山歩き

八ツ木峠…雨山…アシハラ峠…雲月山 2007/10/7
土橋(ツチハシ)…八ツ木峠…雨山…アシハラ峠…雲月峠…遠見所山…高山…大休ミ…雲月山…中の谷…土橋バス停

■雲月山(ウツツキヤマ)911.8m:山県郡芸北町大字土橋字雲月山(点の記)(点名:うつづきやま:二等三角点) (北広島町)

刈り取り前の稲穂 土橋
土橋のハルニレ
ハルニレ
ハルニレ
カワムカイ谷西の刈り取りの終わった田
土橋地区簡易水道施設
上の貯水槽から
スギ林を進む
2.8mブナ
土塁の雨山
雨山北のカラマツ林
オニグルミ、カツラの谷
雲月鉄穴跡
かんな跡のヤマハンノキ林
ススキの道を上がる
シンボルマークの先に高杉山
雲月山
クロマツ
雲月山
高山と遠見所山
山の斜面で草を食む牛
トリカブト
7:00 土橋出発 晴れのち曇り 気温11度
 
ムギワラトンボ

8:25 八ツ木峠
10:00 雨山
11:00 アシハラ峠
11:15 雲月峠
11:30 遠見所山
11:40 高山
11:50 大休ミ
12:00 雲月山
12:35 中の谷
13:00 土橋バス停

 雲月山入口の土橋バス停を出発。バス停を右に折れ、ハタガ谷東の刈り取られた水田の真ん中の道を進むと、突き当たりの民家の山の斜面にハルニレの巨木がある。「天然記念物 ニレ」と書かれた石柱が立っている。

 根元には小さい祠が置かれていた。民家のおじさんに聞いてみると、400年ほどの樹だと言う。大きさを聞いてみると、分からないと言いながらワザワザ測ってくださった。手伝って測ってみると、胸幹周4.26mの巨木であった。周辺にハルニレは無く、祠は後で置いたもので、ハルニレとは直接関係ないと言われた。

 ハルニレの一部はもう黄葉が始まっていた。ハルニレの木の前の道を東へ進んだ。マユミがピンクの実をぶら下げている。ヨウシュヤマゴボウは濃いムラサキの実を付けていた。「夢樹木園」を過ぎると、車道は右へ曲がる。南側のカワムカイ谷沿いに、刈り取られた黄色の田が広がっている。

オケラ
マユミ
オグルマ

 カワムカイ谷から北東へ上がる小川の道を進むと、「土橋地区簡易水道施設」に出る。林道がカケの原に向って上がっている。水道施設から階段が上がっている。階段を上がってみると西側への展望がある。上は貯水槽があり、行き止まりであった。

 水道施設へ降り、西へ進むと八ツ木峠へ上がる小谷がある。谷に沿って土塁があった。左岸を少し上がって谷の分岐を右へ進むと、右岸に踏み跡があった。枝が覆っているが、峠を越えて八ツ木へ抜ける古い道であった。

 薮の峠から赤いテープが尾根に続いていた。そのテープに沿って薮尾根を進んだ。尾根筋にヒノキ林、スギ林が上がってくると、大分楽な道となる。植林地の中にアカマツが入り込んでいる所がある。標高800mを越えた所で2.8mのブナがあった。

 八ツ木峠から1時間半で境界石柱のある雨山。土塁が西から東へ通っている。雨山山頂から北側はカラマツの植林地のようだ。カラマツ林を通り、県境尾根の北側の尾根を下ると踏み跡に出た。少し進むと「雲月山の植物」の案内板があった。それによると、雲月山一帯の放牧の中止によって、草原から元の森林に戻りつつあり、ミズナラ、オオカメノキなどブナ帯の植物が多く見られ、アカモノ、ヒメザゼンソウなどが生育しているという。

ヤマシロギク
シラヤマギク

 山道を下ると林道に出た。リンドウの咲く道を進むと「雲月かんな跡」に出た。「雲月鉄穴は砂鉄の質が良く、多産で知られ、鼡原庄屋、加計隅屋などが採集し、八ツ木鈩などの銑鉄原料となった。千人立の山腹にはかんな溝の遺構が残っている」(旭町教育委員会)。

 雲月かんな跡は珍しくヤマハンノキの林であった。周辺にはヤマハンノキの大きい木があった。かんな跡から少し進むと舗装された車道に出た。そこから北東側の集落が見える。車道はアシハラ峠から雲月峠へ上がっている。この道沿いもヤマハンノキが多い。雲月峠付近はオオバヤシャブシがあった。

 雲月峠からアキノキリンソウ、ヤマラッキョ、カワラナデシコ、ウメバチソウの咲く、ススキの山道を上がった。峠の樹のマークは芸北町のシンボルマークと言う。「卯月山」の「卯」の字だとばかり思っていた。

サラシナショウマ
ハナタデ
ナギナタコウジュ

 カラマツ林は雲月峠から遠見所山にかけてある。高杉山の才乙スキー場が霞む。遠見所山を回りこむと、高山から雲月山の草原が一望できる。スギ林かヒノキ林か、尾根上の木は風が強くて枝を飛ばされ白骨林となっている。

 尾根道に沿って電気柵が続いている。雲月山の登りになるとカラマツ林が現れる。ワレモコウが少しあった。雲月山から柏原山への展望がある。

 雲月山の初見は『陰徳太平記』(1712年・正徳2年)にある。

 「『暦応三年(1340年)四月石州の凶徒退治のため代官景成八月初旬、奥原において功あり。同月宇津々木多和合戦に功あり之に依り河上の城主河上孫二郎入道の子五郎左衛門降参す』…

 雲月山は『陰徳太平記』にあるごとく、当時はウツツキ山と呼んでいたと思われるが、『芸藩通志』にはウズキ山≠ニルビが振ってある。北麓の島根県金待谷ではウヅツキ≠ニ教えられた」(「西中国山地」桑原良敏)。

 「ウツツキ山」の呼び名の変遷を並べてみる。

 1340年 宇津々木多和合戦(雲月峠・ウツツキダオ)
 1712年 宇津々木多和(ウツツキタワ・雲月峠)
 1819年 雲月山(ウズキヤマ)
 昭和38年 雲月山(ウンゲツサン)

 ウツツキは1300年代に遡る古い呼び名である。三角点の点名は「うつづきやま」となっていた。「ウツツキ」「ウヅツキ」「ウツヅキ」などが本来の呼び名であろう。

 環境省の「第6回・第7回自然環境保全基礎調査 植生調査」によると、周辺は植林帯を除くと「ブナ−ミズナラ群落」「コナラ群落」となっている。雲月山の西側はカラマツが植林されている。

 雲月山を下った。10頭ほどの牛が山の斜面で草を食んでいる。下るに連れて、豆粒のような牛が大きく迫ってきた。山の斜面に出ているものもあれば、下の木陰で休んでいる牛が数頭いた。樹林帯に入るとクリノキが多くなる。

 雲月山から30分ほどで中の谷へ降りた。中の谷を降りる林道を下った。真っ青のトリカブトが咲いている。キブシはもう来年の花芽をぶら下げていた。ほどなく車道に出て、中の谷から30分ほどで土橋バス停に帰着。

センブリ
ヤマラッキョ
マツムシソウ
ウメバチソウ
サルトリイバラ
シオデ
リンドウ
フシグロセンノウ
シオガマギク


地名考

●土橋(ツチハシ)

○ハタガ谷
 nupuri-pa-ta-kus-pet
 ヌプリ・パ・タ・クシ・ペッ
 山・の上手・の方を・通る・川

○土橋 ツチハシ
 putu-chikisap-us-i
 プツ・チキサプ・ウシ・ナイ
 その川口に・ハルニレ・群生する・所

●ハタガ谷+土橋  nupuri-pa-ta-kus-pet-putu-chikisap-us-i
 ヌプリ・パ・タ・クシ・ペッ・プト・チキサプ・ウシ・イ
 山・の上手・の方を・通る・川の・その川口に・ハルニレ・群生する・所

 土橋にはハルニレの巨木が残っているが、縄文の時代にはハルニレの群生地であったと思われる。

●宇津々木多和(ウツツキタワ・雲月峠)
 nup-ka-us-tu-utur-noski-oma-nay-taor
 ヌプ・カ・ウシ・ツ・ウツル・ノシキ・オマ・ナイ・タオル
 野・上・にある・峯・の間・の中央・にある・川の・高岸

●雲月峠(ウツツキダオ)
 nup-ka-us-tu-utur-noski-oma-nay-taor
 ヌプ・カ・ウシ・ツ・ウツル・ノシキ・オマ・ナイ・タオル
 野・上・にある・峯・の間・の中央・にある・川の・高岸

●雲月山 ウツツキヤマ
 nup-ka-us-tu-utur-noski-oma-nay
 ヌプ・カ・ウシ・ツ・ウツル・ノシキ・オマ・ナイ
 野・上・にある・峯・の間・の中央・にある・川
 (中の谷の山)

●千人立(センニンタチ)
 setani-us-u-at-te-i
 セタニ・ウシ・ウ・アッ・テ・イ ヤマナシ・
 群生する・お互いを・群がら・せる・所


 「雲月峠の東の877m独標の丘を千人立(センニンタチ)と呼ぶ。島根県側の呼称で、宇津々木多和決戦(1340年)の折、南より攻めてくる吉川の軍勢を防戦するため石州の軍勢が、県境ぞいにこの丘に展開したら千人必要であったという」(「西中国山地」桑原良敏)。

 千人立から雲月峠の尾根の北側は、カバノキ科のヤマハンノキやオオバヤシャブシの多い所であった。カバノキ科の樺類も多かったのかもしれない。

 「樹皮のとれる木には三種類あり、利用する目的に応じて選ぶ。シタッ(本当の樺皮・エゾノダケカンバ)…樹皮が厚いのでクチャ(狩小屋)の屋根を葺いたり、松明に使った」(『アイヌ植物誌』(福岡イト子・草風館)。

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カシミールデータ
総沿面距離9.5km
標高差236m

ヒメキマダラヒカゲ
食草 ササ類

区間沿面距離
土橋
↓ 3.3km
雨山
↓ 1.9km
雲月峠
↓ 1.6km
雲月山
↓ 2.7km
土橋
 

 
土橋(ツチハシ)のハルニレ 400年樹 胸幹周4.26m
雲月山
登路(青線は磁北線 薄茶は900m超 茶は1000m超)