山歩き

セト谷…ゴロシのタキ…黒ダキ山…細見谷 2008/9/28
小松原橋…カラ谷…木馬道…瀬戸滝上…セト谷…サイガ原…ゴロシのタキ…黒ダキ山…ホトケ谷…下山林道…立野…小松原橋

■黒ダキ山(クロダキヤマ)1084.7m:広島県廿日市市吉和細見谷(点の記) (廿日市市)

道路沿いのハルニレ
ハルニレ
ハルニレ
木馬道の石垣
瀬戸滝上段
セト谷
ハリギリの大木

サイガハラの平坦地

ゴロシのタキの谷
谷を塞ぐ倒木
三ツ倉
ゴロシのタキの岩壁
十方山
黒ダキ山
ホトケ谷
ブナハリタケ
6:40 小松原橋出発 曇り 気温10度
 
アキノキリンソウ

7:05 ハルニレ 
8:10 カラ谷 
9:10 瀬戸滝上 
10:35 右谷分岐 
12:45 ゴロシのタキ下 
13:30 登山道 
13:55 黒ダキ山  
16:30 下山林道 
17:15 立野
17:30 小松原橋

 
 小松原橋付近から車道を進んだ。道沿いにケヤキが多い。瀬戸滝登山口駐車場に犬を散歩させていたおじさんがいた。クマを捕まえたことのある犬は元気に飛び回っていた。これから山にコウタケを取りに行くというおじさんに、ハルニレを見たことがないか聞いてみたが知らないという。

 登山口から200mほど進んだところにハルニレらしき枯葉が落ちていた。目の前の大木がハルニレのようだった。斜面の下にその大木の子の木があった。降りて背の高さの枝を確かめ、間違いなくハルニレであった。親の木は周囲2.22mであった。土橋のハルニレが4.26m、400年だから、ダムができる前からここにあった木であろうか。周囲を見ると、この辺りに7、8本のハルニレがあった。ここのハルニレはどこからその種がやってきたのであろうか。

ハルニレの葉

 引き返して登山口へ戻った。もう十方山への登山者が準備しているところだった。瀬戸谷の遊歩道を上がり、カラ谷を登った。カツラの大木がある。すぐ上は石垣のある昔の木馬道(キンバミチ)である。ハルニレらしき大木を近くで確かめるとハリギリであった。木馬道を瀬戸滝へ進んだ。

 伐採木を滑り降ろした木馬道はアライ川を渡って瀬戸滝の上を通っていたが、石垣が崩れてしまった。アライ川の右岸に瀬戸滝の上に出る取り付きがある。昔は鋼のロープを張った山道であったが、今は滑りやすく崩れた道となってしまった。

サンインヒキオコシ
オオバショウマ

 瀬戸滝の上を大休ミと呼んでいる。休むところと思っていたが、アイヌ語で意味のある地名である。木馬道はセト谷の右岸に続いているが所々崩れている。一ノ谷を通り、さらにその先でミズメが倒れ道を塞ぐ。石垣の残る道を進み、左岸の石垣が見えてくると、タガタノ谷である。タガタノ谷落ち口の西側は平坦地の林になっている。縦に深い裂け目のある大きなハリギリの木があった。谷の分岐付近の右岸の林の中に低い石積みが残っている。

 谷の分岐を左に進む。ゴロシのタキへ上がる手前の左岸に平坦地がある。おそらくこの辺りがサイガ原と思われる。ゴロシの谷は小さい歩き易い谷であるが、谷が狭まってくると、倒木や枝に覆われてくる。右岸の崩壊地を過ぎ、倒木を越えると黒い岩の谷道となる。振り返ると小山があった。三ツ倉のようである。

ダイモンジソウ
サラシナショウマ

 スギの大きい木を過ぎると大岩が谷を塞いでいた。そこからほどなく岩壁に突き当たった。ゴロシのタキである。崖伝いに西側へ回り込み小尾根を上がり登山道へ出た。ゴロシのタキの上は展望の良いところである。十方山の山頂付近は薄く雲が掛かっていた。

 ゴロシのタキから20分ほどで黒ダキ山。伐採された林が茂り展望はない。南の尾根を下った。途中岩場がある。岩場から女鹿平山が見える。ホトケ谷へ降りた。緩やかな谷を下ると滝に阻まれた。尾根の斜面を下り、イカダ滝上部の登山道に出た。そこからほどなく下山林道へ出た。45分ほどで立野キャンプ場着。


地名考

 縄文時代中期から後期にかけて日本列島では「磨消縄文土器」(すりけしじょうもんどき)が全国一円に広まった。その発生地は関東地方である。また、抜歯風習、打製石斧、石棒、土偶、浅鉢、注口土器など、それまで西日本になかった文化が広がった。

 日本の縄文語(日本列島共通語)が成立したのは、縄文時代後期であった。アイヌ語とは縄文時代中期の東日本縄文語を祖語とする言語で、アイヌ語系民族は、その言語を受け継いできた唯一の民族であった。

 東日本縄文人が縄文中期に過疎地帯であった西日本へ拡散し、東日本文化が西日本各地に定着した。西日本の人口が縄文後期に爆発的に激増した原因は、東日本縄文人の西方拡散が主因であった。

 (以上「試論・アイヌ語の祖語は東日本縄文語である」清水清次郎・アイヌ語地名研究3号・アイヌ語地名研究会発行・2000年 「和歌山県・高知県のアイヌ語系地名」前同・アイヌ語地名研究10号・同会発行・2007年から)

 立岩ダムの下流には筒賀の縄文遺跡、上流には吉和の縄文遺跡がある。

 東日本縄文文化の影響を受けた人々が、この辺りで生活していたと仮定すると、西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代後期から呼ばれていた可能性のある地名と思われる。
 また、アイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文時代後期を含む縄文遺跡が存在することを予見している。


●セト谷
 chironnup-set-us-nay
 チロンヌプ・セッ・ウシ・ナイ
 獲物の・巣・多い・川

○広瀬(ヒロセ)
 chironnup-set-us-i
 チロンヌプ・セッ・ウシ・イ
 獲物の・巣・多い・所

 瀬戸滝のある谷をセト谷と呼んでいる。セト谷の落ち口付近は字名が「広瀬」である。チロンヌプはキツネ、テンを指す場合もある。


●大休ミ(オオヤスミ)
 poro-ya-us-supi-pa
 ポロ・ヤ・ウシ・スピ・パ
 大きい・陸岸・ある・激湍の・上手

 大休ミは瀬戸滝上部にあるが、「ポロヤ」は瀬戸滝の岩壁を示している。「激湍」は滝の流れ。細見谷のオオリュウズの上を「休み場」と呼んでいる。休場くらいに思っていたが、元々の原名は「オオヤスミバ」であったと思われる。

○休み場(ヤスミバ・細見谷のオオリュウズの上)
 ya-us-supi-pa
 ヤ・ウシ・スピ・パ
 陸岸・ある・激湍・の上手


●タガタノ谷
 putu-pirka-tay-oma-nay
 プト・ピリカ・タイ・オマ・ナイ
 その川口に・良い・林・ある・川

 「タガタの谷」付近は、開けた平坦地で、昔水田、畑を作った跡である田形がある。左谷との出合付近の右岸は、杉林の平坦地である。ここにも石垣をめぐらした田形があり、かつて人が住んでいた場所のようだ」(「西中国山地」桑原良敏)。

 タガタノ谷から出合まで平坦地となっており、低い石積みが残っている。ここに人が住んでいたとすれば畑などの地にふさわしい場所と思われる。人が住む以前からタガタと呼ばれていたと思っている。

 putu-pirka-tay → tu-ka-ta の転訛。


●サイガ原(サイガハラ)
 ichan-inun-koypok-kus-haru-us-nay
 イチャン・イヌン・コイポク・クシ・ハル・ウシ・ナイ
 イワナヤマメ産卵場・漁場の・西を・通る・食料・多い・川

 サイガハラの呼び名に近い地名に、西中国山地では「サイノカミ」と呼ぶ地名がいくつかある。サイガ原は特徴のない平坦地にある。「イチャン」は北海道では「サケ・マス産卵場」の意であるが、もしイワナを表しているとすると縄文時代にここにゴギが居たことになる。


●ゴロシのタキ
 inkar-us-nup-tapkop
 インカル・ウシ・ヌプ・タプコプ
 眺める・いつもする・野の・小山

 「ゴロシのタキ」について「西中国山地」に説明がないが、「懸崖」(タキ)の意であろうと思われる。「タキ」はアイヌ語の「タプコプ」の転訛であると思っている。「ゴロシのタキ」の上の尾根から見る十方山は素晴らしい眺めである。


●黒ダキ山(クロダキヤマ)

○黒ダキ山
 kut-utur-us-tapkop
 クッ・ウトル・ウシ・タプコプ  
 クロダキ谷の・小山

○クロダキ谷
 kut-utur-us-tapkop-nay
 クッ・ウトル・ウシ・タプコプ・ナイ
 崖・の間・にある・小山・沢

 kut-utur-tapkop → ku-ru-tako の転訛。

 「黒ダキ山より細見谷へ落ちている小谷をクロダキ谷という。この谷が細見谷本流へ落ちるところから、少しこの谷へ入った所に10メートルくらいの立派な滝がある。この滝をクロ滝と誤認しているらしい。この滝は無名であり、クロダキは滝の名称ではなく前述の如く山頂にある懸崖の呼称である」(「西中国山地」)。

 私も最初、クロダキとは細見谷に落ちる滝のことだと思っていたが、そうではない。「黒ダキ」は「黒い懸崖」の意となるが、この懸崖は黒くない。「懸崖」を「小山」に置き換えると地名の意味がより鮮明になる。

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カシミールデータ

ホツツジ

総沿面距離15.6km
標高差636m

区間沿面距離
小松原橋
↓ 5.6km
右谷分岐
↓ 2.1km
ゴロシのタキ下
↓ 1.3km
黒ダキ山
↓ 2.9km
下山林道(大岩)
↓ 3.7km
小松原橋  
 

 

十方山 ゴロシのタキから
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より