山歩き

二軒小屋…十方林道…タキワケ谷…十方山 2007/3/4
二軒小屋…十方林道…タキワケ谷…下山林道…ウシロヤマ谷…十方山…シシガ谷…十方林道…二軒小屋

■十方山(ジッポウザン)1319m:広島県佐伯郡吉和村吉和西(点の記) (廿日市市)

二軒小屋
工事中の林道
林道上の石垣
伐採された45年もののスギの切り株

水越峠

細見谷へ降りる小谷 キンカネリ
下山橋
長者原下ノ谷へ上がる林道
赤土谷
 トリゴエ谷
ノブスマ谷
タキワケ谷
タキワケ谷
タキワケ谷下流
タキワケ谷 下流から
上から見たタケワキ谷
岩盤のタキワケ谷上部
薮尾根から見る五里山
下山林道峠から見る京ツカ山
林道峠
三ツ倉と立岩山
崩れた跡のウシロヤマ谷
ウシロヤマ谷の崩れた末端部
十方山登山道から立岩山を望む
山頂
雪のシシガ谷と奥三ツ倉
8:00 二軒小屋出発 晴れ 気温5度
 
 

9:10 水越峠
9:30 下山橋
10:40 タキワケ谷
12:50 十方山南西尾根
13:25 下山林道峠
14:25 林道終点
16:15 十方山
17:25 二軒小屋


 十方林道・細見谷のアイヌ語地名

 恐羅漢山はソカヒ山とも呼ばれている。それについては「西中国山地」に詳しい。

 「(ソカヒ山は)両地図に記されている位置からいって、むしろ吉和村の女鹿平山の可能性が考えられるが、目下のところソカヒ山は調べようがなく、幻の山というほかない」(「西中国山地」桑原良敏)。
 
 「西中国山地」にある、恐羅漢山の山名の初見と変遷は以下のとおりで、大亀谷山は匹見側の呼称である。

 明治21年 大亀谷山 陸軍局測量部
 大正12年 大亀谷山 島根県史
 大正14年 大亀谷山 石見誌

 1715年 おそらかん山 戸河内森原家手鏡帳
 1738年 おそらかん山 申定鈩山約束之事
 1819年 オソラカン 書出帳・戸河内村
 1825年 ヲソラカン山 芸藩通志
 
 1825年 そかひ山 芸藩通史志(日本興地図引用)
 1834年 ソカヒ山 大日本興地便覧
 1837年 ソカヒ山 国郡全図

ソカヒ山 「国郡全図」(1837年)「西中国山地」より

ソカヒ山と恐羅漢山

 「国郡全図」を見ると、ソカヒ山は石見国と境を接している山のようだ。

 恐羅漢山は以前から、オソル・ラカン(尻・穴)、オソル・コツ(尻・跡)などと言われて、アイヌ語の由来があると指摘されている。

 北海道のアイヌ語地名に、「オソル・コツ」「ラカン」はあるが、オソラカンという地名はないようだ。オソラカンの呼び名に似ている地名に、「エソロカンニ」と呼ぶ地名が、北海道に一ヶ所だけある。

 カシミール5万地形図を見ると、北海道平取町の沙流川下流右岸に「エショロカン沢川」がある。この呼び名は「永田蝦夷地名解」(明治24年)を踏襲しているようで、「エソロカン」とも呼ぶ。

 『地名アイヌ語小辞典』(知里真志保)では、「esorokanni ミツバウツギ」とある。

 『萱野茂のアイヌ語辞典』には、「ハナヒデ(ミツバウツギ)」とあり、「枝を折るとこの木ほどいやなにおいの木はないと思うほどにおいがある。アイヌはこの木で火箸を作った」とある。

 辞典には「エソロカンニ esor-kar-ni」と分解して示してあるが、説明はない。

 エソロカンニで箸を作ったというから、「esor-kar-ni」はおそらく、「箸を・作る・木」の意であろうか。

 esor-kar-ni は 「ソ・カ・ニ」で、「ソカヒ山」と似ている。

 恐羅漢山古名の「ソカヒヤマ」は、以下の意が考えられる。

 esorokan-ni-us-i
 エソロカン・ニ・ウシ・イ
 みつばうつぎ・群生する・所(の山)=ソカヒ山

 so-ka-ni → so-ka-hi
  esorokan → o-sorokan

 ソカヒ山とオソラカンを結びつけるアイヌ語地名は、今のところ「エソロカンニ」しかない。「エソロカンニ」が「オソラカン」に転訛したと思われる。


 「西中国山地」の山名は、同じ川名を持つ場合が多い。山麓地名が山名になることは、一般的にも多い。恐羅漢山の匹見側に、カメイ谷があり、その奥の山が「大亀谷山」である。

 『国郡志御用ニ付下しらへ書出帳・戸河内村』(1819年)の「村内小名」の項に、横川、古屋敷はあるが、二軒小屋はない。当時、二軒小屋は家・屋敷があるような地域ではなかったと思われる。

 二軒小屋は、アイヌ語で以下の意と思われる。

 wensir-ke-tanne-ko-yan-pet
 ウェンシリ・ケ・タンネ・ヌプリ・コ・ヤン・ペッ
 悪い崖・の所・長い・山・に向って・上がる・川

 wen-ke-tanne-ko-yan → ni-ke-n-ko-ya の転訛。


 「西中国山地」に「コヤ」「小屋」の地名は多い。古くから呼ばれている「コヤ」は、小屋があったのでなく、アイヌ語の「ko-yan」(コ・ヤン)と思われる。

 恐羅漢山へ東から上がる牛小屋谷は以下の意。
 kito-us-nupuri-ko-yan-pet
 キト・ウシ・ヌプリ・コ・ヤン・ペッ
 ギョウジャニンニク・群生する・山・に向って・上がる・川


旧羅漢山 キュウラカンザン

 ki-us-oesorokan-sam
 キ・ウシ・オソロカン・サム
 茅・群生する・恐羅漢山・の傍

 ki-us-esorokan-sam → ki-u-rakan-san の転訛。

 「キュウラカン」の呼び名も古く遡るようだ。


 恐羅漢山で時々、ミツバウツギを見かけるが、現在、それが多くあるかどうか分からない。ミツバウツギの花が咲く5月にでも、恐羅漢山周辺をじっくりと見てみたいものである。アイヌの時代は、二軒小屋周辺にミツバウツギの林が広がっていたのだろう。


 二軒小屋を上がると、通行止めの柵があり、パワーシャベルの横に、道路工事の資材が積んである。林道両側のスギ林は伐採され、林道に沿って、等間隔に垂木が打ち込んである。いよいよ道路工事が本格化するようである。工事期間は、平成18年10月19日から19年3月30日となっている。

 林道右側のスギ林が伐採されて、いままで見えなかった水田の石垣が城壁のように続いている。道路横のスギの大木が伐採されいた。年輪を数えてみると45年もののスギだった。青いテープが巻いてあるスギは、これから伐採されるのであろう。

 水越峠手前に差し掛かると、まだ雪が残っていた。峠を越えると、林道は西へカープしてケンノジ谷へ回る。峠のすぐ下はゴミの山だが、峠から林道を外れてゴミの横を通り、細見谷へ降りる。林道がない時代はここを降りたようだ。宮本常一氏もここを降りたのであろう。


 峠から細見谷の間を、キンカネリと呼んでいる。アイヌ語で以下の意がある。

キンカネリ
 kim-un-horka-nay-rupespe 
 キム・ウン・ホロカ・ナイ・ルペシペ
 山奥・にある・後戻りする・沢の・峠道沢

 峠を下ると、細流が細見谷へ降りている。それに沿って下ると林道に出る。林道を少し下ると、右岸からナメラ渕上ノ谷が降り、その川口の下流あたりをナメラ渕と呼んでいる。さらに下流にナメラ渕下ノ谷がある。


ナメラ渕の谷とナメラ渕

 ナメラブチ
 nam-mem-ran-pet-utur-kus-nay
 ナム・メム・ラン・ペッ・ウツル・クシ・ナイ
 冷たい・湧き水が・下る・川・の間・を通る・沢(村杉山)


 ナメラブチ上ノ谷
 penke-nam-mem-ran-pet-utur-kus-nay
 ペンケ・ナム・メム・ラン・ペッ・ウツル・クシ・ナイ
 川上の・ナメラブチ

 ナメラブチ下ノ谷
 panke-nam-mem-ran-pet-utur-kus-nay
 パンケ・ナム・メム・ラン・ペッ・ウツル・クシ・ナイ
 川下の・ナメラブチ

 アイヌ語の川名に、ペンケ・パンケがよく使われている。上・下の意で、意訳して、上、下のナメラ谷の地名が残ったと思われる。細見谷本流のナメラ渕は、ここに渕があった意でなく、ナメラ谷の川口のことである。ナメラ渕も上・下の川口のことを呼んでいたと思われる。ナメラ渕付近に淵はない。

 細見谷左岸にコムギ谷とシモコムギ谷があるが、これはおそらく、上コムギ、下コムギだったと思われる。


コムギ谷 シモコムギ谷

 コムギ谷
 kim-kus-pet
 キム・クシ・ペッ
 山奥を・通る・川

 シモコムギ谷
 sum-kimkuspet
 スム・キム・クシ・ペッ
 西の・コムギ谷


 細見谷はミズナラの多い谷である。『細見谷と十方林道』(「森と水と土を考える会」2002年)によると、細見谷上流部(渓畔林帯)の常在度表ではミズナラの出現頻度は61%〜80%で、5ランクの内、2番目のランクにある。この辺りを通った宮本常一は「栃、楢、欅などの密林」(昭和14年11月)だったと書いている。

下の谷道標

 十方林道を進み、キチダイゴヤ、下山橋、マゴクロウ谷、長者原の谷をる。長者原下ノ谷に、道が上がっている。以前はなかった道である。長者原下ノ谷の入口の右岸に、「下の谷」と書かれた古い道標が残っている。

、細見谷左岸にあるワサビ田を過ぎると、左岸からオバコ谷が降りている。笹を分けて川原に出てみた。オバコ谷付近は浅い谷である。昔と変わらない風景が続いているところであろう。

オバコ谷

オバコ谷
 オバコ谷
 o-hak-nay
 オ・ハク・ナイ
 川尻・浅い・川

 オバコ谷
 oha-kotan-nay
 オハ・コタン・ナイ 空の・村の・川

 オバコ谷の下流左岸の谷はナシノキ谷と言う。細見谷上流部の真ん中辺りにある谷である。


ナシノキ谷
 kenas-noski-oma-nay
 ケナシ・ノシキ・オマ・ナイ 林の・中央に・ある・川

 芸北、大暮の毛無山は、日本の最西端の毛無山だが、毛無山よりもっと大きい森がある、「西中国山地」の中央部にケナシ地名が無いのが不思議であったが、やはりケナシはあったのである。ナシノキの地名は、比尻山、半四郎山登山口のある林道の奥、苅尾山南にあるが、いずれも、ケナシノシキと思われる。

 右岸にケヤキ原上ノ谷、ケヤキ原中ノ谷があるが、ケヤキ原下の谷もあったと思われる。


ケヤキ原
 kene-us-ya-kus-pet-par
 ケネ・ウシ・ヤ・クシ・ペッ・パル
 ハンノキ・群生する・内陸を・通る・川の・口

ケヤキ原中ノ谷
 ケヤキ原上ノ谷
 penke-kene-us-ya-kus-pet
 ペンケ・ケネ・ウシ・ヤ・クシ・ペッ
 上の・ケヤキ谷

 ケヤキ原中ノ谷
 noske-kene-us-ya-kus-pet
 ノシケ・ケネ・ウシ・ヤ・クシ・ペッ
 中央の・ケヤキ谷

 ケヤキ原下ノ谷
 panke-kene-us-ya-kus-pet
 パンケ・ケネ・ウシ・ヤ・クシ・ペッ
 下の・ケヤキ谷


 ペンケ・ノシケ・パンケは、上・中・下の意でアイヌ語地名に多い。

 ケヤキ原の谷を過ぎると、細見谷はS字にカープする。最初のカーブの左岸の谷は赤土谷。


赤土谷 アカツチダニ
 wakka-ta-us-nay
 ワッカ・タ・ウシ・ナイ
 水・汲む・いつもする・川

 おそらく、赤土谷の下流にアイヌの墓があったと思われる。アイヌの墓は、川沿いの平坦地に作られた。近くにアイヌコタン、集落もあったであろう。その集落は、赤土谷下流のザザラノタキの対岸のカネヤン原辺りであろう。ザザラノタキ付近に水汲み場があったはずである。

 最初のカープを曲がりきるとトリゴエ谷。


トリゴエ谷
 tu-utur-kot-emko-e-an-nay
 ト・ウトル・コッ・エムコ・エ・アン・ナイ
 尾根・の間の・谷の・水源の・そこに・ある・川


京ツカ山
 ki-us-tu-ka
 キ・ウシ・ツ・カ 茅・群生する・尾根・上  
 バンキチエキの谷の山

 バンキチエキ
 pon-ki-us-pet-ekimne-ru
 ポン・キ・ウシ・ペッ・エキムネ・ル
 小さい方の・茅・群生する・沢の・山へ行く・道

 バンキチエキ+京ツカ山
 pon-ki-us-tu-ka-pet-ekimne-ru
 ポン・キ・ウシ・ツ・カ・ペッ・エキムネ・ル
 小さい方の・茅・群生する・尾根・上・沢の・山へ行く・道


ノブスマ谷
 nupka-suma-nay
 ヌプカ・スマ・ナイ
 野原の・石・川


 ノブスマ谷に林道が上がっている。そのすぐ先がタキワケ谷、細見谷中流部の広い谷は、左岸、右岸から降りる尾根の間を通る狭い谷となる。川底の幅が10m、タキワケ谷の滝の高さが6mほど。ここはタキワケ谷から岩盤が降りて、細見谷を横切っている。細見谷がこの岩盤を貫いて通っているところである。タキワケ滝はこの岩盤から落ちている。
 
 河川の浸食の度合いを測る尺度に浸食速度がある。日本列島の河川の浸食速度の平均値は0.1mm/年、黒部川の浸食速度は、6.0mm/年と言う(「黒部市HP」)。細見谷のこの辺りでは、0.1〜6mm/年の間にあるだろう。仮に最低の0.1mm/年としても、1000年で1mの値となる。タキワケ谷は、数千年前は現在の半分程度の高さで、川幅はもっと狭かったのであろう。

タキワケ谷


タキワケ谷
 tapkop-pa-kus-pet
 タプコプ・パ・クシ・ペッ
 タンコブ山・の上手を・通る・川(ザザラのタキ)

 ザザラのタキ
 san-sara-nup-un-tapkop
 サン・サラ・ヌプ・ウン・タプコプ
 出崎の・地があらわれている・野・にある・タンコブ山

 タキワケ谷の「タキ」はザザラのタキの「タキ」のことである。ザザラのタキの上流にタキワケ谷がある。



 細見谷を渡り、タキワケ谷の北の尾根を登った。下は潅木、上はササ薮の尾根である。尾根沿いに伐採された大木が残っていた。右手にザザラノタキの岩崖が見える。2時間ほどでようやく、十方山から下りる南西尾根に出た。こんどはササ薮の尾根が続く。30分ほどで下山林道の峠に出て、薮から解放された。

 峠で休憩。峠から五月谷が細見谷へ降りている。その先をトリゴエ谷が京ツカ山へ上がっている。遠い昔、アイヌの人々はここを越えていたのであろうか。

 峠を通り、下山林道を南へ回った。十方山登山道の通る三ツ倉の先に立岩山が見える。1時間ほどで林道終点に着いた。三ツ倉が目前にある。ここからウシロヤマ谷へ降りるトラバース道は大分消えかかっている。ウシロヤマ谷へ出て驚いた。大規模な土砂崩れがあったようだ。この分岐にはテープがたくさん巻いてあったのだが、全部なくなり、新しいテープが一つあった。

 崩れたウシロヤマ谷を上がった。滑りやすい岩の谷である。上部へ詰めて、土砂崩れの末端に出た。ササと雑木の斜面が崩壊し、一挙に崩れたようだ。

 その辺りから涸れ沢になる。涸れ沢を少し登ると目立つ岩があった。この辺りはコノタのギシの言う。

コナタノギシの大岩


コノタのギシ(地図ではコナタだが、本文はコノタ)
 poro-nutap-nay-kes-oma-p
 ポロ・ヌタプ・ナイ・ケシ・オマ・プ
 大きい・曲がりの・川の・末端・にある・もの(岩)

ウシロヤマ谷
 nup-kus-utur-o-ya-an-pet
 ヌプ・クシ・ウトル・オ・ヤ・アン・ペッ
 野・の向こう・の間の・そこに・陸岸・ある・沢


 ウシロ谷、ウシロ川の地名は「西中国山地」に多い。道が通っていた谷である。

 ササ谷を少し登り、尾根に出ると登山道だった。十方山の長い尾根に出ると、西風が強かった。40分ほどで山頂。風が強いので早々にシシガ谷へ降りた。こちらの谷は雪が大分残っている。雪の下は空洞である。落とし穴に大分はまりながら、道ある所に出た。二軒小屋に戻ると、ハゲノ頭が夕日に輝いていた。

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カシミールデータ
総沿面距離19.1km
標高差553m

区間沿面距離
二軒小屋
↓ 7.7km
タキワケ谷
↓ 1.9km
下山林道峠
↓ 5.0km
十方山
↓ 4.5km
二軒小屋

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京ツカ山 下山林道峠から
登路(青線は磁北線 薄茶は900m超 茶は1000m超)