山歩き

サルクイ峠…柏原山…コグレ峠…スリコ 2007/9/15
奥原…サルクイ峠…柏原山…960P…ハザ越…ハザゴエ…939P…ヒキジ峠…886P…コグレ峠…スリコ…オトシ谷川…小坂峠…ウシロ谷…奥原

■柏原山(カシワラヤマ)997.5m:山県郡芸北町大字荒神原字俵原(点の記 点名:傍木 ボウギ) (北広島町)

離れない犬
上奥原川右岸の水田
電気柵で囲まれた水田
ムナクト川口付近
サルクイ峠
サルクイ峠南の草地
ナバオレガケのヒノキ林
カラマツ林の末端部

林道終点

カラマツ林を上がる
カラマツ
柏原山(大潰山)
大佐山
掛津山 苅尾山
土塁の上のブナ
939ピーク
子グマの寝床
伐採されたスリ水源
スリコのスギ林を下る
スリコの大堰堤
スリコ川口から
小坂峠(ショウザカ)
ススキ原に出た
6:20 上奥原出発 曇り時々晴れ 気温22度
 
ジャノメチョウ 

7:20 サルクイ峠
8:55 柏原山
9:45 960P
10:50 ハザ越
12:10 939P
12:40 ヒキジ峠
13:30 コグレ峠
14:30 オトシ谷川
16:50 小坂峠
17:10 車道
17:50 上奥原


 出発の準備をしていると、近所の犬がやってきて座り込んでしまった。今田屋橋を渡り、上奥原のバス停を過ぎると大きいシナノキがある。上奥原川に沿う水田の稲は刈り入れを待つばかりで黄金に実っている。

 ゴミ置き場にやってきたおじさんに聞いてみると、この辺りの南側にカラマツ林があり、上奥原川の右岸をサルクイと呼んでいると言う。オミナエシの咲く車道をサルクイ峠に向って進んだ。実った稲を守るように、車道沿いに電気柵が囲ってある。

 上奥原橋付近のムナクトの谷の入口には、ビニールハウスがあり、川沿いには黄色に実った水田や、もう刈り取りの終わった田がある。水田に沿ってシシウドが咲き、最奥の民家を通り、ハサゴエに上がる谷を過ぎるとサルクイ峠に上がる緩やかな坂道に入る。

キツリフネ
ツリフネソウ
サワフタギ

 ミツバアケビがまだ固い実を付けていた。峠を越えてヒノキ林を降りると左側に草原が広がっている。広葉樹林の森であった頃は沼のような所であったと思われる。トリスギの谷を過ぎると「林道上奥原線」の看板があり、東から西へ舗装された車道が上がっている。

 「サルクイ峠は苅屋形側の呼称である。ムナクトオク周辺の山々をサルクイ山と呼んでいるので、サルクイへ向って越す峠の意である」(「西中国山地」桑原良敏)。

 トオミ川に沿う車道を西へ上がった。クリノキが実を付け、ガマズミは鮮やかな赤い実をぶら下げている。眼下のナバオレガケにヒノキ林が広がっている。「林道水越亀山線」の青い看板の先で道は分岐し、舗装道は南西へ降りるが、舗装されてない西の林道を上がった。

 ヒノキ林の林道を上がって行くと、カラマツ林の末端に出た。カラマツ林は林道を越えて東側へ伸びている。直ぐ先が林道の終点だった。ママコナの咲くカラマツ林の尾根を上がった。

ガマズミ
モリアオガエル
ワレモコウ

 カラマツの中に所々アカマツが入り込んでいる。太めのカラマツを計ってみると幹周86cmあった。目視ではこれより細いカラマツが多い。カラマツ林は柏原山山頂から南西方向に植林され、末端部が林道終点あたりである。

 国土交通省HPの広島「木都賀・三段峡」土壌図によると、カラマツ林と重ね合わせるように、双三1統(Fut-1)と呼ばれる土壌があり、アカマツの成長に不良な土壌のようである。痩せ地に強く、成長の早いカラマツがここに植林されたのは、その土壌が理由なのかもしれない。

 カラマツ林の下は、枝が入り込んでいる。ミツバツツジに大きな虫こぶがたくさん付いていた。林道終点から1時間ほどで柏原山。山頂の標柱は大潰山(オオヅエヤマ)とある。山頂西からあがっているオオゼイ谷の山の意であろう。

 間近に大佐山が見え、その左に掛津山、苅尾山が見える。山頂の西側はカシワ林である。山頂にワレモコウが咲いていた。北の尾根を進んだ。カシワに毛をまとった実が付いている。尾根上に土塁が続くが薮である。周辺は馬の放牧場があった所で、土塁は牧場の柵であったようだ。
 土塁の西側はカシワ林、アセビが実を付けている。土塁の上に大きなブナが伸びていた。コナラは小さなドングリを、ヤマボウシは赤い実をつけている。960ピークのダアダラの頭は林越しに展望がある。モリアオガエルの子がササの葉に留まっていた。

ウメモドキ
マユミ
ツルリンドウ

 ヒノキ林を下り、トリスギの谷から上がる最初のハザ越、すこし登って二番目のハザゴエ、いずれも羽佐へ向って越えるの意である。ハザゴエを過ぎて939ピークから土塁の上を下っていると、土塁に生えていた足下のマツの木の根元から突然クマの頭がのぞいた。一瞬顔を合わした瞬間、クマは東のササの中へ消えてしまった。子グマであった。私も驚いたが、子グマもびっくりしたであろう。

 子グマがいたところはササが地面にくっ付いており、そこで寝ていたようだ。葉の付いた折れたクロモジがそばにあった。山を歩いていて、こんな目の鼻の先で遭遇したのは初めてであった。ササヤブのヒキジ峠を通り、ようやくコグレ峠へ降りた。

 スリコの谷を降りた。水源の左岸は伐採されていた。ヒノキの幼木の谷を少し下ると、右岸に植林道が降りていた。スギ林の谷を降りた。半分ほど下ったところで林道に出た。草を刈られた林道の大堰堤の手前で、地元の人が草を集めておられた。ワサビ田に使うと言う。スリコの谷は「スルコ」、下のオトシ谷の水源の峠は「ショウザカ」スリコの水源の山は「コマツギヤマ」と教えていただいた。「スリコ」の呼び名を何度も確かめたが、「スルコ」だった。

 スリコの谷は様変わりだった。大堰堤の下は川岸が整備され、石とコンクリートで固められていた。スリコの川口で一休みした。水は冷たく旨かった。ツリフネソウが川沿いに咲いていた。探していたトリカブトは僅かだった。昔はトリカブトが群生するところがあったのかもしれない。

 オトシ谷川を上がった。ワサビ田を作る石垣が作られていた。谷の右岸に石垣が組まれていた。奥まで水田があったようだ。薮の谷を登り、ようやく小坂峠に出た。峠を20分ほど下り、ススキの原に出た。それを越えると舗装された車道だった。稲の実る道を下り、50分ほどで出発点の上奥原に帰着した。

ミツバアケビ
アケボノソウ
ヤマボウシ
ベニバナボロギク
ニラ
タンナトリカブト


地名考

●トリカブトのアイヌ語地名

○スリコ(スルコ)
 surku-oma-nay
 スルク・オマ・ナイ
 トカリブトの根が・ある・川

○スリコ(スルコ)
 uturu-koyka-kus-pet
 ウツル・コイカ・クシ・ペッ
 その間の・東を・通る・川

 オトシ谷川の地元の人は、スルコと呼んでいた。スリコともスルコとも呼ばれていたのであろうか。surku のアイヌ語地名は、surku-oma の形が多い。

○コグレ峠
 surku-oma-kur-e-ta-or
 スルク・オマ・クル・エ・タ・オロ
 トリカブトの根が・ある・神が・そこ・にある・所

○コグレ峠
 koyka-kus-ru-chis-an-pet-taor
 コイカ・クシ・ル・チシ・アン・ペッ・タオル
 東を・通る・峠に・ある・川の・高岸

 「西中国山地」に、アイヌ語の surku が由来と考えられる地名に、スリゴギ谷(高岳)、スリコシ(安蔵寺山)がある。

●サルクイ峠
 sar-utur-kus-nay-taor
 サル・ウトル・クシ・ナイ・タオル
 葭原・の間・を通る・川の・高岸


 世羅町甲山の今高野山のカラマツは、広島県の天然記念物となっている。根回り周囲3.1m、樹高30mと言う。文化年間(1804〜1814)編の『西備名区』の中に、今高野山の落葉松として記録されているから、かなり古くから植えられたのであろうか。

 カラマツはマツ科の中では珍しい、落葉性の高木。本州の宮城・新潟県以南から中部山岳地帯に自然分布する。北海道、中国、四国、九州には分布しない。

 樺太と千島列島、色丹島、東シベリアの広大な地域には、カラマツとごく近縁なグイマツが分布する。最終氷期にはグイマツは北海道から東北地方北部まで分布を広げていたが、北海道では8000年前頃、東北ではそれ以前に絶滅した。

 アイヌ語の kuy クイは「グイマツ」の意で、調べた見たがカラマツのアイヌ語が分からない。最終氷期の2万年前、大阪の平野からグイマツの花粉化石が出ているから、西中国山地にグイマツの林があった可能性があるが、ちょと古すぎる。

 『広島県北広島町長者原湿原堆積物の花粉分析』 (『高原の自然史』第12号)では8000年前までの長者原の花粉分析が行われているが、マツ属の花粉はあるが、カラマツ属はないようだ(下図)。

 グイマツの近縁種であるカラマツがかつてサルクイ峠付近にあったのだろうか。「西中国山地」にクイを含む地名に以下があり、付近にカラマツが植林がされている所が多い。

 サルクイ峠(柏原山) (カラマツ)
 カミヌクイ・シモヌクイ(嶽) カラマツ
 ヌクイ(聖山) カラマツ
 シモヌクイ(大平山)
 ウシロヌクイ・コヌクイ(大箒山)
 ヌクイ(岩倉山)
 サバクイ(広高山)
 ノタノグイメガマ(板敷山) カラマツ

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カシミールデータ
総沿面距離13.0km
標高差452m

クロヒカゲ

区間沿面距離
奥原
↓ 2.5km
サルクイ峠
↓ 2.3km
柏原山
↓ 3.3km
コグレ峠
↓ 2.1km
小坂峠(ショウザカ)
↓ 2.8km
奥原
 

 
 
『広島県北広島町長者原湿原堆積物の花粉分析』
(『高原の自然史』第12号から抜粋)

「長者原湿原堆積物の木本花粉分布図」から抜粋
(右端に深度・年代を付け加えた。)
左が堆積物の柱状図。 プラス(+)は出現率が1%未満であることを示す。
『広島県北広島町長者原湿原堆積物の花粉分析』の本文から抜粋。

Chg-3帯(深度70〜40cm)
マツ属花粉は下層では比較的高率であるが、中層で一旦減少し、上層で再び12%まで増加した。スギ属花粉は中・下層で2%まで減少した。モミ属とツガ属花粉は深度60cmで、それぞれ5%と14%。

Chg-4帯(深度40〜0cm)
マツ属とスギ属花粉は急増。

Chg-3帯でのマツ属花粉の多産は…Chg-4帯で示唆される人間の森林干渉によるアカマツ林の拡大を示すのではなく、水環境の変動に起因する湿地周辺での局地的な植生変化を反映すると考えられる。憶測の域ではあるが、地下水位の上昇によって…湿原植生の一部が衰退し、相対的に比高の高いアカマツが侵入した可能性がある。

Chg-4帯では、マツ属とスギ属花粉は急増する。中国地方における人為の森林破壊に起因するマツ属の増加は、早いところで約2000年前に始まるとされている。

Chg-1帯(約8000〜6500年前)
コナラ亜属を主とし、カバノキ属、クマシデ属、ブナ属などを伴う落葉広葉樹林が湿原周辺の山地に成立。

Chg-2帯(約6500〜4000年前)
スギ林やアカガシ亜属を主とする常緑広葉樹林が分布を拡大した。

Chg-3帯(約4000〜1800年前)
スギは衰退、コナラ亜属を主とする落葉広葉樹林が引き続き優勢であった。湿原周辺ではアカマツが侵入した。

Chg-4帯(約1800〜0年前)
人為による森林撹乱により、コナラ亜属を主とする落葉広葉樹林からアカマツ林へ移行した。スギ林が再び分布を拡大。
国土交通省HP 広島「木都賀・三段峡」土壌図の説明
Fut-1土壌は柏原山の南東とサルクイ峠北にある
山頂付近のカラマツ林
                          掛津山          苅尾山       柏原山から
登路(青線は磁北線 薄茶は900m超 茶は1000m超)