山歩き

スリゴギ谷…高岳…ヨコ谷 2007/9/24
城ヶ橋…スリゴギ谷…高岳…961P…840P…ヨコ谷鞍部…ヨコ谷…匹見川…国道…城ヶ橋

■高岳(タカダケ)1054.3m:山県郡芸北町大字西八幡原字高岳(点の記 点名:岳) (北広島町)

城ヶ橋
スリゴギ落口
スギ林の谷を上がる
炭焼き跡
サワグルミの谷
ワサビの食痕
サワグルミ
ワサビ田跡
緩やかに上がるスリゴギ右谷
サワビ田跡
最上部のワサビ田
山頂手前
高岳
深入山と聖湖
ササ薮の尾根
切り開かれた961ピーク
ヨコ谷スギ林を下る
ヨコ谷落口
7:35 ジョウガハシ出発 曇りのち雨 気温20度
 
アケボノソウ

9:05 谷の分岐
10:30 高岳
11:45 961P
12:10 840P 
12:55 ヨコ谷鞍部
14:05 匹見川
14:30 城ヶ橋


 

 城ヶ橋のすぐ下流がスリゴギ谷の入口である。小さな入口の谷だった。城ヶ橋の上手から匹見川の左岸に入ったが、谷の入口までが薮である。谷にはキバナアキギリが多い。入口の左岸はスギ林だが、上がるにつれて谷もスギ林となる。

 谷の左岸に石垣が組まれ、大きな穴の炭焼き跡が残っていた。そこから先は、谷はスギ林からサワグルミに変わる。少し登るとワサビの葉の食痕があった。クマが葉を食べたようだ。トチの実があちこちに落ちている。

 標高700mを過ぎた辺りにワサビ田の石垣が残っていた。金網で組まれた石垣が崩れていた。ワサビ田はウワバミソウで覆われ、僅かに一株のワサビが残っていた。その一株を抜いて見たが、栽培管理されているワサビと比べて根が小さい。岩にこするとワサビの香りが広がった。

ワサビ田に残っていた一株のワサビ
イシミカワ
ノブドウ
キバナアキギリ

 ワサビ田の石垣を幾つか通り、谷の分岐に出た。右の谷が高岳直下まで上がっている。分岐に大きなサルノコシカケがあった。分岐から先は倒木がなく、緩やかな歩きやすい谷であった。イノシシが掘り返した跡がたくさんあった。モミジガサが花をつけていた。つぶれたヤカンが転がっている。800mを過ぎた辺りにサワガニがいた。

 900m付近に、大きなワサビ田の石垣が残っていた。大岩を越えると、山頂へ続く緩やかな谷となる。山頂まで200mほどの所に最後のワサビ田があった。ウワバミソウの食痕があった。頂上まで100mほどの所からササ薮となる。ササを漕いでササの切り開きを抜けると山頂西の登山道に出た。直ぐ先が三角点であった。スリゴギ谷は珍しく山頂まで潅木のない登りやすい谷であった。登降路として使える谷である。

サンインヒキオコシ
モミジガサ
サワガニ

 三角点の傍で休んでいると、お年寄りが長い鎌を持って上がって来られた。今は広島市内に住んでいるが、ダムが出来るまでは、樽床におられた方だった。樽床共有の植林地を山頂から見てみようと上がって来たと言う。その共有地は高岳山頂から北へ降りる尾根にあるそうだ。

 昔話を聞かせていただいた。昔は80世帯が暮らし、小学校もあった。樽床では寒さのためカキノキが育たず、ナガ谷から峠を越えてヨコ谷へ降り、臼木谷へカキを買いに行ったと話された。そのカキで干し柿を作ったそうだ。

 曇り空の展望のよくない天気であったが、眼下の聖湖から八幡原の開けた盆地を見渡すことが出来た。苅尾山は少し霞んでいる。苅尾山の手前左にハコビ山、城ヶ谷の山が続く。山頂にはヤマボウシ、ナツハゼの実がなっていた。

 「(ハコビ山は)昭和十七年陸軍が八幡演習場設置のとき頂上の樹林を切り倒して眺望をよくして、砲弾が大佐山などに落ちる状況を手旗信号で知らせた」(「西中国山地」)。

ヤマボウシ
クサレダマ
クルマバナ

 山頂のササから北の尾根に踏み跡があるが、薮である。マツ林を過ぎてて961ピークまで降りると、ササが切り開かれていた。境界測量の切り開き道のようだった。840ピークを過ぎた先で道が分岐し、ホタノコヤの方へ降りていた。そこから少し先の灰床の西の尾根で、尾根道は終わり、道は灰床の方へ降りていた。

 尾根を少し進むとヒノキ林に出た。ヒノキ林を下り、ヨコ谷の鞍部に出た。ヨコ谷鞍部は薮の尾根であった。鞍部に掘り下げた跡がある。鞍部からヨコ谷へ降りる谷は薮と倒木で塞がれている。雨が降り始めた。

 鞍部直下の倒木を越えると、道が残っているが、また倒木、薮の谷道となる。それを過ぎると踏み跡が残っている。谷の下部では道は左岸にある。1時間ほどでシシウドの咲く匹見川に出た。国道沿いの木炭直売所を通り、雨の国道を下った。キリンボウの谷には林道が上がっている。20分ほどで城ヶ橋手前に帰着した。

ナツハゼ
ヤマシャクヤク


地名考

●高岳(タカダケ)

 「『樽床誌』によると、かの草山(1670年)→かやの獄山(1822年)→獄山→高獄山→高岳と変わって来たという印象をうける。…『匹見町史』に平三郎の頭(1823年)とある」(「西中国山地」桑原良敏)。


○高岳
 putu-pirka-tay-kes-kotan-nay
 プト・ピリカ・タイ・ケシ・コタン・ナイ
 その川口・良い・林・端の・村・川
 (フタゴウ谷の山)


○かの草山
 nup-ka-us-nupuri-ku-san
 ヌプ・カ・ウシ・ヌプリ・ク・サン
 野・上・にある・山を・我・下る


○かやの嶽山
 khorka-yay-ni-tay-kes-oma-nay
 ホロカ・ヤイニ・タイ・ケシ・オマ・ナイ
 後戻りする・ドロノキの・林・端・にある・川


○平三郎谷の頭
 heisaburoudani-ka-us-sir
 ヘイサブロウダニ・カ・ウシ・シリ
 平三郎谷・の上・にある・山

○平三郎谷
 pet-so-poro-nay
 ペッ・ソ・ポロ・ナイ
 川・滝・大きい・川

  「西中国山地」の山の呼び名に「ヤマ」「サン」「タケ」「カシラ」などがある。「サン」を除いて、ほかの三つは狩に結びついているとも思われる。山の頂や川の岸は、弓を置いたり矢を射ることに、山の由来があるのかもしれない。

 「西中国山地」に「カヤ」を含む地名が幾つかある。アイヌ語の「カヤ」は「帆」の意であるが、地名では「帆のような崖」の意がある。
 茅帽子山(右谷山)は「帆の上手にある山」の意だが、この「帆」は寂地川入口の「竜ヶタキ」である。
 カヤノガ峠(十方山)は「帆崖の山崎の上にある丘」の意で、「帆」は、立岩ダム左岸の岩崖のここと思われる。

 
高岳から降りる、どれかの支尾根の途中に「帆崖」があるのでないか。

●スリゴギ谷

○スリゴギ谷
 tu-utur-kotan-kes-oma-nay
 ツ・ウツル・コタン・ケシ・オマ・ナイ
 峯・の間の・村・端・にある・川

 スリコギ谷はトリカブトが生えそうな谷ではなかった。あったとすれば川口付近であろう。茅川というのは、川口付近に茅があったと思われる。地形からみると、高岳に向って緩やかに上がる谷である。丘の谷と呼ぶのがふさわしいと思われる。

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カシミールデータ
総沿面距離5.9km
標高差440m

カワラナデシコ

区間沿面距離
城ヶ橋
↓ 1.7km
高岳
↓ 2.3km
ヨコ谷鞍部
↓ 1.0km
匹見川
↓ 0.9km
城ヶ橋
 

 
緩やかに上がるスリゴギ谷右谷
                                        掛津山            苅尾山
        城ヶ谷           ハコビ山
登路(青線は磁北線 薄茶は900m超 茶は1000m超)