山歩き

押ヶ谷東尾根…細見谷上流…十方林道 2007/8/19
長者原林道入口…1002P…926P…オシガ谷入口…十方林道祠…十方林道…下山橋…十方林道…押ヶ峠…長者原林道入口

二番目の鉄塔から見る山並み
千両山
ブナの尾根道
ササの開花
尾根のブナ
尾根上の岩場
1002ピーク
山肌の見える十方林道祠付近と1064・1158ピーク

オシガ谷水源と五里山(左)・1064ピーク(右)

黒ダキ山
手前がオシガ谷と細見谷
十方林道祠
祠から見た細見谷
林道で吸水するミヤマカラスアゲハ
オオハンゴンソウの咲く林道
オニヤンマ
下山橋
スキヤドウ
十方林道から見る十方山から黒ダキ山への尾根
押ヶ峠(オシガダオ)
林道沿いのクリノキ
ホツツジ
6:55 長者原林道出発 晴れ 気温19度
 
ママコナ 

7:40 1002P
8:40 926P
9:45 オシガ谷
10:10 祠
12:15 下山橋
14:20 祠
15:00 スキヤドウ
15:30 オシガ峠
16:00 長者原林道入口

 
 国道488号線の長者原林道入口を出発。早朝の気温は19度で涼しい。シシウド、ノブキが咲き始めている。長者原林道の法面の上にあがると、オモ谷東の山々への展望がある。ママコナの咲く小尾根を上がる。ほどなく高圧線鉄塔を結ぶ山道に出た。その道を進むと、二つ目の鉄塔は展望地となっている。

 高圧線鉄塔が南東へ、女鹿平山へ向ってどこまでも続いている。その左へ沼長トロ山の頭が見える。鉄塔の間に、冠山が頭を出している。右手に千両山が見える。ヤマダチ谷とオシガ谷の東側のヤブ尾根を進んだ。クロモジの実が赤くなっている。大きいブナのある尾根道である。ウラジロノキの大木があった。

 尾根筋のチュウゴクザサが開花していた。今年の5月冠山近くで見て以来、五里山、恐羅漢山、広高山、野田原の頭の周辺で開花を見ている。

 尾根上の大岩を下ると、オオカメノキが赤い実を付けており、黒くなっているものもあった。ほどなく1002ピークに到着、林で展望がない。

ホツツジ
ヌルデ

 1002ピークをしばらく下っていくと、尾根が細くなり、枝が覆って歩きにくい。926ピークは展望がない。その先辺りからホツツジが咲いていた。ネジキも多い。ほどなく展望地に出た。

 眼下に山を削られた十方林道が見える。祠から上がる七曲の林道の上部のスキヤドウの谷の左谷辺りのようである。スキヤドウの谷が上がり、その上が1064ピーク、その右手が1158ピークである。1064ピークの左に、オシガ谷の水源が上がっている。その左が五里山辺りである。さらに左へ、御境方向へ尾根が降りているのが見える。正面の林間から黒ダキ山が見える。

 展望地から急な尾根を下ると、尾根は緩やかになり、細見谷堰堤上のオシガ谷の入口に出た。オシガ谷の入口で一休みした。オシガ谷の水は冷たく、顔を洗って体を冷やした。

 すぐ上の十方林道祠へ上がった。祠先の林道から細見谷を覗くと、谷は樹木で覆われている。山々に白く咲いているのはヌルデのようだ。林道にはクサアジサイ、ヌスビトハギ、ミゾソバ、オオハンゴンソウ、キンミズヒキ、メタカラコウ、ノブキ、ツリフネソウ、ミズヒキ、ソバナ、ガンクビソウが咲く。林道の水溜りにミヤマカラスアゲハが群れていた。

クサアジサイ
ヌスビトハギ

 ケヤキ原付近の林道の両側にオオハンゴンソウが咲いていた。オニヤンマが近くに留まった。祠から1時間ほどで下山橋に到着した。

 下山橋の上手の林道傍に小さいヤナギが群生している。今年の春に見た花穂はネコヤナギのようであった。

 『細見谷と十方山林道』(2002年)では、ヤナギ科として、オノエヤナギだけが挙げてある。林道周辺にオノエヤナギの成木を探していたのだが、見つからなかった。谷沿いには下山橋の先で見たネコヤナギの葉とは違う、葉が細いヤナギが点々とあった。

 十方林道を引き返した。大きいクワガタが道上にいた。大きいヒキガエルが林道に居座って動かない。水溜りにはオタマジャクシが泳いでいた。祠を過ぎて、七曲のジグザグ道を上がった。林道の削られた斜面にクサギが咲いていた。スキヤドウの橋を過ぎた辺りで、マウンテンバイクが2台降りてきた。十方林道の入口は閉じられているが、バイクは入れるようだ。

 林道の最後の展望地から、十方山、ザザラのタキの尾根、黒ダキ山を一望できる。押ヶ峠を過ぎると、林道沿いのクリノキに実が付いていた。オオハンゴンソウの咲く林道を通り、出発点に帰着した。

ソバナ
クサギ
キンミズヒキ
アイバソウ(アブラガヤ)

 
地名考

●五里山(ゴリヤマ)とスキヤドウ
 
 「石州街道は、匹見町側、吉和村側ともに昔から五里ナカエと呼ばれており、この呼称は現在も使われている」

 「吉和村では五里山という呼称は誰でもよく知っているが、どの峯であるかは判然としない」

 「五里山という山名は、古い地誌・古文書類に見出すことができなかった」

 「五里山の初見は陸地測量部発行の『輯製二十万分の一図・広島』(明治二十一年)であろう。この地図に記入してある五里山は現在の地図の地点より更に西南に記されている。宗猛寛編『広島県管内地図』(明治二十五年)にも五里山は見られる」

 (以上「西中国山地」桑原良敏から)

 御境から東の京ツカ山へ続く、長い県境尾根の中ほどに1124ピークと1064ピークがある。2万5千地形図、五万地形図では、その二つのピークの辺りを、文字の間隔をあけて五里山と記している。

 古文書にない五里山の位置が、現在の地図上に記されるようになったのはいつ頃からであろうか。おそらく、その辺りを地元の人々が「五里山」と呼んでいたのであろう。

 オシガ谷からスキヤドウと言う変わった呼び名の谷が1064ピークへ上がっている。1064ピークは、五里山の「山」の字が記されている辺りである。スキヤドウはアイヌ語で以下の意が考えられる。

○スキヤドウ
 supki-ya-putu
 スキヤトウ 
 茅・岸の・川口



●細見谷と十方山

 「佐伯郡吉和村側の資料としては、『吉和村御建野山腰林帖』(1725年・享保10年)が重要で、十方山、西十方山の山名が見られる。ついで『佐伯郡廿ヶ村郷邑記』(1806年・文化3年)が刊行されている。この頃より吉和村では、十方山の裏(西)に更に大きな山のあることが知られており、東十方(十方山)と西十方(現在の旧羅漢山)を区別していた」(「西中国山地」)。

 十方山は、何故東西二つの山として呼ばれるようになったのであろうか。二つの山は、細見谷の水源にある。細見谷の水源の山として、十方山が考えられていたと思われる。

 『芸藩通志』(1825年)の吉和村絵図には、十方山に「シッハウサン」とルビが振ってある(「西中国山地」)。そのままアイヌ語で表すと以下となる。

 situ-pa-us-san
 シツ・パ・ウ・サン
 尾根・端・にある・棚

 「頭が川原に出ている」とは、十方山から南西にのびる長い尾根を表している。この長い尾根は、細見谷を上流と下流に分ける尾根でもある。「シッハウサン」は、この尾根にある細見谷を表している。十方山は細見谷にある山のことである。


○十方辻
 situ-pa-us-tu-sir
 シツ・パ・ウ・ツシ
 尾根・端・にある・二つの・山


○細見谷
 pon-so-pet
 ポン・ソ・ペッ
 小・滝・川


○十方辻+細見谷
 situ-pa-us-tu-sir-pon-so-pet
 シツ・パ・ウ・ツシ・ポン・ソ・ペッ
 尾根・端・にある・二つの・山の・小・滝・川


 「西中国山地」で、「山」を「サン」と呼んでいるのは、七ヶ所だけである。アイヌ語の「sam」「san」などの転訛と思われる。

 十方山南西尾根の中ほどの鞍部を「バーのキビレ」と呼んでいる。アイヌ語で表すと以下となる。


○バーのキビレ
 nup-pa-an-or-kipir
 ヌプ・パ・タ・アン・ナイ・キピリ
 野原・の上手に・ある・所の・丘

 「バーのキビレ」は十方山南西尾根の鞍部のこと。


○赤土谷 アカツチダニ
 wakka-ta-us-i
 ワッカ・タシ
 水・いつも・汲む・所

●長者原(チョウジャバラ)

○長者原 チョウジャバラ
 so-cha-para
 チョウ・チャ・パラ
 一面・岸・広い


○長者原上の谷
 so-cha-para-kamuy-nay
 チョウ・チャ・パラ・カムナ
 一面・岸・広い・神・川


○長者原中の谷
 so-cha-para-nokan-nay
 チョウ・チャ・ノカナ
 一面・岸・広い・小さい・川


○長者原下の谷
 so-cha-para-suma-nay
 チョウ・チャ・パラ・スマナ
 一面・岸・広い・岩・川




 『細見谷と十方山林道』(2002年)によると、植物目録のヤナギ科にオノエヤナギがある。標本産地は、二軒小屋からカネヤン原下ノ谷までの、林道上・林道沿いとある。長者原は「長者原上ノ谷」と「長者原中ノ谷」の間付近のことである。

 オノエヤナギはナガバヤナギとも言う。『知里真志保著作集』(平凡社)では、ナガバヤナギとあり、八つの呼び名がある。

@ susu スス
A yayay-susu ヤヤイ・スス(普通の・柳)
B inawni-susu イナウニ・スス(幣木・柳)
C siw-susu シウ・スス(にがい・柳)
D susu-nomponompo スス・ノンポノンポ
              (柳の・小さい粒・粒)
E susu-po スス・ポ(柳の・子)
F susu-chocho スス・チョチョ(柳・犬ころ)
G ni-seta ニ・セタ(木・犬)


 「この木は、それで幣を作った。樺太の子どもはこの若い花穂を幾つも繋いで犬橇だと言って家の中を引いて歩いた。天塩でも、子どもはこの花穂と取って来て犬だと言って遊んだ」(『知里真志保著作集』)。


 『アイヌ植物誌』(福岡イト子・草風館)にもナガバヤナギとある。
 「一般に、ヤナギのアイヌ語はススというが、イナウニスス(木幣・木・ヤナギ)ともいう。その意味は、神は国土を造るとき、人の背骨をこしらえるのに柳を使った。その記念に木幣や削懸(キケ)の原料とする」(『アイヌ植物誌』)。

 ナガバヤナギは木幣を作る重要な材料であった。帰りに八郎橋を少し下った所にある長者原に寄ってみた。ヤナギの成木が広場にあった。おそらくナガバヤナギと思われる。

 柿木村に鈴ノ大谷山があるが、ナガバヤナギの谷であろう。鈴ノ大谷の奥に「銚子の滝」「銚子の口」があるが、「スス・チョチョ」と呼ぶアイヌ語がある。鈴ノ大谷の地名は「銚子の口」と関係あるのかもしれない。



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カシミールデータ
総沿面距離18.7km
累積標高1173m

ツリフネソウ

区間沿面距離
長者原林道入口
↓ 1.4km
1002ピーク
↓ 1.8km
十方林道祠
↓ 4.8km
下山橋
↓ 8.8km
押ヶ峠(オシガダオ)
↓ 1.9km
長者原林道入口
 

 
展望地より 山肌は十方林道七曲上部
            1064P                                                            1158P
展望地より
                     五里山             オシガ谷水源          1064P
登路(青線は磁北線 薄茶は900m超 茶は1000m超)