山歩き

2014/5/25
オトトミ谷・莇ヶ岳

仏峠…弟見山…莇ヶ岳…兄見山 2006/6/24
仏峠…オクノコウチタニ…弟見山…莇ヶ岳…大橋谷…ヤシキ谷…兄見山…仏峠

■弟見山(オトトミヤマ)1085.3m:島根県鹿足郡柿木村椛谷(カバタニ)
■莇ヶ岳(アザミガダケ)1004.2m:山口県都濃郡鹿野町大字大潮字小河内(オガワチ)

仏峠の石碑
仏峠
林道入口
林道終点手前の堰堤
オクノコウチ谷 涸沢
オクノコウチ谷上部
弟見山
兄見山 展望地から
枯れかけたブナ
ブナの道
弟見山 莇ヶ岳手前から
莇ヶ岳
莇ヶ岳南方向
大橋谷を下りる
ヤシキ谷
イシノコヤ分岐の石積
兄見山
6:10 仏峠出発 曇り後晴れ 気温16度
 

8:35 弟見山
9:25 983P
10:25 莇ヶ岳
12:15 ヤシキ谷
16:00 兄見山
16:45 仏峠


 仏峠から使われていない林道が上がっている。兄見山、弟見山へ上がる登山道入口は日原営林署の看板の左にある。峠から西へ少し下りると、「佛峠」と書かれた昭和43年の林道開通碑がある。

 オクノコウチ谷に沿う、柵のある使われていない林道を上がった。林道に沿ってスギ林がつづき、道はヤブになっている。20分ほどで堰堤に出た。林道はその先で終点ようだが、地図では右岸に上がっている。谷を大分登った所で伏流水になるが、少し登るとまた水流が現れる。谷の上部に達すると両側に岩壁が迫り、谷はその間を水路のように流れる。

 その水路を越えると、谷は緩やかになり、水源帯に入った。エイレイソウが実を付けている。ササ帯を抜けて、尾根の登山道に出た。そこから数分で弟見山。林で展望はない。


三角点 

 弟見山は点名、白井堂(シロイドウ)で三等三角点、明治28年の選点。

「弟見山の名は『防長地下上申』大潮村の境目書きと村内絵図に記されている。『防長風土注進案』大潮村には乙とミ山≠ニある」(「西中国山地」桑原良敏)。

 登山道はササユリが咲いている。弟見山から10分ほど進むと展望地に出る。展望地から延びる尾根の先にドームのような莇ヶ岳がある。東側に冠山周辺の山々が見えているはずだが、よく分からない。西の秀麗な山は十種ヶ峰だろうか。真下にオオドチ谷が上がっている。

 莇ヶ岳へ進んだ。コアジサイが咲いている。ブナが段々と多くなる。枯れたと思われる大きなブナの一つの枝から葉が出ていた。まだ生きている。983ピークを過ぎて次のピークに古い石柱があった。境界石のようだ。次のピークにも同じような石柱がある。境界石とはいえ、重たい石柱をよく運んできたものだ。

莇ヶ岳 

 二番目の石柱を過ぎた辺りから大きなブナが多くなり、実もたくさん落ちていた。弟見山から2時間ほどで莇ヶ岳。南側へ展望が広がる。

 莇ヶ岳は点名、小河内(オガワチ)で三等三角点、明治28年の選点。

 山頂に金属製の小祠があり、その後に「石鎚神社兄見山開山」の石碑があり、「昭和15年開山」と彫られている。「西中国山地」の桑原良敏氏は「兄見山」と呼ぶことに疑問を呈している。

「この山を兄見山と呼ぶには疑義がある。…『防長地下上申』大潮村の項にあさミ山∞あさみ嶽≠ェ使われ、『同』大潮村絵図にはあさみ嶽≠ニ記されている。『防長風土注進案』大潮村に莇山≠ェ見える。島根県側の資料lは…『吉賀記』に椛谷村の項にアサミカタケ≠ニあるのが唯一の資料である。この山の呼称は
 アサミ→アザミ→アダミ
と変わって来たと思われる」

「徳地町柚木の仏峠の南にある川上の斉藤澄義老人より防石長三州の界の峯は登尾≠ニ呼んでおり、兄見山≠ヘ四の谷と五の谷のつきあげにある徳地町、鹿野町、柿木町の境にある981m独標峯であることを教えてもらった。この峯は斉藤家の縁先からよく見え、川上では昔からそう呼んでいるという。『防長地下上申』の記述もこの付近の峯と読みとれる」(「西中国山地」)。

 南へ下りる踏み跡を下った。数分で分岐に出る。道標に「←新道Pへ」とあり、「松の木尾根コース40分」とあった。新しく道が開かれたようだ。分岐から少し下ると、新道は南の尾根へ下りていた。西のササ薮を下った。背丈を越えるササを踏み分けて、ようやくヒノキ林に入り、大橋谷へ下りた。クサアジサイが咲き始めている。谷に炭焼き跡の石積が残っていた。谷の水は冷たい、顔を洗い喉を潤した。

 数十メートル下ると山道が上がっていた。スギの大木の谷を右、左と渡りながらヤシキ谷に沿う林道に出た。莇ヶ岳から2時間ほどだった。舗装された林道に日が射して暑い。ほどなく砂利道に変わる。ひさしぶりに、陰にいるサワガニを見つけた。しばらく上がると林道は分岐する。ヤシキ右エキに上がるのは林道屋敷支線、ヤシキ左エキを上がった。

 上がるに連れて、林道は草で覆われ、崖が崩れ、倒木が塞ぐようになる。踏み跡があるので釣り人でも上がっているのだろう。谷を渡る橋も落ちている。この林道はイシノコヤの水源まで上がっているが、上のほうは潅木や枝で覆われている。

 林道から兄見山へ上がる谷の分岐へ下りた。あんまり暑かったので、しばらく分岐付近で水と戯れ、体を冷やした。
 イシノコヤと兄見山へ上がる谷の間の尾根を上がったが、これが間違いだった。兄見山まで200mほどのところから猛烈な薮となる。谷を詰める方が楽なようだ。

 やっと登山道に出て座り込んでいると、カケスが挨拶に来た。カメラを向けるとすぐに枝の陰に隠れた。そこからほどなく兄見山、山頂を示すものはなにもない。北へ真直ぐに下り、45分ほどで佛峠に帰着した。

 
 
ブナの実


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カシミールデータ
総沿面距離12.9km
標高差536m

区間沿面距離
仏峠
↓ 2.1km
弟見山
↓ 3.0km
莇ヶ岳
↓ 6.1km
兄見山
↓ 1.7km
仏峠


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地名考


●仏峠(ホトケトウゲ)

 「西中国山地」の峠名は、互いに相手方の集落を指して呼ぶことが多い。仏峠(ホトケトウゲ)が古くから呼ばれている峠名なら、周辺に「ホトケ」の所在を示す、「仏岩」「仏石」などがあるはずだが、「西中国山地」にそれに当たる地名はないようだ。

 「西中国山地」にある「仏峠」の地名は、ほかに平家ヶ岳のみで、平家ヶ岳西のホトケ谷にあるホトケ岩の北西に仏峠がある。平家ヶ岳の「仏峠」はアイヌ語で

 tu-pok-ke-iwa-nay-taor
 ト・ポク・ケ・イワ・ナイ・タオル
 ホトケ岩の・川の・高岸

 弟見山の仏峠。

 hur-etu-o-kus-pet-putu-kotan-us-i
 フル・エト・オ・クシ・ペッ・プト・コタン・ウシ・イ  
 丘・鼻崎の・そこを・通る・川の・その川口に・村・ある・所

 仏峠の西にサコ谷がある。アイヌ語で
 sak-kotan-nay
 サク・コタン・ナイ
 夏・村・川

 仏峠の北東にイワガサコノタキがある。アイヌ語で iwa-kes-oma-sak-kotan-nay-tapkop
 イワ・ケシ・オマ・サク・コタン・ナイ・タプコプ
 山・端・にある・夏・村・川の・タンコブ山

 仏峠南の白井谷にオダガサコがある。アイヌ語で  ota-ka-oma-sak-kotan-nay
 オタ・カ・オマ・サク・コタン・ナイ
 砂原・の上・にある・夏・村・沢


 同じく白井谷にハコノサコがある。アイヌ語で hak-o-nup-un-sak-kotan-nay
 ハク・オ・ヌプ・ウン・サク・コタン・ナイ
 浅い・川尻に・野・ある・夏・村・沢

 おそらく、サコやイワガサコから仏峠、オクノコウチ谷を通って、白井谷のオダガサコやハコノサコへ入っていたと思われる。そのあたりの地名が「オトトミ」だった。

 オトトミ谷の水源の山を「オトトミ山」と呼ぶようになったと思われる。

 周辺の峠名に小峯山北の小峯峠、野道山西の野道峠、栃山隧道の栃山峠などがある。山名が峠名になっている場合が多いようだ。


仏峠周辺 「西中国山地」から


●莇ヶ岳
 
 「アザミ」を含む地名は東日本に多い。「アサム」は東北に多い。
 asam アサム はアイヌ語で、「底、奥」などの意がある。
 su-asam ス・アサム は「鍋の・底」の意。

 アイヌ神謡集の中の、狐が自ら歌った謡「トワトワト」(チロンヌプ ヤイェユカラ 「トワトワト」)に、「asam」がある。

 iruska as kusu sotki asam 
 cxi kojajosura

 私は腹立たしくて床の底へ
 身を投げて寝てしまいました。

 「西中国山地」で「アザミ」を含む地名に以下がある。

○阿佐山北にアザミゴヤ谷
 asam-ko-an-nay
 アサム・コ・アン・ナイ
 奥・の方に・ある・川

○春日山南のアザミ谷 
 as-sam-pet
 アシ・サム・ペッ
 潅木の・傍の・川

 近辺に地名に以下がある。

 島根県掛合町に朝原(アサンバラ)がある。朝原は波多川の奥にある。

 山口県徳山市に莇地(アドウジ)がある。下流の下莇は「アザミ」とルビが振ってあるので、元々は「アザミ」の読みだったと思われる。莇地は錦川の支流の奥にある。

 広島県久井町の莇原(アゾウバラ)も「アザミ」の読みだったと思われる。芦田川の支流の奥にある。

 「アザミ」「アサン」「莇」を含む地名は、川の奥まった所にあるようだ。


 莇ヶ岳はアイヌ語で
 as-sam-ke-tay-kes
 アシ・サム・ケ・タイ・ケシ
 潅木の・傍・の所の・林・端
 

 
 

展望地から東方向
大蔵ヶ岳 展望地から
登路(青線は磁北線 青は900m超 ピンクは1000m超)