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眼鏡峠

クマノジョウ谷…春日山…ゴロウゲキ…リョウシ谷 2006/5/14
ヒノ谷…クマノジョウ谷…鞍部…春日山…898P…872P…ゴロウゲキ…リョウシ谷…上家屋遺跡…ヒノ谷

■春日山(カスガヤマ)989.2m:島根県美濃郡匹見町大字道川字春日山

ヒノ谷入口
ヒノ谷
ヒノ谷右岸の石垣
クマノジョウ谷
クマノジョウ谷
クマノジョウ谷
クマノジョウ谷
クマノジョウ谷
クマノジョウ谷
炭焼き窯跡の石積
クマノジョウ谷
クマノジョウ谷
クマノジョウ谷
クマノジョウ谷
クマノジョウ谷を横切る林道
鞍部手前の湿地帯
春日山

春日山山頂の小祠

広見・半四郎・向半四郎のシルエット
南へ続く峯
872峯 展望岩から
春日山 展望岩から
展望岩
ロープを挟んだミズナラ
ヒノキ林を下る
林道のオタマ
恐羅漢山と旧羅漢山 林道から
ゴロウゲキ
リョウシ谷
上家屋遺跡(ウエナヤ)
ネズミイシ谷と匹見川
匹見川に広がる平坦地
7:45 ヒノ谷出発 晴れ 気温12度

10:20 林道
11:00 鞍部
11:20 春日山
12:20 898P
13:20 872P
13:50 林道 
15:00 リョウシ谷 
15:35 上家屋遺跡
17:00 ヒノ谷

ヒノ谷入口 

 民家の横からヒノ谷右岸に入ると「鼠谷家之墓」と書かれたりっぱな墓所があった。すぐ先の堰堤から谷へ降りた。少し登ると右岸の上に石垣があり、道があるようだ。谷へ降りてきた右岸の道を進むと小堰堤で道は終わる。30分ほどで谷の分岐、クマノジョウ谷へ入る。4、5mほどの小さな滝が多くなる。

 左岸のスギ林がビニールテープで囲ってあった。上から林道を下ろすようだ。そこから少し登ると左岸に石積があり、丸い大きな穴のある炭焼き窯の跡が残っていた。クマノジョウの「クマ」はアイヌ語で「物干し竿」「横山」の意がある。ここでの「クマ」の意は春日山が起伏が少なく横に連なっていることを表わしているようだ。

 滝が多いのはヒノ谷分岐から炭焼き窯跡の手前辺りまでである。右岸のスギ林もテープで囲ってある。少し上がると谷は分岐する。しばらく左を進むと上部に石垣が見える。リョウシ谷から春日山東を通って降りている林道に出た。林道は茂っている。林道は下へ降りているが、おそらく行き止まりだろう。テープが巻いてあった炭焼き窯跡辺りへ林道を延長すると思われる。

春日山 
 

 林道から再びクマノジョウ谷に入り登っていくと、谷は狭くなりブッシュが覆ってくる。左岸のスギ林を登った。鞍部手前は湿地になっている。小さな谷だったが、3時間ほどで鞍部に出た。そこから20分で山頂に着いた。山頂の三角点の傍の石積の上に小祠がある。春日大明神と呼び、奈良の春日神社の分神だという。南側に鳥居がある。東側に展望地がある。霞んでいるが広見山、半四郎山、向半四郎山のシルエットが分かる。南川への峯はまだはっきりしているが、亀井谷の先の恐羅漢山はガスで見えない。

 春日山は三等三角点で、明治28年の選点、所在地は島根県美濃郡匹見町大字道川字春日山。

 春日山から霞んだ恐羅漢側の山々を眺めていると、広島県側から見るよりも、一段と大きく見える。恐羅漢山の山名は道川の人が名付けたのではないかと思われてくる。「西中国山地」(桑原良敏著)から山名の変遷を並べてみる。

●恐羅漢山
明治21年 大亀谷山 陸軍局測量部
大正12年 大亀谷山 島根県史
大正14年 大亀谷山 石見誌

1715年 おそらかん山 戸河内森原家手鏡帳
1738年 おそらかん山 申定鈩山約束之事
1819年 オソラカン 書出帳・戸河内村
1825年 ヲソラカン山 芸藩通志
 
1825年 そかひ山 芸藩通史志(日本興地図引用)
1834年 ソカヒ山 大日本興地便覧
1837年 ソカヒ山 国郡全図

●旧羅漢山
1825年 西十方山 芸藩通志
江戸末期 西十方 吉和村絵図
匹見町の人々 匹見羅漢

 参謀本部陸軍局測量部が編集した二十万分の一図「広島」では大亀谷山だったが、後に恐羅漢山に改められた(「西中国山地」)。広島県統計年鑑に恐羅漢山の名が出てくるのは昭和33年からである。『戸河内森原家手鏡帳』『書出帳・戸河内村』『芸藩通志』などに早くから「おそらかん」の名があるのに、陸軍の測量部は「大亀谷山」とし、明治14年から始まる広島県統計年鑑に「おそらかん」の名が何故なかったのだろうか。

 元々、広島県側では「オソラカン」の認識がなかったと思われる。古文書にある「おそらかん」「オソラカン」はおそらく道川の村人から聞いた山名を記したのではないだろうか。

 オソラカンのオソラは osor-rakan (尻の・窪地・穴)の意だが、窪地は春日山から見るとよく分かる。道川の標高は400m、横川は750mだから、道川から眺める恐羅漢山は横川より一段と大きく、りっぱに見える。

 (「様似のアイヌ語語彙集」から)
 山におられる神 (キムン・ソ・カ・タ・オラリ・カムイ)
 kimun so ka ta horari kamuy 

 ソカヒ山(山におられる神の意)
 so-ka-h の転訛   horari(住む)

 カメイ谷はカムイ谷(kamuy)で、恐羅漢山は kamuy-nupuri と呼ばれていた。そこから「大亀谷山」の山名がでていると思われる。

 春日山と恐羅漢山の間にある岩倉山はアイヌ語でカムイ・イワク・ウル kamuy-iwak-ur 「神が・住む・山」の意がある。
 岩倉山や恐羅漢山は道川の縄文の人々がつけた山名であるのかもしれない。

 春日山から登山道を下り、途中から東の尾根に入った。踏み跡が少し残っている。この辺りは伐採された山なのか大きなブナがまったくない。小鞍部に降りると東からヒノキ林が上がっている。進むにつれて薮の道となる。40分ほどで898ピーク。その先に一人が立てるほどの展望岩がある。ミズナラが邪魔で恐羅漢山は枝越しになるが、春日山と北東へ展望がある。林間から東側の植林帯の間に林道が通る山肌が見える。途中、ミズナラが鋼のロープを挟み込み、ミズナラが伸びたため、ロープがピンと張っていた。

 

 1時間ほどで872ピーク。そこから少し先へ進み、ゴロウゲキ水源のヒノキ林を下った。20分ほどで林道に出た。林道の水溜りにオタマジャクシが群れていた。林道から恐羅漢山が見える。ゴロウゲキは小さな谷でヤブで覆われている。谷を下るとサンショウがプンプン匂う。棘のあるもの、ないものもある。この谷は2、30cm角の小石が多い。1時間ほどでリョウシ谷に抜けた。リョウシ谷左岸の林道を下った。多きなカタツムリが岩に張り付いていた。スギが雪の重みで何本も倒れたり、曲がったりしていた。

上家屋遺跡(ウエナヤ)説明板
国道の墓所

 リョウシ谷から30分ほどで国道に出た。リョウシ谷右岸に上家屋遺跡(ウエナヤ)の説明板があった。縄文後期(3500年前)の数点の土器片が発掘されている。説明板には土器片の図がある。説明板の裏手に上がって見ると、トタン板で囲われた10m四方の遺跡がある。かつて縄文人が暮らしていたところである。リョウシ谷の右岸落口で、南側には匹見川に広い平坦地が広がっている。住むのに適した場所だったと思われる。

 

 遺跡の近くの国道沿いに墓所があった。石ころのような墓石から現代のものまで並んでいる。そこから匹見川に架かる倉渡瀬橋を渡った。ダヤ前遺跡辺りで農家の人に聞くと、ネズミイシ谷の対岸の水田に遺跡があったが、圃場整備の工事で発見されて元に戻され、現在は水田の下にあると。水田にオシドリのツガイが遊んでいた。

 のんびり歩きながら、ヒノ谷落口に帰着すると、奥さんが車を洗っていた。入口の墓所のことを尋ねてみた。この方が「鼠谷」さんだった。くわしいことは分からないが、ネズミイシ谷と関係あるらしく、同姓の親戚が数軒あるという。縄文の時代にネズミイシ谷の落口の平坦地に住んでいた人の末裔なのかもしれない。「鼻の形がネズミの由来ですよ」と話すと初めて聞いたと言っておられた。アザミ谷の落口には3軒ほど家があったとのこと。

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カシミールデータ
総沿面距離9.6km
標高差580m

区間沿面距離
ヒノ谷
↓ 2.3km
春日山
↓ 3.2km
リョウシ谷
↓ 1.6km
上家屋遺跡
↓ 2.5km
ヒノ谷


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地名考

●アザミ谷
 北海道にアザミ川がある。アイヌ語でアジャンミ(私の住む村)の意がある。「西中国山地」では丸瀬山(阿佐山塊)の北に早水川から上がるアザミゴヤ谷がある。

 at-cha-pet
 アッ・チャ・ペッ
 群れ来る・マス・沢

●イブシ谷

 ipe-us-pet
 イペ・ウシ・ペッ
 サケ・群在する・川

 匹見川はサケ・マスがのぼる川であった。

●イヌボウ谷
 イヌボーは中国地方のコシアブラの方言である。
 inun-po-us-nay
 イヌン・ポ・ウシ・ナイ
 小さな・猟小屋・ある・川

 イヌガ谷は「西中国山地」の深入山、イヌガサコ谷が白旗山にある。イヌガは inun 「狩猟小屋」の意がある。

●ヒノ谷
 「西中国山地」にヒノ谷は多い。半四郎山、女鹿平山、安蔵寺山、平家ヶ岳などにある。

 「ヒノ谷は入口に立派な滝があるが奥は平凡な谷である。…ヒノ谷は異名が多い。この谷の吉和川本流への落口の左岸に銅を採掘した鉱山があったので銅山川と呼ばれたり、谷の奥に沼の原があるので沼の谷と呼ばれたりしているがヒノ谷が一般的である」(「西中国山地」女鹿平山の項)。

 女鹿平山のヒノ谷の上部は何度か歩いているが、緩やかな平坦地の谷である。

 ヒノはアイヌ語で 
 inun-us-nay
 イヌン・ウシ・ナイ 漁猟小屋・ある・川

●クマノジョウ谷
 北海道のクマネシリ岳は kuma-ne-sir と表し、「物干し竿の・ような・山」の意がある。北海道に「クマ」を含む地名は多い。
 熊石町は「アイヌ語のクマウシ(魚を乾かす竿の多い所)から熊石と名付けられたといわれている」(北海道・熊石町HP)。

 アイヌはタラノキを物干し竿に使用(まっすぐで、節がないため)。悪疫流行の時、戸口や窓口に立てておいた(「アイヌ民族の有用植物」)。

 kuma は他に「横山」の意がある。「西中国山地」に「クマ」を含む地名は十余りあるが、「物干し竿」というより「横山」の意があるようだ。「横山」というのは起伏が少なく横に連なっている様を表わしている。

 クマノジョウはアイヌ語で 
 kuma-ne-so-nay
 クマ・ネ・ショウ・ナイ
 乾し棚・のような・滝・川

 クマノジョウ谷はヒノ谷の途中から東に分岐するが、その辺りから滝が多くなる。
 滝は so と表し、ソ、ショ、ショウなどの呼び名がある。

 「西中国山地」の「クマノ」を含む地名は、クマノアナ谷(半四郎山)、クマノウツ谷(千両山)があり、「ジョウ」を含む地名も多くある。クマノジョウ谷の落口に縄文の前田中遺跡がある。

●ネズミイシ谷
 ネズミイシは
 net-puy-us-nay
 ネッ・プィ・ウシ・ナイ
 流木・桟橋・ある・川

 ネズミイシ谷は鼻のように曲がった所の匹見川の渕に落ちている。谷の落口に縄文のダヤ前遺跡がある。ネズミイシの名付け人はダヤの遺跡に住んでいたアイヌ系の縄文人であろう。この辺りの地形は1〜2万年の間変わっていないと思われる。

 ネズミイシ谷の出身と思われるヒノ谷の「鼠谷」さんは「鼠石谷」さんではない。「ネズミイシ」の呼び名だけが残っていた後世に付けられた姓であれば「鼠石」か「鼠石谷」と呼ぶ場合が多いのでないか。

 ネズミイシ谷の落口には岩礁があり、流木が塞き止められるようなところであった。「ネズミ」を含む地名は全国にある。「鼻」のような川の曲がった渕の所に位置している。

岐阜県・鼠石(ネズミイシ)
福島県・鼠内(ネズミウチ)
静岡県・鼡野町(ネズミノチョウ)
ネズミイシ谷

●リョウシ谷
 北海道にルークシュベツ ru-kus-pet があり、「道が通る川」の意。
 ルークシュ→リョウシ の転訛

 この辺りの地名は道川だが、関連しているのかもしれない。リョウシ谷には縄文の上家屋遺跡がある。リョウシ谷には山越の道が昔からあったと地元の人から聞いた。

 あるいは下記の意。
 riya-us-nay
 リヤ・ウシ・ナイ
 越年する・いつもする・川

 匹見川下流の広見川の合流点付近は縄文銀座と呼ばれ、縄文遺跡が多い。道川はこの縄文集落のキャンプ地であったと思われる。

●カジヤ谷
 西中国山地はタタラや鍛冶屋が多かったところだが、「カジヤ」は鍛冶屋と関係ないようだ。カジヤ谷はリョウシ谷の一番奥にある。

 yuk-us-riyam-nay
 ユク・ウシ・リヤム・ナイ
 鹿・多い・越年・川

●ゴロウゲキ
 「西中国山地」に「ゴロウ」を含む地名は、タテゴロウ谷、チュウゴロウ谷、ゴロウ谷、ヤゴロウウツ谷、ゴロウマン谷、ゴロウタなどがある。深入山の東にあるチュウゴロウ谷は五六集落の下流に落ちている。

 ゴーロ・ゴロウ・ゴウラは「西中国山地」における石原・ゴーロ帯の地形方言でもある。

 ゴロウゲキは、
 koro-uk-ekimne-an-pet
 コロ・ウク・エキムネ・アン・ペッ
 フキの葉を・取る・山に・ある・川

●ツエゲキ
 「西中国山地」に「ツエ」を含む地名は、ツエ谷、ツエオクエキ、ツエガ谷、ツエヌケなどがある。「ツエ」は尾根と尾根が交わった辺りから落ちる谷が多いようだ。
 ツエはアイヌ語で tu-e(ツ・エ)と表し、「二つの・尾根の」の意がある。

 「ゲキ」はエキ、エゴ、サク、サコなど谷に包括される地形方言と思われる(「西中国山地」)。ツエゲキは尾根と尾根の間から落ちる谷の意がある。

 tuye-ke-ekimne-an-pet
 ツィエ・ケ・エキムネ・アン・ペッ
 崩れて・いる・山に・ある・川

●矢尾(ヤオ)
 矢尾は匹見川が春日山の西の水源帯に入るところに位置している。「ヤオ」の地名は中国地方では少ない。北海道のヤオロマップ川は「支流の危ない川」の意味がある。
 ya-o
 ヤ・オ
 網・そこにある

 縄文遺跡から網用の石錘が出土している。

北海道 ヤオロマップ川
山口県・矢落(ヤオトシ)

●春日山(カスガヤマ)

「山麓の村人で春日山の名を知らぬ人はいないが、それは山頂に春日大明神の小祠があり毎年夏の8月5日に山頂で祭りが行なわれているからである。山頂の小祠の祭神は奈良の春日神社の分神だという。春日山という山名の初見は『石見八重葎』(1816年)であろう。神出ケ嶽ともいい、『昔より此山に登りたる人を聞かず』とある」(「西中国山地」)。

 春日山南東の恐羅漢山はアイヌ語で、オソロ・コツ・カムイ・ヌプリ osor-kot-kamuy-nupuri と表わし「尻の・窪地の・神の・山」の意がある。 
 オソロ・カムイ→オソラカム→オソラカン の転訛。

 南の十方山は si-poro-kamuy-nupuri と表わし、「本当に・大きい・神の・山」の意がある。

 ジ・ポロ→ジッポロ→ジッポウ の転訛

 吉和冠の西の山をウシロカムリと言うが、ウシロカムリは冠山の古名と思われる。osor はオソロ、オショロ、ウショロ、ウシロと呼び、同じ意である。ウシロカムリも osor-kot-kamuy-nupuri と表わし、
 osor-kamu-ri と転訛した。

 ウシロ・カムイ・ヌプリ→ウシロカムリ→冠 の転訛

 春日山周辺はアイヌ語で説明できる山名があり、アイヌ系の狩猟民が往来していたのだろう。周辺には縄文遺跡が多くある。冠山から恐羅漢山に掛けての山々はおそらく kamuy-nupuri と呼ばれていたと思われる。

 吉和の小室井山(コムロイヤマ)も komuroi とローマ字で表すと、kamui そのもののようだ。『吉和村絵図』(江戸末期)にカムリ山の名が小室井山の近くに画かれている(「西中国山地」)というから、小室井山もカムイ・ヌプリと呼ばれていたのだろう。周辺にカムイ・ヌプリが多いのは、冠山の麓で縄文の狩猟民が石器を製造していたことと関係あると思われる。

 春日山の山名は意外と少なく全国6ヶ所で市街地にあり、山間部にあるのは山梨県の1151m峯だけで、他は300m以下の小山である。富士山の北にある山梨県の春日山の周辺には、毛無山(1500m)や烏帽子山(1161m)、烏帽子岳(1257m)がある。

 春日山はクマ狩りの山だったのかもしれない。「神出」はキムン・カムイ(クマ)の出没を意味しているのだろうか。

 kimun-kamuy-sumawkor (キムン・カムイ・スマウコロ)は「クマ神を来客として迎える」「クマを仕留める」などの意がある(「様似のアイヌ語語彙集」)。

 キムン・カムイ・スマウコロ→カムイ・スマウコロ
  カムイ・スマ→カスマ(ka・suma)→カスガ の転訛

 春日山はクマを仕留めたことが山名の由来のようだ。春日山の山頂にある春日大明神の起源は「kimun-kamuy」(熊神)と思われる。

    「様似のアイヌ語語彙集」から

ネプ ウェン カムイ イキ テク エンタ 
 nep・wen・kamuy・iki tek enta 
 どんな・悪い・奴が・やって

 神出ヶ嶽(カミイデガタケ・春日山古名・1816年)
 kamuy-tu
 カムイ・ト
 神の・峯(熊の・山)

 春日山
 kamuy-tuk
 カムイ・ツク
 神・山(熊・山)

●道川(ミチガワ)
 五万分の一地形図では、道川の地名は匹見川水源の嶽の西の生山川から始まり、岩倉山の西の下道川上、春日山南の下道川下まで広い範囲を指している。

 匹見川は聖なる山、弥畝山を水源のひとつとし、キムン・カムイ(春日山)とオソロ・カムイ(恐羅漢山)の間を通って下っている。

 道川には縄文遺跡が多くある。上流から塚ノ町遺跡、新槇原遺跡(旧石器・縄文)、田中ノ尻遺跡、上家屋遺跡、ダヤ前遺跡、前田中遺跡がある。

 pes-pet ペシ・ペッ  崖・川

 道川は表匹見峡付近の地形を表していると思われる。

 縄文の時代から匹見川上流を「ミチカワ」と呼んでいたと思われる。

 道川は、muy-etu-nay ムィ・エッ・ナイ 「入り江の・鼻の・川」の意も考えられる。

●眼鏡峠(メガネトウゲ)
 春日山の南西に眼鏡峠と言う珍しい地名がある。「メガ」を含む地名は全国に共通した地形がある。地図で見る限り、谷と谷、尾根と尾根が交わるところを「メガ」と呼ぶようだ。尾根はいくらか急峻なヤセ尾根になっている。

 pet-e-kari-us-nay-putu-ke
 ペッ・エ・カリ・ウシ・ナイ・プト・ケ
 川が・そこで・回る・いつもする・川口の・所


福島県・女神山(メガミヤマ)
鳥取県・妻鹿野(メガノ)
広島県・吉和 女鹿平山(メガヒラヤマ)
 

春日山の祠
       岩倉山                                  恐羅漢山         osor kot   旧羅漢山  ゴロウゲキの林道から
春日山  旧羅漢山から 2004/11/13
登路(青線は磁北線 青は900m超 ピンクは1000m超)