山歩き

タテイワ谷…立岩山…シケの谷…ウス谷 2008/6/14
ウス谷入口…タテイワ谷…ツガ大木…尾根登山道…立岩観音…立岩山…シケの谷…ウス谷…ウス谷入口

■立岩山(タテイワヤマ)1135.0m:広島県山県郡筒賀村大字上筒賀字立岩山(点の記) 安芸太田町

ウス谷落口
筒賀川 モリ谷落口
浄水場跡
ツガの大木

ヒノキ林に入るとトラバース道

倒木の谷を渡る
登山道のマムシ
クマの糞
チュウゴクザサの開花
十方山と立岩貯水池
シケの谷のヒノキ林を下る
クマの寝床のあったスギの倒木
シケの谷の石垣 ここから水流が始まる
長く続くシケの谷の石垣
小ゴルジュを下る
草で覆われた林道終点
ウス谷 臼谷橋から
サワギク
サルメンエビネ
6:40 ウス谷入口出発 晴れ 気温16度
 
コジャノメ

7:15 タテイワ谷
7:55 右谷分岐
8:15 ツガ大木
8:35 ヒノキ林入口
9:40 尾根登山道
10:25 立岩観音
10:35 立岩山
11:10 シケの谷
13:00 林道終点
13:40 臼谷橋
13:55 ウス谷入口


 臼谷の落口付近を出発。ヤマボウシが咲き、道路沿いにヤマナシが青い実を付けていた。畑にダイダイの花が咲く。農作業のおじさんに聞いてみると、アオダモは知らない、昔は炭を焼いていたが、今は焼く人はいない。ナラ、クヌギを焼いていたとのこと。
 
 クワノキに赤い実が生っていた。川沿いにケヤキの大木がある。民家の人にも聞いて見たがアオダモは知らなかった。カイガラヅカは聞いたことはあるが、場所は知らないと。

 大歳神社の横に藤源太谷川の看板がある。「西中国山地」ではモリ谷と呼んでいる。カキノキの花が咲く。タテイワ谷の入口にアサガラが花をぶら下げていた。野菜の無人販売所の横からタテイワ谷左岸を上がった。

ヤマナシ
ダイダイ?

 コガクウツギ、ヤブウツギ、エゴノキ、ガマズミ、コアジサイが咲き、トゲのないサンショウが実を付け始めていた。浄水場跡を通る。あちこちにアサガラがぶら下がる。40分ほどでタテイワ谷と右谷の分岐。タテイワ谷はアオダモの多い谷のようだが、花の時期は過ぎていた。

 谷の分岐を右谷右岸に渡り、少し登ると右谷へ降りる道がある。右谷の道は、昔、村人が立岩観音に通った参道であったと言う。尾根を登るとツガの大木があった。山道はこのツガの尾根を登っていく。

 ツガの尾根を過ぎると、左谷上のヒノキ林をトラバースする道がある。左谷を渡り、ヒノキ林の中のミズナラの大木を通り、次の小谷の倒木の下を潜り、さらに次の谷で道は分岐する。その分岐に石積があった。テープがその谷を上がっているが、道がはっきりしている、さらにもう一つ西の谷を上がった。

コアジサイ
ミズタビラコ

 スギ林の谷を上がると、主尾根の登山道から降りる小尾根に出た。そこから20分ほどで尾根の登山道に到着。マムシがトグロを巻いて出迎えてくれた。

 登山道を立岩山へ進む。ガマズミはもう青い実を付けている。クマのものと思われる黒い糞があった。サルナシに小さいツボミが付く。チュウゴクザサが開花していた。尾根が細くなると、コツクバネウツギ、ヤマツツジの花が迎えてくれる。

 立岩谷から3時間ほどで山頂。山頂のベニドウダンはもう終わっていた。立岩貯水池に浮かぶ島に水がない。ダムの水量が減っている。休んでいた足元に、コジャノメが留まった。瀬戸内海は霞んで見えない。十方山を撮影して出発。市間山への登山道を進み、急な下りに入った所で、ヒノキ林のシケの谷へ降りた。下るとスギ林に変わる。

コツクバネウツギ
ベニドウダン

 20分ほど下った所で、下方で枝を折る音がした。50m下の所を、皮の弛んだクマがゆっくりと小尾根を登り、すぐに林の中に消えた。痩せた大人のクマであった。スギの倒木にクマの休んでいた跡が残っていた。ここで寝ていたクマが、鐘の音に気付いて去った行ったようだ。

 クマが現れた所からほどなく石垣があった。そこはシケの谷に初めて水流が出る所であった。その石垣は下のウス谷へ続いていたようだが、今は崩れて歩きにくくなっている。ワサビ田であった石垣であろうか。倒木と石垣を下り、小ゴルジュを降りた所で、左岸の尾根にテープが点々と続いていた。左岸の踏み跡らしき所を下り、明瞭な山道に出た。その先は林道終点であった。

 林道終点から「足元確認」と書かれた、862ピークへ向う山道とウス谷の山道の二つに分かれている。草で覆われた林道を下ると、放置された乗用車があった。そこから急なヒノキ林を下った。林下は草一つない。平坦地に出るとササユリが一つだけ咲いていた。ウス谷を上がる左岸の道を下り、ウス谷林道に出た。そこから15分で出発点に帰着。


地名考

 「アイヌ語地名研究3号」(アイヌ語地名研究会発行・2000年)に、清水清次郎氏の「試論・アイヌ語の祖語は東日本縄文語である」との一文が掲載されている。以下はその要旨である。

 縄文時代中期から後期にかけて日本列島では「磨消縄文土器」(すりけしじょうもんどき)が全国一円に広まった。その発生地は関東地方である。

 縄文時代中期(5000年〜4000年前)の日本列島の人口は26万人程度で、中国地方の人口密度は100平方キロ当たり、4人であった。気候の寒冷化によって、東日本縄文人の何割かが温暖な西日本に移動した。東日本縄文諸文化は縄文時代後期には、九州北部、北海道にも波及した。

 日本の縄文語(日本列島共通語)が成立したのは、縄文時代後期であった。アイヌ語とは縄文時代中期の東日本縄文語を祖語とする言語で、アイヌ語系民族は、その言語を受け継いできた唯一の民族であった。

 遺伝子の研究が進み、関東地方(埼玉県)の縄文人骨から得られたミトコンドリアDNA(遺伝子)が現在のアイヌ民族と同じであることが判明した。この事実は関東縄文人は古墳時代の毛人(エミシ、アイヌ系)の祖先であることにつながる。縄文時代中期以降の関東人はアイヌ系の言語を用いていたと考えて良い事になる。

 東日本縄文人が縄文中期に過疎地帯であった西日本へ拡散し、東日本文化が西日本各地に定着した。西日本の人口が縄文後期に爆発的に激増した原因は、東日本縄文人の西方拡散が主因であった。

(以上「試論・アイヌ語の祖語は東日本縄文語である」から)


 立岩山周辺の縄文遺跡に以下がある。

 ・上殿遺跡(上殿小学校跡・太田川左岸) 縄文早期
 ・箕角1号遺跡(太田川左岸)
 ・釜鋳谷遺跡(カマイダニ 筒賀川右岸) 縄文晩期
 ・半坂遺跡(吉和川右岸) 縄文早期から後期
 ・冠遺跡(吉和) 旧石器時代から弥生時代

 京之本遺跡は太田川と筒賀川が合流する上殿地区にある。

 「縄文土器の出土が注目される。押型文土器・無文土器・条痕文土器は縄文時代早期、磨消縄文は後期、深鉢は晩期と推定される」(「京之本遺跡」25P・戸河内町教育委員会・平成2年)。

 吉和(廿日市市)の半坂遺跡、女鹿平4号遺跡などからも、磨消縄文土器が出土している。

 「加曽利E式土器(縄文土器) 千葉県粟島台 関東地方を中心に分布した縄文時代中期の煮沸用土器で、加曽利E式土器と呼んでいます。器面に描かれた磨消縄文(すりけしじょうもん)という意匠は、のち西日本の縄文土器にも影響を与えました」(「山口県立山口博物館HP」)。

 「比治山貝塚 貝層は,上・下の2層に分かれ,上層から縄文時代晩期前半(約2,500年前)の灰褐色磨研土器,下層から縄文や同心円状の磨消縄文をめぐらす縄文時代後期後半(約3,000年前)の土器などが出土している」(「広島県の文化財」HP)。

 磨消縄文は、土器の表面全体に縄文を付けた上から線描で文様の輪郭を描き、その区画からはみ出た縄文を磨り消して文様を浮き出させる技法のことをいう。

 広島市内の比治山や西中国山地の上殿、吉和では、磨消縄文土器が出土しており、東日本縄文文化の影響があったと考えられる。

 東日本縄文文化の影響を受けた人々が、この辺りで生活していたと仮定すると、アイヌ語によって地名の意味を合理的に説明できれば、その地名は縄文時代後期から呼ばれていた可能性のある地名と思われる。
 また、アイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文時代後期を含む縄文遺跡が存在することを予見している。

 そのような地名に、周辺の山名では、恐羅漢山、十方山、五里山(ゴリヤマ)、立岩山などを挙げることが出来る。

●立岩山

 「立岩山の山頂付近の岩塊には呼称が付いていないようだ。そうなると立岩山は『立岩という岩塊のある山』という意ではないと考えざるを得ない。タテは『険しい』という意で、タテ岩は『岩が立っているように険しい』という意味となり、立岩山は、単に『険しい山』という意味となる」(「西中国山地」桑原良敏)。

 立岩山が「立岩のある山」の意でないとすると、「タテイワ谷の山」と解する方が理に適っている。「山ろく地名が山名に優先する」事例が一般的である。

 立岩谷の中にその地名の由来が存在すると考えられる。アイヌ語では以下の意となる。

○タテイワ谷
 u-at-te-iwani-us-nay
 ウ・アッ・テ・イワニ・ウシ・ナイ
 お互いを・群がら・せる・アオダモ・たくさんある・川

 at-te-iwani → tate-iwa の転訛。

●五里山(ゴリヤマ)とヤマダチ谷

 御境から東の京ツカ山へ続く、長い県境尾根の中ほどに1124ピークと1064ピークがある。2万5千地形図では、その二つのピークの辺りを、文字の間隔をあけて五里山と記している。国土地理院のウオッちずの地名検索では「ゴリサン」となっているが、「ゴリヤマ」が正しい。

 山名は、その山の谷名や山麓地名から決まることが多い。五里山とヤマダチ谷は一見すると関係ない地名と思われるが、アイヌ語からみると、同じ山名と山麓地名の関係にある。

 「フキ」のアイヌ語名は多いが、その中の一つに「コリヤム」があり、「フキの葉」の意がある。五里山へ南から上がっているヤマダチ谷は、アイヌ語で以下の意となる。

○ヤマダチ谷
 kori-yam-ta-us-nay
 コリ・ヤム・タ・ウシ・ナイ
 フキの葉を・採る・いつもする・沢

 yam-ta-us → yama-ta-chi の転訛。

 「フキの葉をいつも採っている沢」の意だが、「ta-us-nay」の形式はアイヌ語に多い地名である。この形の地名は、北海道日高郡静内に春立(ハルタチ)がある。
 
 ハルタチ
 haru-ta-us-nay
 ハル・タ・ウシ・ナイ(食料を・採る・いつもする・川)
             (『北海道の地名』山田秀三より)

○五里山(ゴリヤマ)
 kori-yam-ta-us-nupuri
 コリ・ヤム・タ・ウシ・ヌプリ
 ヤマダチ谷の・山

 kori-yam → gori-yama の転訛。

 アイヌ語では「コリヤム」で一つの単語であり、「フキの葉」を意味し、「コリヤム」の呼び名に「五里山」(ゴリヤマ)を当てたと思われる。

 「五里山の初見は陸地測量部発行の『輯製二十万分の一図・広島』(明治二十一年)であろう。この地図に記入してある五里山は現在の地図の地点より更に西南に記されている」(「西中国山地」桑原良敏)。

 ヤマダチ谷の水源に五里山があるのは偶然でなく、山麓地名のヤマダチ谷から五里山の地名が形成されたのであろう。

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カシミールデータ

シラフシロオビナミシャク

総沿面距離10.3km
標高差636m

区間沿面距離
ウス谷入口
↓ 2.1km
タテイワ谷
↓ 3.3km
尾根登山道
↓ 1.2km
立岩山
↓ 3.7km
ウス谷入口
 

十方山と立岩貯水池

登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より