山歩き

タテバシリ…同形山…阿佐山…カタラ谷 2008/9/14
駐車場…タテバシリ…畳山下のリフト…ツチダキ谷…同形山…ツチダキ…阿佐山…猪子山越…カタラ谷…駐車場

■同形山(ドウギョウヤマ)1212m:島根県邑智郡瑞穂町大字市木字同形鉱山(点の記) 邑南町
■阿佐山(アサヤマ)1218.2m(ドウゲン山):広島県山県郡芸北町大暮字阿佐山(点の記) 北広島町

黄葉のオヒョウ
ヤマハンノキ
タテバシリのオヒョウ
阿佐山と同形山
畳山ゲレンデから猪子谷川を望む
カツラの巨木
阿佐山

大朝を望む

阿佐山
ブナ林を下る
伐採地の西に残るブナ林と畳山
伐採されたカタラ谷、タキガ谷
スギ林を下る
ゴーロ帯にある周囲2mのオヒョウ(真中の木) カタラ谷
カタラ谷のオヒョウ
オオマルバノテンニンソウ
6:40 駐車場出発 晴れ 気温19度
 
アキチョウジ

7:20 ゲレンデ棟
9:00 畳山下のリフト
9:40 カタラ谷落口
11:45 同形山
12:25 ツチダキ
12:45 阿佐山
13:50 猪子山越 
15:10 ゲレンデ棟
15:25 駐車場

 
 瑞穂スキー場の下の駐車場を出発。出発点の少し下辺りからオヒョウが黄葉していた。この周辺で3ヶ所5本のオヒョウを確認。畳山の南側では見られなかったオヒョウがこちらでは簡単に見つかった。落葉を集めてカメラに収める。オヒョウがあった所は石の重なるガレ場であった。道路沿いはスギの植林地になっている。猪子谷川の右岸にも1本あった。

 ツリフネソウの咲く道を進むと、スキー場へ入るゲートが閉じられている。広い駐車場を上がる。スギの植林地の真中辺りの前に大きいケヤキが立っていた。ヤマハンノキが多い。サンヨウブシの群生する山下を進む。スキー場建物の裏にオヒョウが4本あった。

オヒョウの枯葉 猪子谷川
シンミズヒキ

 畳山へ上がるゲレンデの東側を進む。タテバシリの谷はコンクリートの側溝となり、木のふたが被さっている。このタテバシリの谷沿いに3ヶ所でオヒョウがあった。振り返ると猪子山川の向こうに山並みが見える。

 ゲレンデの斜面にオタカラコウが咲いている。草原であるが下は水流のあるところのようだ。クサギが花のような実を付ける。リフトの下に回りこむとゴイシシジミが笹に留まっていた。サルナシが実を付けていた。かじってみたがまだ酸っぱい。

 畳山下のリフトで一休み。1033ピークの左右にドウゲン山(阿佐山)、同形山(北の阿佐山)がある。東側のゼルコバコースへ降りると静かなブナ林であった。畳山ゲレンデの西側に沿って降りた。ブナに実が生る。あちこちイノシシが掘り返している。西側のゲレンデにオヒョウは無かったが、カタラ谷の入口に2本あった。

サンヨウブシ
クマの糞

 同形山に向ってゲレンデを上がった。中ほどにカツラの巨木があった。私のスケールでは計れない周囲5m以上はありそうである。一度主幹が折れて枝が残っていた木のようだ。主幹にウリハダカエデが寄生していた。草原にクマの黒い糞があった。尾根の大岩を通り1時間ほどで同形山。リフト工事中であった。

 休憩していると北側から登山者がやってきた。深山にバイクを置いて阿佐山へ登り、天狗石山へ回ると言う。半袖、半ズボンの姿には驚いた。ここからは薮が多いですよとだけは言った。

 頂上のゲレンデを一回りしてツチダキへ降りた。同形山から30分ほどで阿佐山。小屋で一休みの後、東の尾根のブナ林を下った。尾根の南側は丸裸となっている。展望は良いが伐採されたのはブナ林であろうか。畳山と直下のリフトが目前に見える。先週下ったカタラ谷、大谷が足下にあった。

ゴイシシジミ

 1時間ほどで猪子山越。薮のカタラ谷水源を降りる。トチノキ林を過ぎるとスギの植林地に入る。踏み跡が残っている。これではオヒョウは残っていないだろうと思いながら下っていると、スギ林の中の少し明るい所にオヒョウがあった。周囲2mの大きいオヒョウを中心に小木が10本ほどあった。

 その辺りはゴーロで岩がごろごろしていて、スギが入り込めない所にオヒョウが成長したようである。スギが植林される前はオヒョウの林があったと思われる。

 カタラ谷がツチダキ谷と合流する所で道がゲレンデに上がっていた。ゲレンデを下ると駐車場に車両が止めてあった。スキー場の準備がされているようであった。

 タテバシリ、カタラ谷で7ヶ所25本のオヒョウを確認した。これは線での確認だから、カタラ谷、タテバシリ東面の山中には、まだ相当数のオヒョウがあると思われる。

サルナシ


地名考

 縄文時代中期から後期にかけて日本列島では「磨消縄文土器」(すりけしじょうもんどき)が全国一円に広まった。その発生地は関東地方である。また、抜歯風習、打製石斧、石棒、土偶、浅鉢、注口土器など、それまで西日本になかった文化が広がった。

 日本の縄文語(日本列島共通語)が成立したのは、縄文時代後期であった。アイヌ語とは縄文時代中期の東日本縄文語を祖語とする言語で、アイヌ語系民族は、その言語を受け継いできた唯一の民族であった。

 東日本縄文人が縄文中期に過疎地帯であった西日本へ拡散し、東日本文化が西日本各地に定着した。西日本の人口が縄文後期に爆発的に激増した原因は、東日本縄文人の西方拡散が主因であった。

 (以上「試論・アイヌ語の祖語は東日本縄文語である」清水清次郎・アイヌ語地名研究3号・アイヌ語地名研究会発行・2000年 「和歌山県・高知県のアイヌ語系地名」前同・アイヌ語地名研究10号・同会発行・2007年から)

 畳山東側・阿佐北側は縄文・弥生の遺跡の多い所である。東日本縄文文化の影響を受けた人々が、この辺りで生活していたと仮定すると、西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代後期から呼ばれていた可能性のある地名と思われる。
 また、アイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文時代後期を含む縄文遺跡が存在することを予見している。


●タテバシリ(畳山北)
 at-e-us-a-pa-sir
 アッ・エ・ウシ・ア・パ・シリ
 オヒョウニレ・そこに・群生する・我ら・見つけた・山

 「吉和村誌」によると西中国山地で比較的稀種として、オヒョウ、クロカンバ、サラサドウダンなどが挙げられている。オヒョウは三段峡、細見谷、冠山の小川、寂地峡などで見られるが数は少ない。縄文の人々がここにやってきて、オヒョウの群生地を見つけ、思わず「我ら見つけた山」と言ったのかもしれない。

 「ア・パ・シリ」の原名は「我ら・見つけた・土地」で網走のことである。

 「アイヌの人たちは、衣服の材料を身近な自然に求めた。織物の材料となる木は主にオヒョウ、シナノキ、ハルニレの内樹皮の繊維であり、なかでもオヒョウはひもとして最も適しているうえ、柔らかく丈夫なので布に織って着物を作った。その樹皮をアットウシ(厚司)と呼んでいる。アツルシ(ニレ皮・衣)の意であろう」(「アイヌ植物誌」福岡イト子)。

 オヒョウニレの「オヒョウ」もアイヌ語の「opiw」(オピゥ、樹皮)が語源と思われる。


●カタラ谷

 「峠をはさんだ両側でカタラ谷という同じ谷の名が使われているのは興味を引く。猪子山谷には茅野、聖岩、畠、同形、芦谷という名の鈩があり、大谷にも鈩があったのでカタラ谷という名称は、タタラ谷が転訛したものと簡単に考えていたが、これは間違っていた」(「西中国山地」)。

 桑原氏はカタラ谷はタタラの転訛ではないとされている。近辺の同じ地名が異なる河川にある場合、アイヌ語では「東の」「西の」という呼び方をする。

 sum-kata スム・カタ 西の
 koy-kata コイ・カタ 東の

○カタラ谷(西側)
 sum-kata-at-kar-us-nay
 スム・カタ・アッ・カラ・ウシ・ナイ
 西の・ニレ皮を・取る・いつもする・川

○カタラ谷(東側)
 koy-kata-at-kar-us-nay
 コイ・カタ・アッ・カラ・ウシ・ナイ
 東の・ニレ皮を・取る・いつもする・川


●阿佐山(アサヤマ・トウゲン山)
 at-sam
 アッ・サム
 オヒョウニレ・の傍

●タキガ谷(阿佐山へ南から上がる)
 tapkop-kes-oma-nay
 タプコプ・ケシ・オマ・ナイ
 タンコブ山・の端・に入る・沢

○阿佐山+タキガ谷
 at-sam-tapkop-kes-oma-nay
 アッ・サム・タプコプ・ケシ・オマ・ナイ
 オヒョウニレ・の傍の・タンコブ山・の端・に入る・川

 西中国山地に所々「滝」を含む地名が山名になっていることがある。これが元々山名として呼ばれているなら、川の滝のことでなく、「タプコプ」の転訛と思われる。「オヒョウニレの傍」とはカタラ谷のことであろう。

 ドウゲン山も「タプコプ・ケシ」の転訛ではないだろうか。

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カシミールデータ

キバナアキギリ

総沿面距離12.4km
標高差598m

区間沿面距離
駐車場
↓ 3.1km
畳山下リフト
↓ 3.4km
同形山
↓ 1.6km
阿佐山
↓ 4.3km
駐車場
 

 

 

伐採地の尾根の北側に残るブナ林と畳山、南側のカタラ谷
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より