7:50 二軒小屋出発 曇り
キリンソウ |
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8:55 水越峠
10:05 トチ谷
11:45 焼杉山
14:20 焼杉山
15:30 ケンノジキビレ
16:40 旧羅漢山
17:10 恐羅漢山
18:20 二軒小屋
二軒小屋駐車場を出発、オカトラノオが咲き始めている。パワーシャベルがある林道の工事現場を入っていく。林道に沿って鉄筋が組み立てられ、その先はコンクリートの壁が出来上がっていた。林道工事とは思えないような大規模なものである。スギ林の斜面は大きく削られている。工事前の林道の3倍はある車道が奥へ続いている。最奥の民家の前にあったスギ林は伐採され、大幅の道路がその前を真っ直ぐ延びていた。
工事現場を過ぎて、昔の林道に戻りホットする。ウマバノ谷の入口にアザミが咲いていた。ヤマアジサイ、コアジサイ、アカショウマが咲く林道沿いに、モリアオガエルの卵塊がぶら下がっている。その下は水溜りだが、舗装されれば、こんなところに卵を産むわけにはいかない。コアジサイは白花と少し青みのある花の二種が見られる。
死人谷はシニンでなく、シビトと呼ぶようだ。大石の多い谷である。川口にササユリが群生している。八百ノ谷にサルナシが咲くが、雄花だけのようだ。めずらしくシナノキがあった。ヤマブドウが花を付けている。八百ノ谷を過ぎると直ぐにイビセン谷。ノリウツギが咲き始めている。
サルナシ 雄花 |
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サルナシの雌花 |
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サカモリ谷は水が少し流れている。シモミズコシは林道に沿って小さな水路の流れである。十方山登山口、旧羅漢山登山口を過ぎて、1時間ほどで水越峠。焼杉山の頂上辺りはガスがかかっている。峠から細見谷水源の間をキンカネリ、キンカツギと呼んでいる。急坂を下りると、平坦な小水路に出る。現在はスギ林の下だが、湿地のような所である。水路に沿って降り、林道に出た。
廃屋のあるコムギ谷とケンノジ谷分岐の橋の所まで林道を降りた。ヤマブドウの花が咲き始めていた。ここのサルナシはおしべの退化した雌花だった。旨い果実が実りそうだ。橋のそばに大きなシマヘビがいた。そこから谷へ降り、ケンノジ谷を上がった。上の橋の所で林道へ上がった。ヤマシグレ、ウリノキが咲き始めている。
ケンノジ谷へ入ると直ぐに堰堤がある。ここでケンノジ谷は細見谷と遮断されているが、堰堤の上部に大きなゴギが残っている。少し上がると谷は分岐し、左へ上がると再び分岐する。左の谷がトチ谷である。トチ谷の入口はサワグルミが多い。トチノキは少ないようである。タンナサワフタギが咲き始めていた。上に登るとトチノキの葉に似たホオノキが多くなる。ササ帯に変わると山頂が近い。トチ谷水源尾根の4.2mブナのところに出た。ツルの巻くブナは一際大きく見える。
巨ブナからほどなく山頂付近、「山頂付近」と言うのは、三角点が不明の山頂である。今日が四度目、2時間半ほどねばったが見つからなかった。特に古い目印の残る付近を捜索した。周辺のササを大分刈ったが、おそらく埋まっているのではないか。
チュウゴクザサ |
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ヤマシグレ |
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ツタウルシ |
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ヤマブドウ |
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アカショウマ |
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ササ薮をケンノジキビレへ下った。背丈を越えるチュウゴクザサを踏み分けて進む。残雪期には僅かの距離だが、1時間ほどかかってケンノジキビレ、林間からガスの旧羅漢山が覗く。ハゲノ谷へ降りる予定であったが、焼杉山で時間を使ってしまった。旧羅漢山の登山道へ上がった。踏み跡はないが、ところどころテープが残っている。スギ林下を歩くと薮がない。
45分ほどで登山道に出た。ユキザサに実が付いている。ノリウツギ、サワギクの登山道を上がる。周辺はガスで展望が全くない。ほどなく旧羅漢山、視界100mほどのガスがかかる。岩場へ回るとオオヤマレンゲがまだ残っていた。ツルアジサイの咲く登山道を通り、30分ほどで恐羅漢山、ここもガスで展望はない。
立山尾根を下った。コアジサイの咲く山道を下るとガスが消え、眼下に展望が現れる。ガスは山頂付近だけのようである。ピンクのササユリの咲くゲレンデを下った。イワガラミが花を付けている。ウシゴヤ谷に堰堤の池が光り、その先に向山が霞む。サバノ頭から十方山への稜線が霞んでいる。アザミの咲く山道を下り、牛小屋高原の車道に出た。車道周辺はオカトラノオ、ノリウツギ、ヒヨドリバナ、植えられたアジサイを通り、恐羅漢山から1時間ほどで二軒小屋へ帰着。
■地名考
●恐羅漢山
広島県ホームページの広島県統計年鑑の前身に当たる、広島県統計書は明治14年から始まり、高山の項に十方山、冠山はあるが、恐羅漢山はない。恐羅漢山の山名があるのは、昭和33年の広島県統計年鑑からである。
『戸河内森原家手鏡帳』(1715年)、『書出帳・戸河内村』(1819年)、『芸藩通志』(1825年)などに早くから「おそらかん」の名があるが、陸軍測量部は「大亀谷山」(明治21年)とし、明治14年の広島県統計書に「おそらかん」の山名が何故なかったのだろうか。
元々、広島県側では「オソラカン」の認識が薄かったと思われる。古文書にある「おそらかん」「オソラカン」は道川の村人から聞いた山名を記したのではないだろうか。
二軒小屋の古名は「しろえ谷こや」と言う。検地の始まった1600年代は「シロエダニコヤ」と呼んでいた。いつ頃から二軒小屋と呼ぶようになったのか。あるいは両方の呼び名があったのか。
検地が行われた時代には、恐羅漢山はオショロカンと呼ばれていたが、その意味は失われていて、オショロカンと言う山の呼び名が残っていた。
●台所原
台所原は中ノ川川(ナカノゴウガワ)の水源であるが、水源全体にブナの原生林が残っていた時代は、沼のようなところであったと思われる。
●焼杉山
「焼杉山は戸河内町、横川の呼称である。吉和村側では『吉和村絵図』(江戸末期)に日平山と記されている。『匹見町史』には村杉山となている。広見でも村杉山と呼んでいる。三角点の点称も村杉である」(「西中国山地」桑原良敏)。
カシミールデータ
総沿面距離11.4km
標高差543m
コナスビ |
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区間沿面距離
二軒小屋
↓ 2.6km
水越峠
↓ 1.9km
焼杉山
↓ 0.9km
ケンノジキビレ
↓ 2.2km
恐羅漢山
↓ 3.8km
二軒小屋
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