山歩き

立岩ダム…大休ミの丘…イシノコヤ…セト谷 2007/3/18
立岩ダム…清水橋…タユウ谷…大休ミの丘…立岩ダム…大谷川…イシノコヤ…瀬戸滝…大休ミ…アライ川…立岩ダム

ケルンコル上にある押ヶ垰集落
広電の木造のバス車庫跡
清水橋
涸れ川の太田川

タユウ谷入口

石のタユウ谷
大休ミの丘手前のクマ棚
大休ミの丘入口付近
小川に架かる木橋
 大休ミの丘
大休ミの丘
キリイシのタキ
女鹿平山
イシノコヤ付近の巨石
上流から見た巨石
石の左谷
一の原の墓
セト谷大休ミ付近
カツラ谷
アライ川から大トチと岩の間を上がるセト谷への道
アライ川
7:50 立岩ダム出発 晴れ 気温0度
 
 

8:20 タユウ谷
9:15 大休ミの丘
9:45 立岩ダム
10:05 大谷川入口
10:35 イシノコヤ
11:20 大谷川入口
12:00 瀬戸滝登山口
12:15 大休ミ(瀬戸滝上)
13:20 アライ川
14:05 瀬戸滝登山口
14:50 立岩ダム


 立岩ダムの駐車場を出発、押ヶ垰断層のケルンコル上にある押ヶ垰集落を一望して、車道を下った。車道から立岩山が見える。広電の木造のバス車庫跡を過ぎて、押ヶ垰集落の東端から、清水橋へ小道が降りている。

 水を止められた太田川は、涸れ川だった。流れのない淵の水は、ひどく青かった。タユウ谷の右岸を上がると、小さなワサビ田に花が咲いていた。一軒だけ残っている清水(セイズイ)の民家に道を尋ねた。

 おじさんは、以前は押ヶ垰集落の道路を隔てた下の家に住んでいたと言う。現在の押ヶ垰は「上城」(ウエジョウ)、下の集落を「前城」(マイジョウ)と呼んでいた。「大休ミの丘」は聞いたことがなく、あの辺りは「ユズリハ」と呼んでいる。その「ユズリハ」で、田んぼを作っていたと言う。

 タユウ谷はもう一つ下の谷のことで、この谷は「セイズイ」谷と呼んでいる。清水の上手を「オオジョウ」と言っておられた。昔、鹿は居なかったか尋ねると、この辺りでは鹿は見ないが、昔からイノシシが多いので、槍で突いていたと言う。

 お礼を言って、タユウ谷を上がった。谷の入口にミツマタの花が咲いていた。昔、ミツマタをどこでも植えた時代があったから、その名残りであろうか。タユウ谷からおじさんの家へ、水取のホースが繋がっている。昔からタユウ谷の水を使っているのであろう。タユウ谷は、アイヌ語で以下の意。


 putu-o-yuk-us-pet
 プト・オ・ユク・ウシ・ペッ
 その川口の・そこに・鹿・多い・川


 「ウエジョウ」は、アイヌ語で、wen-so ウェン・ショウ 「悪い・崖」の意で、断層上の崩れやすい崖のことかもしれない。


 「マイジョウ」は、kamuy-so カムイショウ 「神・滝(岩崖)」「美しき・岩」などの意。押ヶ垰下の太田川のダム下流の地形のようである。


 清水(セイズイ)
 nisey-utur-us-i
 ニセイ・ウツル・ウシ・イ
 崖・の間・にある・所

クマの爪痕

 石多いタユウ谷を上がった。岩の水路を上がると分岐、分岐手前左岸の道に石垣が組まれている。タユウ谷と分かれ、大休ミの丘に上がる右の谷を登った。見上げると、高圧線が走っている。丘へ上がる手前のクリノキにクマ棚があった。谷を登りきると、大休ミの丘の入口の平坦地に出る。


 丘のクリノキにもクマ棚が残っていた。小川に沿って進むと木橋のところに出た。この橋のある道は、境谷のワサビ田へ上がる道と思われる。小川の水源を登って、鉄塔をくぐり、653ピークから立岩ダムに降りる道へ進んだ。大休ミの丘はアイヌ語で以下の意がある。


○大休ミの丘
 poro-ya-us-supi-nay-oka
 ポロ・ヤ・ウシ・スピ・ナイ・オカ
 大きい・陸岸・ある・激湍・川の・跡


 大休ミの丘は、平坦地に小川がある所である。少し登って水源に行くと水はない。そんなところに鹿の糞が多かったのであろう。おじさんが言っておられた「ユズリハ」はアイヌ語で以下の意。


○ユズリハ
 yuk-turasi-pas-nay
 ユク・ツラシ・パシ・ナイ
 鹿・登る・奔る・川

 古路はタユウ谷の分岐から大休ミの丘に上がる小谷のことで、その上手に丘の平坦地の小川がある。「大休ミの丘」も「ユズリハ」も、鹿を意味する地名であった。「西中国山地」には、鹿の地名が多い。それには理由がある。アイヌの人々の重要な食料は、鹿と鮭であることがその理由であろう。


 「大休」「休」を含む地名に以下がある。

○大休ミ(柏原山、雲月山、十方山・瀬戸滝)
○大休ミの丘(市間山)
○タキガ休ミ(冠山)
○イシガヤスミ(平家ヶ岳)
○石休ミ(女鹿平山)
○大休峠(八幡原)

 


 アイヌのもう一つの重要な食料は鮭だが、「西中国山地」では、ゴギとアマゴであろう。

 アマゴは「西中国山地」では、「ヒラメ」とも言う。三段峡を世に広めた、熊南峰の元で作成された『名勝天然記念物三段峡の概説』(戸河内村役場 大正13年頃)に、「ひらべ」とある。

 小板川と八幡川が合流する所にある「出合滝」の説明の項に以下がある。

 「小板川ノ端末にアリテ其の高サ約八十尺幅約十五尺三段ト成りて落下シ直ニ八幡川ニ注ギテ水勢ヲ争ヒ和シテ南流ス、風光明快ニシテ盛夏ノ好納涼地トス、此付近ノ深潭ニハ鯉甚ダ多ク何レモ巨大ニシテ長大ナル『ひらべ』ト共ニ其名高し」


 「ヒラベ」はアイヌ語であろう。

○ヒラベ 
 chep-un-pira-pet 
 チェプ・ウン・ピラ・ペッ 
 魚・いる・崖・川

 アイヌ語で「豊漁」のことを、「ヌウシ」と言う。すぐ南の筒賀に「ヌウシ」がある。


○布原(ヌノハラ)
 nu-nay-par
 ヌ・ナイ・パル
 豊漁・川の・口

 布原からイチマ谷が市間山へ上がっている。イチマ谷が意味することは、布原が手がかりとなった。


○イチマ谷
 i-chima-ta-us-nay
 イ・チマ・タ・ウシ・ナイ
 そこで・ウドを・取る・いつもする・川

 イチマ谷
 ichan-pa-oma-nay
 イチャン・パ・オマ・ナイ
 イワナヤマメ産卵場・の上手・にある・川


 ichan は、北海道では、「鮭、鱒の産卵場」の意であるが、「西中国山地」では、イワナ、アマゴのことであろう。イチマ谷の「ichan」が、イワナを含むかどうか定かでない。

 私が釣りを楽しんでいた頃、もう20年ほど前になるが、吉和のもみのき森林公園から南へ下った樫田橋から、東へ上るオリオ谷の奥で、小さなゴギを釣ったことがある。私の経験ではこれが一番南であった。

 「西中国山地」で、「ゴギ」と思われる地名を以下に挙げてみた。


○メゴキ 香仙原西・木部谷川水源・高津川水系
 mo-ichankot-ke-oma-nay
 モ・イチャンコッ・ケ・オマ・ナイ
 小・イワナ・の所・に入る・川

 (滑峠 ヌメツトウ 「豊漁・ある・泉池・多い・沼の・所」)


 おそらく、ゴギの語源は、
 mo-ichankot-ke-oma-nay
 モ・イチャンコッ・ケ・オマ・ナイ

 と思われる。

 ichankot-ke → ko-ki の転訛。



 問題は、瀬戸内海側にあることであろう。深谷川は高津川へ流入した時代があった。ゴギの地名は山陰側であろうと思っていたので、これは意外であった。

 私の予測では、「西中国山地」のアイヌ語地名は、北海道・東北と比べて、極めて希薄なだけに、年代もそれらより古い可能性がある。山田秀三氏は『アイヌ語地名の研究1』で、「アイヌ地名・アイヌ語の古さ」を論じておられる。

 それによると、「東北地方のアイヌ語地名は少なくとも七、八世紀迄は遡れる。…北海道に残っていたアイヌ語地名群は、東北地方よりも寧ろ古い型であったらしい」とあり、「西中国山地」のアイヌ語地名は、七、八世紀よりは古いのではないだろうか。

 ゴギは山陰側からの移植であると言われているが、そんな昔にアイヌの人々が移植したのであろうか。

 その助け舟となるのが、古八幡湖の存在である。古八幡湖が日本海へ流入した時代があったようだ。

 ハゼ科の淡水魚、「カワヨシノボリ斑紋型が太田川水系内で確認されたのは八幡盆地だけであり、八幡盆地近隣の河川で分布しているのは別水系となる高津川水系匹見川のみである」(「八幡高原のカワヨシノボリ」吉郷英範 2003年)。

 カワヨシノボリ斑紋型が八幡盆地と匹見川だけに分布していることから、かつて八幡盆地が匹見川と連絡があった可能性が考えられる。

 これはゴギについても言え、柴木川水系のゴギは人為的移入種と言われてきたが、自然分布の可能性がある。

 アイヌ系の狩猟民が「西中国山地」へやって来た時、ゴギの分布は瀬戸内海側の河川にも広がっていたのであろう。

ケンノジ谷のゴギ 2005/5/14

 細見谷を遡上し、オオリュウズを越えると、ゴギの魚影が濃くなる。昔、30cmほどの大物を釣り上げたことがある。細見谷の水源はケンノジ谷である。一昨年の5月、ケンノジ谷を上がった時、釣り人に見せてもらったのが、上のゴギである。形の良い、りっぱなイワナである。

 ケンノジ谷の入口はコンクリート堰があり、河川が閉じられているが、こんな良形のゴギが居るのである。大規模林道が開通すれば、河川が荒れ、ゴギも絶滅の心配がある。


 ケンノジ谷は、アイヌ語で以下の意がある。

○ケンノジ谷
 yanke-not-utur-kus-nay
 ヤンケ・ノッ・ウツル・クシ・ナイ
 内陸の方にある・山崎・の間・を通る・川(焼杉山)


○ケンノジキビレ
 yanke-not-utur-kus-nay-kipir
 ヤンケ・ノッ・ウツル・クシ・ナイ・キピリ
 ケンノジ谷の・丘



 大休ミの丘から立岩ダムを下り、大谷川を上がった。大谷川入口から30分ほどでイシノコヤに着いた。初めてここへやって来た時、これがイシノコヤかと、感心したものだ。私はいつもイシノコヤを潜って大谷川を登っている。この大岩はもちろん、イシノコヤではない。

 十方山から下りる大谷川と左谷が交わる所に巨石がある。両川とも石原であるが、左谷から落ちる石は大きい。その両川の間にヒキジノオカの尾根が下りている。ヒキジノオカの尾根の端に巨石があるとも言える。大将陣山のヒキジノオと同じ由来と思われる。

 巨石は高さ8m、長さ8m、幅6mほどある。


○イシノコヤ
 kito-us-nupuri-ko-yan-pet
 キト・ウシ・ヌプリ・コ・ヤン・ペッ
 ギョウジャニンニク・群生する・山・へ向って・上がる・川


○ヒキジノオカ
 tu-pet-kus-not-or-kotan
 ト・ペッ・クシ・ノッ・オロ・コタン
 二つの・川が・通る・山崎・の所の・村

 ヒキジのオカ+イシノ小屋
 tu-pet-kus-not-or-kotan-us-nay-kot-an-nay
 ト・ペッ・クシ・ノッ・オロ・コタン・ウシ・ナイ・コッ・アン・ナイ
 二つの・川が・通る・山崎・の所の・村・にある・川・跡に・ある・川



 車道を十方山登山口に向った。ニノワラ谷を過ぎてほどなく墓がある。下山の一の原辺りである。「佐原屋家累代納骨○」と書かれた墓石の後に回ってみた。薄れて読めないところがある。

 「昭和十一年十一月廿日下山部落退去 口切皆本仙太郎謹○祖先之埋骨合塔」

瀬戸滝上段

 セト谷を上がり、セト滝で一休み。アライ川入口右岸の崖を登り、滝の上部に出た。この辺りを「大休ミ」と言っている。セト谷右岸を上がり、カツラ谷まで行ってみた。カツラ谷は鹿が登る谷である。「大休ミ」は「大休ミの丘」と同じ意味であろう。

 滝上まで戻り、三ツ倉へ上がる尾根を登った。尾根が緩やかになると、境界石がある。そこがアライ川への分岐で、道はアライ川から尾根を越えて、セト谷の上の方へ降りている。山道がアライ川へ降りる手前辺りは、ほとんど消えかけた道である。道はアライ川左岸を降り、十方山登山道から瀬戸滝に降りる間で繋がっているが、この踏み跡も大分薄い。


 アライ川(水無川)
 e-horka-an-ray-ke-pet
 エ・ホロカ・アン・ライ・ケ・ペッ
 頭が・後向きで・ある・死んで・いる・川


 カラ谷
 kara-ta-ni-oma-nay
 カラ・タ・ニ・オマ・ナイ 火打を・打つ・木が・ある・川
 (セト谷にハルニレがある)


 セト谷
 chironnup-set-us-nay
 チロンヌプ・セッ・ウシ・ナイ
 獲物の・巣・多い・川(川口が字広瀬)


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カシミールデータ
総沿面距離14.7km
標高差287m

区間沿面距離
立岩ダム
↓ 1.8km
大休ミの丘
↓ 2.9km
イシノコヤ
↓ 4.4km
大休ミ(セト谷)
↓ 5.6km
立岩ダム

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大谷川 イシノコヤ付近の巨石
登路(青線は磁北線 薄茶は900m超 茶は1000m超)