山歩き

立野…細見谷…タキワケ谷…黒ダキ山 2006/8/12
立野(タチノ)…細見谷…オオリュウズ…オシガ谷…十方林道…タキワケ谷…十方尾根…仏石…黒ダキ山…下山林道…立野

■黒ダキ山(クロダキヤマ)1084m:広島県吉和

一ノ谷上流
テンガタキ下流
上流から流されてきた大岩
両腕の幅のテンガタキ
二ノ谷
大岩のサワグルミ
クロダキ谷
クロダキ谷上流から
イカダ滝
ホトケ谷
V字滝
オオリュウズ
オオリュウズ上部 休み場
前フトウ谷
S字ゴルジュ カンネワラ落口から
S字ゴルジュ
ロクロ谷
大堰堤
オシガ谷
十方林道
タキワケ谷
タキワケ谷上部
十方山 黒ダキ山北から
冠山 黒ダキ山南から
6:00 立野出発 晴れ 気温20度
 

7:45 オオリュウズ
11:40 オシガ谷
12:20 十方林道
12:50 タキワケ谷
15:30 十方尾根
16:05 黒ダキ山
17:20 下山林道 
18:20 立野

 

 立野キャンプ場は一年ぶりである。テントが数張りある。

 立野は「タチノ」と呼ぶ。『国郡志御用ニ付下調べ書出帳・吉和村』(1819年)に「下組の熊崎組の内」に立野がある。「下組」は吉和の東、「熊崎」は女鹿平スキー場の入り口辺りである。「書出帳」の橋名に「立野」のあるので、その当時から橋が架かっていたと思われる。「細見谷出会」に簗があり、課税対象として調査している(『吉和村誌』)。

 カシミールに「たちの」を含む地名は21件ある。川が鋭く湾曲した内側や尾根の尖った辺りを「タチノ」と呼んでいる所が多い。

 立野
 putu-chimi-nay
 プト・チミ・ナイ
 その川口・左右に分ける・川

徳島県・タチノモト 岡山県・タチノ
静岡県・タチノ 立野キャンプ場

 キャンプ場から細見谷橋を渡ると、樹林の中はまだ暗い。20分ほど歩いて、一ノ谷へ降りるカーブミラーを過ぎると、小谷に大きなトチノキがある。その横を通って谷へ降りる踏み跡がある。オオリュウズを目指す釣り人はここから降りることが多い。この踏み跡は一ノ谷上流のゴルジュを抜けた辺りへ降りる径である。

 キャンプ場から30分ほどで谷へ降りた。谷は水量が少ない。最近、雨が余り降っていないようだ。一年ほど無沙汰していると谷の様相が大分変わっている。胸まで浸かって渡る所は、砂が溜まり腰の深さになっている。新たな倒木が多い。

 見慣れない大きな岩が谷にあった。上部から落ちてきたものと思ったが、少し先にあったいつもの岩がない。どうやら数十メートルほど流されたようだ。水流の威力を改めて思い知らされる。

 谷へ降りてから40分ほどでテンガタキ。テンガタキは細見谷左岸の真上から降りる小さな滝である。天から降ってくる滝の意と思っていたが、アイヌ語に tem-ka-taki テム・カ・タキ 「両腕の幅の・上の・岩崖」の意がある。呼び名の通り、幅の狭い懸崖である。両腕を広げると、ちょうどこの滝の落口の広さになる。対岸に渡ると、上部にある小さな滝を見ることができる。

 カシミールに「てんしょう」「てんじょう」を含む地名が多い。アイヌ語で、tem-so テム・ショウ 「両腕の幅の・滝」の意がある。「テンジョウダキ」という呼び名の小さな滝は案外多いのではないか。「西中国山地」の広見山北に「テンジョウマワシ」の谷がある。

 テンガタキのすぐ先に二ノ谷の滝がある。テンガタキからいつもは落ちる飛沫が見えるのだが、やはり水量が少ないのか見えない。

 クロダキ山から下りるクロダキ谷は様子が変わっていた。大規模な土石が流れ落ちたのか、邪魔な岩や倒木が取り除かれ、奥へ見通しが利くようになっていた。すぐ上にあるクロ滝も埋まっているかもしれない。

 クロダキ谷の先は渕になって、左岸をヘツるが、渕は半部ほど砂で埋まっている。渕を越えると、左岸の独立した岩にサワグルミが10本ほど株立している。サワグルミが大きくなればなるほど下の岩は不安定になるだろう。二十数年倒れないでいるからまだ大丈夫か。

 クロダキ谷の渕からほどなくイカダ滝。ここも異常なほど砂礫が溜まっていた。以前は渕だったところに立つことができる。目の前に高さの低いイカダ滝がある。

 イカダ滝は、「昔はここで筏を作り、それにのって滝下まで進み、滝をよじ登ったというので、この名が付けられている」(「西中国山地」桑原良敏)。

 イカダ滝が古くから呼ばれている地名なら、アイヌ語で、 ika-us-at-tapkop-nay
 イカ・ウシ・アッ・タプコプ・ナイ
 越える・いつもする・オヒョウニレの・タンコブ山・川


 高さの低いイカダ滝は、目前で川が溢れているようにも見える。「いかだ」を含む地名は多くある。

 イカダ滝から右岸を戻り、ガレを登り、踏み跡を降りていくとホトケ谷の落口に出る。そこから下流へ細い水路がイカダ滝へ落ちている。

仏石

 ホトケ谷は上部にある仏石からその名が付けられたものである。アイヌ語で
 hotoke-un-nay
 ホトケ・ウン・ナイ
 仏石・に入る・川

 ホトケ谷の先がV字滝。文字の如くV字に流れ落ちている。V字滝の渕は深い。昔はもっと大きな滝だったと思われる。大昔、オオリュウズはここにあったのかもしれない。

 V字滝の左岸を渡り、V字滝の頭を通り、上部のオオリュウズに出る水路の右岸を進む。オオリュウズは新たに上部が崩れたようだ。小石が渕の半分ほど埋まっている。そのため滝の近くに立つことができる。昔の水量の多い、大きな渕は全くなくなってしまった。

 onne-riya-ru-utur-us-i
 オンネ・リヤ・ル・ウツル・ウシ・イ
 大きい方の・越年する・路・の間・にある・所

 オオリュウズの滝つぼにある大岩は、1991年9月27日の19号台風で、オオリュウズ上部が大きく崩れて落ちたものである。それまでは渕の深い、水量の多い滝だった。何匹も大アマゴを釣ったものである。

 細見谷は滝の多い谷である。

 アイヌ語で、
 pon-so-pet
 ポン・ソ・ペッ
 小・滝・川

 十方山と細見谷は同じコタンで暮らすアイヌの人々が名付け人かもしれない。

 右岸を少し登ると倒木に沿って踏み跡がある。踏み跡を進むとオオリュウズ上部に降りる。オオリュウズ上部を休み場と言う。

 オオリュウズを過ぎてしばらく進むと、前フトウ谷がある。岩崖を水流が落ちているが、対岸から見ると、谷の様子が見える。前フトウ谷のすぐ先にあるのが中フトウ谷。水量は僅かである。中フトウの先に渕があり、左岸に釣り人が吊るしたロープがある。その先にあるのが奥フトウ谷。

 この三つのフトウ谷がある辺りは十方山から南西に下りる尾根の枝尾根と沼長トロ山の周回路の尾根に挟まれた、切り立ったところにある。恐羅漢山から五里山へ続く長い南西の尾根は、御境を越えて高井山まで続いている。十方山の南西尾根も細見谷下流部で分断される前は、沼長トロ山、坊主山、冠山へと続いていたと思われる。

 前、中、奥のフトウ谷の細見谷が狭まったところは、長い十方山南西尾根の浸食過程でもある。アイヌの人々がここを通り抜けた時代は、もっと狭まった所だったのだろう。

 フトウ谷は谷と呼ぶほどの水流もない。乾いた時期は水流がないときもある。
 フトウ谷はアイヌ語で、
 ponsopet-putuhu-nay
 ポンソペッ・プトフ・ナイ
 細見谷の・その川口の・川

 前、中、奥の呼び名はアイヌの人々が名付けたのであろうか。おそらく「フトウ」の呼び名は、細見谷のこの辺りの川口を、そう呼んだと思われる。

甌穴

 奥フトウ谷を過ぎるとカンネワラ谷。

 カンネワラ谷の呼び名はカンネワラ谷を指しているのではないようだ。カンネワラはアイヌ語で、 kankan-ne-par-oma-nay
 カンカン・ネ・パル・オマ・ナイ
 腸・のような・入口・にある・川

 カンネワラ谷の上流にS字ゴルジュがある。S字状のゴルジュを通り抜けた所にカンネワラ谷の落口がある。「腸の・ような・岸辺」はS字ゴルジュの曲がりくねった谷を示している。

 水量が多くS字ゴルジュを渡れない時は左岸の崖に踏み跡がある。S字ゴルジュを過ぎると、谷は平凡になる。途中、岩盤に丸い穴が開いて、その中に小石が詰まっていた。ロクロ谷の落口付近から細見谷は90度北へカープする。
 
「木地屋とよばれている集団は滋賀県愛知郡小椋から出て全国の山地に分散居住し轆轤(ろくろ)を使って椀や盆を作っていたとされている。細見谷には中流部にロクロ谷があり木地屋が入っていたのは事実らしい」(「西中国山地」)。

 ロクロ谷は吉和の木地師が細見谷上流へ入ったルートとして説明されている。カシミールに「ろくろ」を含む地名は約60件ほどあり、広島県周辺の「ロクロ」を含む地名の特徴は、谷が曲がったところに位置していることだ。

 ロクロ谷はアイヌ語で、
 ru-kus-utur-oma-nay
 ル・クシ・ウトル・オマ・ナイ
 道・の向こう・の間・にある・沢

山口県・ロクロシ 広島県・ロクロバラ
島根県・ロクロサカ 細見谷・ロクロ谷

 ロクロ谷を過ぎると平凡な谷歩きとなる。やっと堰堤が見えると、細見谷下流部を通り抜けた気がしてくる。というのも堰堤のすぐ上は十方林道の祠である。

 大きな堰堤を越えると、右岸から押ヶ谷(オシガダニ)が降りている。谷の上部の峠を押ヶ峠(オシガダオ)と呼ぶ。水越峠から断層線に沿って5kmほど下った細見谷は、ここから南東方向に、断層線と直交して浸食した渓谷が立野まで5kmほど続く。

 オシガ谷はアイヌ語で、
 sin-noske-oma-nay
 シン・ノシケ・オマ・ナイ
 地・の中央・にある・川

 細見谷の中央辺りに位置している。

 オシガ谷落口の左岸に、祠に上がる踏み跡がある。もう少し細見谷を進んだ。谷がくの字に曲がる手前にシダワラ谷がある。シダワラ谷の両岸はスギ林になっている。

 「アイヌ民族博物館」のホームページのイヨマンテ(熊の霊送り)報告書によると、熊の頭骨を収める二又の木のことを、白老(シラオイ)地方では、ユクサパオニ yuk-sapa-o-ni 「えもの(熊)の頭がある木」と言い、「ユクサパオニ」は「ヘペレシンタ」(heper-sinta)とも言い、「仔熊のゆりかご」の意がある。

 熊の頭骨を収める二又の木は、Y字の地形を連想させる。十方山からロクロ谷へ向けて南西に下りる長い尾根は、細見谷へ降りる手前で「ザザラのタキ」の尾根と分かれる。この二つの尾根はY字の形をしており、その真ん中をシダワラ谷が降りている。

 シダワラ谷はアイヌ語で、sinta-wara-tani シンタ・ワラ・タニ と表し、「揺りかごの・岸辺の・所」の意が考えられるが、地形を検討するとそうだはないようだ。

 シダワラ谷は、谷がくの字に曲がる下手にある。アイヌ語で、
 si-tu-par-oma-nay
 シ・ト・オマ・パル・ナイ
 山の走り根の・入口に・ある・川

 ザザラのタキはアイヌ語で、

 san-sara-nup-un-tapkop
 サン・サラ・ヌプ・ウン・タプコプ
 出崎の・地があらわれている・野・にある・タンコブ山

 ザザラのタキへ降りる尾根はヤセ尾根である。ザザラのタキは対岸のカネヤン原から見た光景なのか、あるいは十方山から下りる南西尾根の岩場から見たのかもしれない。

 シダワラ谷の先にヘイフリ谷があるが、伏流水なのか、水の流れが見えない。その先に降りている十方林道に上がった。

 十方林道の祠から林道を下ると、道はくの字に曲がる。曲がった辺りで林道は谷へ降りている。細見谷左岸のヘイフリ谷の呼称は対岸の平坦な山の辺りを表現していると思われる。

 pe-i-hure-pet
 ペ・イ・フーレ・ナイ
 水・それが・赤い・川(カネヤン原下流)

 林道に「哺乳類調査中」の張り紙がしてある。周辺に「小型哺乳類罠」と「無人撮影装置」を設置しているという。大規模林道建設関連の調査ならおかしな話である。すでに着工を決めておいて今更調査すると言うのだろうか。

 細見谷右岸にカネヤン原下ノ谷、カネヤン原中ノ谷、カネヤン原上ノ谷と続く。「カネヤン」の呼び名は細見谷の地形を表現していると思われる。
 細見谷は大堰堤からカネヤン原上ノ谷にかけて、S字状に大きく曲がっている。

 カネヤン原はアイヌ語で、 
 kene-an-pet-par
 ケネ・アン・ペッ・パル
 ハンノキ・ある・川の・口

 十方林道に上がってから30分ほどでタキワケ谷に出た。

 左岸からタキワケ谷が落ちているが、4、5mの落差がある。アイヌの時代はもっと低い落差の水流が落ちていた所と思われる。タキワケ谷はアイヌ語で

 tapkop-pa-kus-pet
 タプコプ・パ・クシ・ペッ
 タンコブ山・の上手を・通る・川
 (ザザラのタキの上手)

 河川の浸食の度合いを測る尺度に浸食速度がある。日本列島の河川の浸食速度の平均値は0.1mm/年、黒部川の浸食速度は、6.0mm/年と言う(「黒部市HP」)。細見谷のこの辺りでは、0.1〜6mm/年の間にあるだろう。仮に間の1mm/年としても、1000年で1mの値となる。タキワケ谷は、数千年前は現在の半分程度の高さだったと思われる。
 オオリュウズやイカダ滝の砂礫の増加は、河川の浸食量が増えていることが原因の一つと思われる。

 タキワケ谷の上に上がってみると、谷は岩盤だった。タキワケ谷が流れ落ちる岩崖になっているのは、細見谷の浸食より、岩盤のタキワケ谷の浸食の方が遅かったためであろう。

 岩盤の谷を上った。倒木や潅木が多い。30分ほど登ると分岐がある。左岸から降りる谷は岩崖になっている。ヒキガエルが倒木の上で寝そべっていた。サワグルミの谷を登った。谷の両岸の上の方はスギ林のようだ。谷に潅木が覆いはじめたところで左岸の尾根を登った。タキワケ谷から2時間半ほどで、十方山南西尾根と黒ダキ山からの尾根が交差する「十方尾根」に到着した。

 少し休憩して、ブナ林の山道を黒ダキ山へ下った。この辺りはササが刈ってあり歩きやすくなっている。おそらく下山林道の峠まで刈ってあるのではないか。十方山への展望が良い。仏石を通り30分ほどで黒ダキ山。

 小松原橋へ降りる尾根の分岐の北の辺りを「ゴロシのタキ」と言う。セト谷から十方山への展望が良い所である。アイヌ語で iinkar-us-not-ke インカル・ウシ・ノッ・ケ 眺める・いつもする・山崎・の所。札幌の藻岩山はインカルウシペ(展望するところ)と呼ばれていた。

 黒ダキ山登山道から見える冠山や吉和の里、十方山の展望を眺めながら細見谷へ下った。帰着すると立野キャンプ場はテントでいっぱいになっていた。
 
 細見谷下流部では東側の谷の名は多く残っているが、西側は一ノ谷、ニノ谷、ロクロ谷だけである。一ノ谷、二ノ谷はあとから付けられた呼び名かもしれない。瀬戸滝上流、黒ダキ山の東側も多くの谷名が残っている。細見谷下流部から瀬戸滝上流にかけては、立岩貯水池の底で暮らしていた人々の生活圏であったと思われる。おそらく、立岩にはアイヌのコタンがあったと思われる。

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カシミールデータ
総沿面距離13.7km
標高差566m

区間沿面距離
立野
↓ 3.0km
オオリュウズ
↓ 2.8km
オシガ谷
↓ 1.6km
タキワケ谷
↓ 1.9km
黒ダキ山
↓ 4.4km
立野

 
 

クロダキ谷上流から下流方向
砂礫で埋まったオオリュウズの渕
細見谷下流 「西中国山地」から
オオリュウズ・イカダ滝周辺 「西中国山地」から
登路(青線は磁北線 薄茶は900m超 茶は1000m超)