ばれていた可能性のある地名と思われる。
 また、アイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文時代後期を含む縄文遺跡が存在することを予見している。



 
 ウラオレ谷は何度か通っているが、霧の多い所である。

 

●那須(ナス)


●奈須ヶ原(ナスガハラ・那須古名)


 那須はナスガハラが元の地名であろう。那須川は那須集落で曲流する。それが地名の由来である。那須川はナスガハラの転訛と思われる。

 『地名アイヌ語小辞典』(知里真志保・北海道出版企画センター)に、「nupuri-sut」がある。 

 

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カシミールデータ

ヤクシソウ

総沿面距離24.0km
標高差966m

区間沿面距離
那須橋
↓ 6.5km
彦八の頭
↓ 4.9km
十方山
↓ 4.9km
瀬戸滝登山口
↓ 7.7km
那須橋
 

 

1152ピーク 南面
立岩山
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』25000」より