山歩き

内黒峠…十方山…恐羅漢山…モリガ谷 2006/7/29
内黒峠…彦八の頭…丸子頭(前三ツ倉)…中三ツ倉…奥三ツ倉…十方山…ホリコシ谷…旧羅漢山…恐羅漢山…モリガ谷…内黒峠

■内黒峠(ウチグロトウゲ)990m:広島県戸河内町
十方山(ジッポウザン)1319m:広島県吉和
■恐羅漢山(オソラカンザン)1346.4m:広島県戸河内町横川

内黒峠 天上山
1166ピーク手前のミズナラ
市間山から降りる稜線 1166ピーク東
恐羅漢スキー場 1166ピーク西から
恐羅漢スキー場 彦八の頭西から
カラ谷のささ原
ブナ道 カザゴヤキビレ西
左藤本新道 右内黒峠
中三ツ倉
奥三ツ倉
十方山 奥三ツ倉西から
奥三ツ倉 十方山から
霞む立岩山 十方山から
トウガンの谷
旧羅漢山 登山口
十方山北峯
旧羅漢山
広見山
旧羅漢山の岩の穴
丸子頭から十方山への尾根 恐羅漢山から
牛小屋谷と深入山 立山尾根から
古屋敷の廃屋
モリガ谷
古い石積が残る旧道
深入山とサバノ頭 恐羅漢公園線から
6:05 内黒峠出発 曇り後晴れ 気温19度
 

7:05 彦八の頭
8:05 丸子頭
9:05 十方山
11:05 旧羅漢山登山口
12:20 旧羅漢山
13:00 恐羅漢山
14:50 モリガ谷 
16:40 内黒峠



 峠の気温は19度、風が強く涼しい。峠の道路の先の、東の雲の下に明るく輝いているのは天上山だろうか。
 十方山への縦走路の入り口にある加藤武三の碑を読んだ。

 歩きにくい雪路を
 四時間
 標高千米の内黒峠
 その頂に立つて
 見はるかす
 北の山波
 十二月の山襞には
 緑が残っていたが
 もう小鳥のさえずりはない
 きびしい
 北風が
 耳に鳴るのみ
      内黒峠
         加藤武三

 

 今日は涼しい西風だが、冬の風なら絶えられないだろう。今は車道があるが、昔は本郷から古道を登っていた。加藤武三は昭和48年に病没している。

 「内黒峠は…990メートル標高の峠である。この峠越えの道は、戸河内より横川、田代、中之甲など奥山の山里へ通じる唯一の道であり、ふるい歴史を持った峠といえる。『戸河内森原家手鑑帳』(1715年)によるとオオクビレ≠ニいう峠名が付けられている…古屋敷に電燈がついたのが昭和28年1月。この素朴な山里を訪れるには、内黒峠三里の道を歩いて越えるのをいとわない山好きの人たちだけであった」(「西中国山地」桑原良敏)。

 内黒峠の古名は「オオクビレ」と言う。アイヌ語で onne-kipir オンネ・キピリ 「大きな・崖」の意がある。「西中国山地」で鞍部の呼び名に、キビレ、クビレ、牛首がある。キビレ、牛首の呼び名は冠山のボーギノキビレを除いてすべて、恐羅漢山、内黒峠の周辺だけである。

 kipir キピリ→キビレ の転訛
 kipir →kipi→kupi→首 の転訛

 内黒峠から1166ピークへ上がる尾根を登った。オカトラノオが咲いている。最初のピークを過ぎて、少し下るとミズナラの朽ちかけた巨木がある。弱っているがまだ葉を出している。

 1166ピークへ差し掛かると、東側に市間山から降りる稜線が見える。少し進むと市間山と立岩山が見え、その間に大峯山が頭を出している。1166ピークの下りに入ると、恐羅漢スキー場が見えてくるが、上部は雲が降りて見えない。

サンインマイマイ

 足元を見るとキノコに穴が開き、すぐ横にマイマイが居た。サンインマイマイはキノコを食べるようだ。この辺りも雲が降りていたのか、ササが濡れている。後ろを振り返ると1166ピークが見える。1166ピークを下るとワル谷キビレへ降りる。ワル谷はアイヌ語で wa-ru-tani ワ・ル・タニ 「岸辺の・道の・所」の意がある。古屋敷から那須へワル谷、ナカノ谷を通る道があったのかもしれない。

 登山道は彦八の頭の西を通り、三角点は東側の薮の中にある。「彦八の頭」の峯は、横川側も那須側も無名で、桑原氏が丸子頭から類推して名付けたものである。那須側にあるヒコハチ谷の頭の意で呼んでいる。

 山頂を「カシラ」と呼ぶのは「西中国山地」ではこの辺りだけである。内黒峠北の「サバノ頭」は「アタマ」と呼ぶ。「カシラ」の地名が古くから呼ばれているのかどうか、「西中国山地」にそれを記す文献はないようだ。中部山岳地帯では「アタマ」「カシラ」の両方とも多い。

 「カシラ」が古い呼び名なら、アイヌ語で kas-ra カシ・ラ と表し、「小屋の・下」の意がある。周辺の谷沿いには「kas」を含む地名が多いので、尾根沿いに仮小屋があったのかもしれない。「kas」には仮小屋、狩小屋、漁小屋などの意がある。

 彦八の頭の下りからもスキー場が見えるが、相変わらず上部は雲が掛かっている。前方の1152ピークを見ながら下ると、古屋敷から上がっているヤマセ谷の左谷の水源帯の湿地を通り、カザゴヤキビレへ出る。南側の谷へササ原が広がっている。ササ原の真ん中を降りるカラ谷を下ると、ウラオレ谷上部の三ツ滝に出るが、カラ谷は薮の谷である。カザゴヤキビレは横川側の呼称のようだが、ウラオレ谷を上がる風小屋林道がある。

 カザゴヤキビレからブナ林を上がると、藤本新道分岐。藤本新道を降りると、ロウガ谷上部の恐羅漢公園線の車道に出る。藤本新道は1999年6月に開設された。藤本新道から登りに入ると、登山道のササが刈ってある。登山道の整備は十方山まで続いていた。

 1152ピークを越えると平坦な道が続く。樹林が開けて日が入るところはマムシが多い。内黒峠から2時間ほどで丸子頭。三角点は西側へ100mほど入った、ササがないところにあるので見つけやすい。この辺りは前三倉とも言う。

 前、中、奥の順に「三ツ倉」がある。

「三つ倉という山名は、那須、打梨、坂根、押ケ垰の呼称である。特に那須では、那須側に近い方から前三つ倉(丸子頭)、中三つ倉、奥三つ倉と呼び、略して前倉、中倉、奥倉とも呼んでいる」(「西中国山地」)。

 「三ツ倉」はアイヌ語で

 pet-kus-utur-us-tapkop
 オ・クシ・ペッ・クシ・ウトル・ウシ・タプコプ
 川の・向こう・の間・にある・タンコブ山


 前、中、奥の呼び名は元々の呼び名に漢字を当てたのか、後から便宜上当てたのか定かでないが、共通する「三ツ倉」の呼び名があったのは間違いないだろう。もう一つ、セト滝から十方山へ上る登山道の、アライ川の上部に「三ツ倉」がある。「西中国山地」では「ミツクラ」と呼ぶ地名はこの四つだけである。

 それぞれアイヌ語で表してみると、

●前三ツ倉
 maruko-pet-kus-utur-us-tapkop
 マルコ・ペッ・クシ・ウトル・ウシ・タプコプ
 マルコ・川の・向こう・の間・にある・タンコブ山


●中三ツ倉
 nup-ka-us-pet-kus-utur-us-tapkop
 ヌプ・カ・ウシ・ペッ・クシ・ウトル・ウシ・タプコプ
 野・上・にある・川の・向こう・の間・にある・タンコブ山


●奥三ツ倉
 o-kus-pet-kus-utur-us-tapkop
 オ・クシ・ペッ・クシ・ウトル・ウシ・タプコプ
 そこを・通る・川の・向こう・の間・にある・タンコブ山


 セト滝から十方山へ登ると、最初の「三ツ倉」があり、十方山の先に「奥三ツ倉」があり、その先に「中三ツ倉」があり、一番奥に「前三ツ倉」がある。四つの「三ツ倉」の名付け人は、同じ集落(コタン)に住むアイヌの人々であったと思われる。そのコタンは立岩ダムに沈んだ湖底にあったのではないだろうか。

 「伊藤四郎氏の碑のある十方山南尾根上の小さなピークも三つ倉≠ニ呼んでいる。これは吉和村下山側の呼称で、一の原に住んでいた古老から聞き出した」(「西中国山地」)。一の原は立岩貯水池へ落ちるニノワラ谷の南辺りと思われる。

 立岩ダムの底に沈んでしまった所にあったコタンの人々は、四つの「仕掛け弓場」を区別するために、それぞれの名称を付けたと思われる。前、中、奥の呼び名は元々そう呼んでいたのだろう。

 前三ツ倉は丸子頭と呼んでいるが、これは横川側の呼称である。丸子頭で横川のアイヌと競合し、立岩のアイヌの南東側の狩場の行動範囲は丸子頭辺りまでだったのかもしれない。那須の人々が「三ツ倉」と呼んでいたなら、内黒峠から前三ツ倉に至る、いくつかのピークにも「三ツ倉」があって良さそうである。

 丸子頭から登山道を進むと、相変わら前方はガスで煙っている。大岩のある中三ツ倉に到着。那須から上がる登山道は藤十郎を経由して、ここに上がる。次の奥三倉にも大岩がある。立岩ダムに降りる尾根からナガオのオカを通って、ここへ上がっているが、急進な薮尾根である。奥三ツ倉の下りから、十方山山頂の道標が見える。

 論所の掘り下げられた谷を渡り、十方山へ上がった。ちょうど内黒峠から3時間だった。風が強くガスが舞っている。一瞬の間、東の立岩山が見えたが、すぐに消えてしまった。気温19度、西風が強く、汗の体は寒いほどである。アザミが咲いている。三角点に腰掛けて休憩した。

「十方山の記録の初見は、安芸国で最も古い地誌といわれている黒川道祐『芸備国郡志』(1663年)であろう」(「西中国山地」)。

 十方山
 sir-utur-pa-e-san-nay
 シリ・ウツル・パ・エサン・ナイ
 山・の間・の上手の・頭が・川原に出ている・川

 

 しばらく様子を見てみたが、ガスは消えない。引き返して、論所まで下った。スギ林をホリコシ谷へ向けて進むと、水源に出る。山火事の跡なのか、黒くこげた大木の立ち木があった。大きなヒキガエルが石の陰に隠れている。岩の谷を下った。

 ホリコシ谷の地名が古いのであれば、por(ポル)「洞穴」があるのではと思ったのだが、なかった。おそらく論所の掘割が作られた以降の新しい地名と思われる。ホリコシ谷は「堀越」谷なのだろう。

 奥三ツ倉から降りるトウガンの谷を過ぎると、登山道に出た。十方林道はやたらテープが張ってある。舗装工事が始まるようだ。カープミラーのある旧羅漢山入り口で休憩した。

 林道工事のテープを跨いで、急なスギ林を登った。ようやく開けた上部に出て振り返ると、十方山の北の山頂(1328ピーク)から南西に下りる長い稜線が、空を半分隠していた。大きなスギのある焼杉山分岐を過ぎると、まもなく1271ピーク。しばらく緩やかの湿地が続き、登山口から1時間余りで旧羅漢山。

 大岩の北側の岩場に回ると、強い西風が吹いている。霞んでいるが、旧羅漢山、焼杉山、五里山、小郷山、冠山へと続く展望がある。大神ヶ嶽の特徴ある山影も見える。西から北側にかけては大展望である。目前の広見山、旧羅漢山からカマノキビレへ降りる大きな尾根、その東側の大きく落ちたカメイ谷の先に春日山がある。この岩場の下は大きな穴になっている。

 旧羅漢という山名は、元は恐羅漢山と呼んでいたが、東へ移動したため、旧羅漢と呼ぶようになったと思っていた。

 旧羅漢山の呼び名は古いのかもしれない。「旧羅漢山は、横川の呼称である。いつの頃からこう呼ばれ出したか明らかではない」「島根県側の呼称として『匹見町史』には旧羅漢山となっている」(「西中国山地」)。

 旧羅漢山はアイヌ語で、

 ki-us-oesorokan-sam
 キ・ウシ・オソロカン・サム
 茅・群生する・恐羅漢山・の傍


 北海道のラカンベツ(rakan-pet)は「うぐいの産卵する穴のある川」の意がある。元々は rakan-put(ラカン・プッ)「産卵する穴の・川口」と呼んでいた。穴のアイヌ語に puy(プィ)がある。kisar-puy(キサラ・プィ)「耳の・穴」、知床のプユニ puy-un-i は「穴のある所」の意がある。

 「西中国山地」では、櫛山の横吹峠 yoko-puy ヨコ・プィ 「獲物を狙う・穴」、茅帽子山の横吹山も同じ意である。

 旧羅漢山南のケンノジ谷は、アイヌ語で、

 yanke-not-utur-kus-nay
 ヤンケ・ノッ・ウツル・クシ・ナイ
 内陸の方にある・山崎・の間・を通る・川


 「西中国山地」では「ノジ」はブナの植物方言と説明され、ノジイ谷、ノジガ谷、ノジイ山の「ノジ」はブナを表しているとしている。

櫛山北のノジイ川 ノジイ川南の長い尾根
高岳南のノジイ川 南側の長い尾根
ケンノジ谷は南北両側から長い尾根が降りている

 「恐羅漢山という山名は、広島県戸河内町の呼称である。『戸河内森原家手鑑帳』(1715年)の他村境覚書きにおそらかん山≠ニあるのが初見と思われる」(西中国山地)。

「『芸藩通志』(1825年)の戸河内村絵図にヲソラカン山≠ニあり、山林の項の十方山の所に『一に西十方をおそらかん山とよぶ、日本興地図に、石見界に高山そかひ山としるすは、おそらかんのことなるべし』とあるのはよく知られている」(「西中国山地」)。

 恐羅漢山と旧羅漢山の間の鞍部を平太小屋原と呼ぶ。アイヌ語で、

 e-para-tanne-nupuri-ko-yan-pet-par
 エ・パラ・タンネ・ヌプリ・コ・ヤン・ペッ・パル
 頭・広い・長い・山・に向って・上がる・川の・口


 恐羅漢山は、「o-esorokanni-sam オ・エソロカンニ・サム 川尻・ミツバウツギの・傍」の意。


 恐羅漢山は「ソカヒ山」とも呼んでいた。
 
 e-soro-kar-ni
 エ・ソロ・カル・ニ
 それで・箸・つくる・木

 赤とんぼが群れている。口を開けているとトンボが飛び込んできそうである。先ほどは、セミが額に飛び込んできた。30分ほどで恐羅漢山。朝、通ってきた内黒峠から十方山への山並みをカメラに収めて、立山尾根を下った。牛小屋谷の池面の向こうに深入山がある。

 削り取られた立山尾根の旧登山道を下り、牛小屋の峠に出た。ヒヨドリバナに蝶が狂ったように群れていた。古屋敷を通る旧道を下った。大規模道に出る手前に、古屋敷の廃屋が数件残っていた。照りつける車道を歩き、横川橋の手前から弥五郎の碑の前を通り、モリガ谷に出た。ここまで恐羅漢山から2時間ほど。

 左岸の神社の横を上がると、朽ちかけた丸木橋がある。踏み跡が谷に沿ってあるが、茂っている。右岸を少し上がると電線が左岸から右岸に渡り、電柱に沿って道が上がっている。ホウノキの巨木がある。モリガ谷の流れで削り取られた右岸の道は、左岸に渡り、スギ林を上がっていく。しばらく上がると道はモリガ谷から離れて南へ上がる。

 電線はモリガ谷に沿って内黒峠へ上がっており、こちらにも踏み跡がある。広い道の続く南へ上がった。所々、石積の残る旧道である。緩やかに曲がりながら登っているので、馬も通った道と思われる。途中で古屋敷から上がる旧道と合流した。

 この道は上本郷、内黒峠、本横川、ヨビヤ峠、田代へ抜ける旧道だった。旧道の分岐から少し上がると車道が見える。車道へ上がり内黒峠へようやく帰着した。


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カシミールデータ
総沿面距離19.6km
標高差706m

区間沿面距離
内黒峠
↓ 6.5km
十方山
↓ 5.4km
恐羅漢山
↓ 5.3km
モリガ谷
↓ 2.4km
内黒峠

 
 

      冠山            寂地山                   千両山        大神ヶ嶽      安蔵寺山
春日山とカメイ谷
登路(青線は磁北線 薄茶は900m超 茶は1000m超)