山歩き

アザミ谷…眼鏡峠…表匹見峡 2008/10/13
アザミ谷入口…眼鏡峠(大峠)…小峠…北浦(キトウラ)…萩原…匹見川…表匹見峡…アザミ谷入口

■眼鏡峠(メガネダオ)756m:島根県益田市匹見町道川(819m三角点・点の記)

アザミ谷付近から
アザミ谷のケヤキ
谷を塞ぐ倒木
眼鏡峠
峠の石垣
峠南の道標
往還道を下る
展望地から

スギ林

スギ林の石垣
萩原
匹見発電所
屏風岩
匹見川
7:30 アザミ谷入口出発 晴れ 気温7度
 
キバナアキギリ

9:30 眼鏡峠 
10:25 小峠  
11:00 キトウラ 
11:35 萩原 
12:36 ウオトビ橋 
13:10 フチミ橋  
14:00 アザミ谷 


 
 
 水の少ない匹見川に落ちるアザミ谷を上がる。大きいケヤキの木がある。スギ林を通り、トチノキ、カツラの谷を進む。だんだんと薮、倒木が多くなる。片方の爪が大きいサワガニが居た。峠下にはオニグルミがあり、テリハアザミが多い。アザミの棘を迂回して、アザミ谷入口から2時間ほどで眼鏡峠に出た。

 峠には石垣が残る。眼鏡峠は匹見川沿いの道路が貫通するまで、萩原と下道川を結ぶ往還道であった。昨年「旧大峠(眼鏡峠)往還道健康ウォーク」が行われ、そのため山道が整備されたようだ。

 峠の両側に歩きやすい山道が続いている。峠の南側は清水山と呼んでいるようだ。峠付近のケヤキが紅く染まっていた。「うぉッチズ」12500の地形図では、道は西の谷を降りているが、実際は山腹を通る道である。

ヤマハッカ

 山道はスギの植林帯に入る。733ピークの南側に、林が開けた展望地がある。半四郎山、向半四郎から青路頭への展望がある。向半四郎の西へ上がるジヘイの谷が見える。展望地から少し下るとスギ林の小峠に到着。眼鏡峠を大峠と呼ぶ。

 林間から今降りてきた山が覗き、スギの植林地が大きな緑の帯をつくっている。しばらく下るとスギ林の中に石垣が現れる。水田跡のようである。南面に緩やかな丘が広がっている。北浦(キトウラ)と呼び、かつて二軒の農家があった。

 キトウラから少し下ると、眼下に萩原の集落が見える。谷が煙っていたのは集落の焚き火であった。下まで下ると、往還道は電気柵に阻まれた。電気柵に沿って下り車道に出た。畑に人が居たので声をかけようとすると案山子であった。

 萩原集落の前を通り、307号線を進む。匹見川左岸の中国電力匹見発電所を前に見て進む。イタヤマ谷は岩崖から落ちる谷である。「二ノ代の清水」がある。そこで少し休憩した。冷たい水が旨かった。

ヤマツツジ
スジボソヤマキチョウ
食草 クロウメモドキ・クロツバラ

 表匹見峡トンネルの手前から峡谷に入る。入口に祠がある。魚とび橋を渡る。橋下は魚が越えることのできる小滝となっている。橋の左岸にオニイタヤがあった。ウオトビ橋の少し先に、岩節渓流取水口(12号暗渠)入口の標柱がある。上部に導水管が通っており、匹見発電所に降りている。「岩節渓流」は小虫谷の別名であろうか。

 小虫谷落ち口は小滝がある。屏風岩を見てトンネルを抜ける。下にあるのはオサヨフチ。黒渕の先に小滝が下りている。その先に小石谷(9号暗渠)入口の標柱。シロウクラ、ツゴウ谷を過ぎるとフチミ橋。

 治郎左衛門淵を見てしばらく車道を進み、コグロミ谷の所で川原に下りた。すぐ上流がヤマの谷。コグロミ谷鈩跡、山の谷鍛冶屋炉跡があった所である。川原にヤマツツジが咲いていた。車道に上がると中電の標柱があった。「山の谷渓流取水口(3号暗渠)」「古黒見(4号暗渠)」「四郎谷(5号暗渠)」。ヤマの谷、コグロミ谷、シロウクラのことであろう。

 川原の大ケヤキを通り、トンネルを繋ぐ橋の下を通って出発点に帰着。匹見川沿いはケヤキの多い谷であるが、アザミ谷は大ケヤキのある谷の印象をもった。オヒョウニレを探していたのだが、一本もなかった。

ベニシジミ 食草 スイバ・ギシギシ
ミズキを食べるアゲハモドキ


■周辺三角点所在地

☆819m三角点(茶屋床・チャヤトコ)
島根県益田市匹見町道川

☆733m三角点(治郎兵衛・ジロベエ)
島根県美濃郡匹見町大字落合 益田市

☆558m三角点(丸小山・マルコヤマ)
島根県美濃郡匹見町大字道川字丸子山川平

☆307m三角点(萩原・ハギワラ)
島根県美濃郡匹見町大字匹見字ハズミ


地名考

 縄文時代中期から後期にかけて日本列島では「磨消縄文土器」(すりけしじょうもんどき)が全国一円に広まった。その発生地は関東地方である。また、抜歯風習、打製石斧、石棒、土偶、浅鉢、注口土器など、それまで西日本になかった文化が広がった。

 日本の縄文語(日本列島共通語)が成立したのは、縄文時代後期であった。アイヌ語とは縄文時代中期の東日本縄文語を祖語とする言語で、アイヌ語系民族は、その言語を受け継いできた唯一の民族であった。

 東日本縄文人が縄文中期に過疎地帯であった西日本へ拡散し、東日本文化が西日本各地に定着した。西日本の人口が縄文後期に爆発的に激増した原因は、東日本縄文人の西方拡散が主因であった。

 (以上「試論・アイヌ語の祖語は東日本縄文語である」清水清次郎・アイヌ語地名研究3号・アイヌ語地名研究会発行・2000年 「和歌山県・高知県のアイヌ語系地名」前同・アイヌ語地名研究10号・同会発行・2007年から)

 周辺の匹見川沿いは縄文遺跡の多い所である。上流には前田中遺跡、ダヤ前遺跡、ウエナヤ遺跡の縄文遺跡がある。

 東日本縄文文化の影響を受けた人々が、この辺りで生活していたと仮定すると、西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代後期から呼ばれていた可能性のある地名と思われる。
 また、アイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文時代後期を含む縄文遺跡が存在することを予見している。


●アザミ谷
 as-sam-pet
 アシ・サム・ペッ
 潅木・の傍の・川

●眼鏡峠(メガネダオ)
 pet-e-kari-nay-taor
 ペッ・エ・カリ・ナイ・タオル
 川が・そこで・回っている・川の・高岸

○アザミ谷+眼鏡峠
 as-sam-pet-e-kari-nay-taor
 アシ・サム・ペッ・エ・カリ・ナイ・タオル
 潅木・の傍の・川が・そこで・回っている・川の・高岸

 西中国山地では川名と山名が同じ場合が多い。これは一般的に言えることだが、山麓地名から山名が形成される。眼鏡峠の由来に、特別な事情がないのであれば、山麓地名が元になっていると思われる。眼鏡峠はアザミ谷落ち口の川の曲流地形のことと思われる。

 北海道にペテガリ沢川がある。下流の曲流にその由来がある。ペテガリ沢川の水源にあるのがペテガリ岳である。

 pet-e-kari-i
 ペッ・エ・カリ・イ
 川が・そこで・まわっている・もの(川)
 (北海道の地名・山田秀三)

ペテガリ沢川

 

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カシミールデータ

サワガニ

総沿面距離14.0km
標高差491m

区間沿面距離
アザミ谷入口
↓ 3.4km
眼鏡峠
↓ 3.4km
萩原
↓ 3.1km
ウオトビ橋
↓ 4.1km
アザミ谷入口
 

 

展望地から
 半四郎山     向半四郎山                                                      青路頭
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』25000」より