山歩き

三段峡…蛇杉橋…サバノ頭…シワギ 2006/4/22
柴木(シワギ)…黒渕……蛇杉橋…800.1P…サバノ頭…ヤグラ…大キビレ…登山道分岐…柴木林道…柴木

■サバノ頭(サバノアタマ)1073m:広島縣山縣郡戸河内町字横川

柴木発電所
龍の口
兜石
石樋
天狗岩
ニ谷(フタタニ)
向山 コの字曲流部の西側
黒渕と黒渕荘
キヤケボタン
コの字曲流部の北側
イシノコヤ
コの字曲流部の西側と蛇杉橋
サバノ頭
4mブナ
800.1三角点付近
薮ヶ迫山
三段峡入口の柴木
向真入山 深入山 ミズナシ谷

蛇杉橋付近

サバノ頭東面の林道
深入山と向山
コの字地形の辺り
サバノ頭
砥石川山
サバノ頭と深入山
左柴木川 前方板ヶ谷
5:30柴木出発 曇りのち雨

6:55 蛇杉橋
9:00 800.1ピーク
10:25 サバノ頭
10:40 ヤグラ(林道分岐)
10:55 大キビレ(神の丘)
11:20 登山道分岐
12:20 柴木林道
12:45 柴木
 

 明るくなり始めた西善寺前の駐車場を出発。三段峡の奥にサバノ頭が覗いている。柴木集落は柴木川右岸のタキガ谷沿いにある。柴木発電所の前を通り、樹林に入るとまだ暗い。

 右岸の姉妹滝を過ぎると、龍の口、岩盤を深くえぐった樋状の流路がつづく。セイカク谷の先の谷中に兜石がある。30分ほどで皆実高校遭難碑、1952(昭和27)年11月2日、皆実高校生徒七名が橋が崩れて死亡する惨事が起こった。

皆実高校遭難碑

 遭難碑からすぐの角がツエオクエキ。岩壁の間から小さな流れが落ちている。そこからすぐ花崗岩盤を侵食した石樋が200mつづく。その先に二谷の落口がある。天狗岩の下には千両山の四艘岩のような大岩が谷に転がっている。その辺りから、サバノ頭から黒渕に落ちる尾根を取り囲むコの字形の曲流部が始まる。前方に曲流部の上にある向山が見える。

 黒渕の渡船は本日休業の看板が出ていた。今日は昼から雨の予報だから、入渓する人もいないのだろう。説明板は「Krofuchi」となっている。1時間ほどで黒渕荘へ渡る橋に到着したが、扉が閉まっている。黒渕荘の先に尾根に上がる踏み跡がある。

 黒渕(クロブチ)はアイヌ語で ku-wor-puchi ク・ウォル・プチ 飲む・水の・川口の意。
 黒渕北東の向山はアイヌ語で mu-kay と表わし、「塞がって・折れ曲がった」の意がある。

 「折れ曲がった」というのは、黒渕から葭ヶ原へ抜けるコの字形の曲流のことを指していると思われる。昔、此辺りの地形は黒渕が川口で、黒渕から葭ヶ原へ抜けるコの字形の曲流は黒渕辺りで塞がっていたのかもしれない。
 向山は「塞がって折れ曲がった所の山」の意となる。

「向イ山はこの山の地籍上の正式な呼称と思われる」(「西中国山地」桑原良敏)。

 柴木からミズナシ川までの北側が地籍名、向イ山で、三段峡入口の柴木発電所から道菅に沿って登ったところに向山三角点(731P)があり、柴木川が板ヶ谷へ合流する手前で川は直角に曲がっている。

 戸河内町で発掘された遺跡は、縄文早期(6,000年〜8,000年前)の上殿遺跡、深入山遺跡、弥生時代の上殿遺跡、土居遺跡、寺領遺跡があり、柴木川上流に樽床遺跡がある。

 黒渕が塞がった時代があるとすれば、古八幡湖が匹見川へ流入して水量が少なくなった時期か、あるいは大きな崖崩れで谷が埋まったためかもしれない。
 古八幡湖は晩氷期に出現したから、その頃三段峡が塞がっていたとすれば、1.3万年まえにはこの辺りを mu-kay と呼んでいたと思われる。

 おそらく戸河内には1.3万年以前から狩猟民が住んでいたのだろう。

 さらに進んで前方に落口が見えると、キヤケボタン、ちょうど谷が北西に曲がる角にあり、三段峡のパンフレットでは雄滝となっている。向山の稜線から落ちる谷が五つ並んでいる。次のイシノコヤはゴウロ帯で伏流水。トウダイゴヤ、コマサも伏流のようだ。ほかに小さな谷が幾つかあり見分けにくいところである。コの字の曲流の底辺が、鉦が瀬(カネガセ)の先に本当に真っ直ぐ伸びている。谷が南西に変わるところにあるのがマサガ谷、その先の蛇杉橋を渡ると説明板がある。

 昭和63年7月21日の記録的な集中豪雨で、マサガ谷の西の谷が崩れて、「岩屑なだれ」が起こった。そのため左岸にあった遊歩道を迂回する橋が作られた。この先に再び左岸に渡る南峰橋がある。

 少し休憩して蛇杉橋付近に下りる尾根を登った。地図で見る限り、さほど急ではないと思っていたが、ほとんど垂直に登るような感じの尾根である。1時間ほどで689ピーク、林間から前方にサバノ頭、後に向山が見えてくる。尾根径はやっと緩やかになり黒渕荘から上がっている踏み跡があらわれる。尾根筋は一度伐採されたようだ。切断された朽ちた大木が転がっていた。

800.1ピーク

 高度が増すと若いブナが現れる。800.1mピーク手前に周囲4mの大ブナが残っていた。800.1m四等三角点の南側はスギ林、それを過ぎると尾根に大岩が多くなる。少し上がると展望の利くところが幾つかある。

 雪の残る深入山からミズナシ川が降りている。コの字の曲流の西側の谷が眼下にある。しばらく展望地を探しながらジグザグ登っていると林道に出た。林道はまだ雪が残っている。林道はサバノ頭から東に下りる尾根で終点。そこから山頂へ上がると、頂上手前の尾根から眼下への展望があるが、植林されたスギが邪魔で全体を見渡すことができない。

 蛇杉橋から3.5時間ほどで山頂。三角点は雪を被っていた。山頂の展望岩で休憩した。正面に砥石川山、左の恐羅漢山は枝の後にある。右へ比尻山、高岳、苅尾山、掛津山、深入山がある。樽床貯水池の湖面が光っていた。

 サバノ頭は四等三角点、選点は昭和27年。

 サバノ頭は「サバノアタマ」と呼ぶ。サバノ頭は国土地理院の点名では「鯖ノ頭」となっているが、「鯖の頭」ではない。「西中国山地」の語尾が「頭」の地名に「生山頭」「野田原の頭」「彦八の頭」「丸子頭」「論田の頭」「ハチガ谷の頭」などがあるが、すべて「カシラ」と呼び、「アタマ」と呼んでいるのはサバノ頭だけと思われる。「アタマ」と呼ぶ理由があったようだ。

「この地方ではカシラと呼ぶ場合が多いようだ。…地図に山名が記されていないことが従来の村人の呼称が保たれていた要因と考えるとこれは特殊なケースとも思える」(「西中国山地」)。

 サバノ頭は地図に山名が記されていなかったため、横川や柴木の古老や黒渕荘の主人が呼んでいた「アタマ」の呼び名が残ったと言うのである。「特殊なケース」というから「サバノカシラ」に変わっていた可能性もあった。
 地図に記載されたため、「臥竜山」や「掛頭山」のように地元の呼び名とは違う山名となった場合もある。「サバノ頭」は古くから呼ばれていた山名と思われる。

「サバは砂礫土を意味する愛知、岐阜の方言で、山ヌケして押し出された崩壊土がヌケ谷をつくり、崩壊を起こす地点がサバノ頭という」(「西中国山地」桑原良敏)。
 サバノ頭の東にヌケ谷がある。
 ヌケはアイヌ語で nupki-pet ヌプキ・ペッ 濁り水・川 の意。

 サバノ頭はアイヌ語で sa-wa-an-tama と表わし、「前・に・ある・首飾り」の意がある。

 これは何のことだろうと地図を見ると、その通り、首飾りがある。今、通ってきた三段峡の曲流しているところが、まるで「サバノ頭」がネックレスを掛けているように見える。

チムフタマのシトキ U字の部分
カシミールで見た地形 サバノ頭東面から

 アイヌの首飾りには、タマサイ(玉飾り)、シトキ(タマサイの真ん中に金属の飾りの付いたもの)がある。タマサイは儀式のときに、女性が首から胸にかけたアクセサリーの一種で、女性の身を守るものとされ、母から娘にと、代々伝えられた「女の宝物」であるという。(白老町HP)。
 シトキは重い宗教的儀式に用い、タマサイは盛装した時、あるいは普通の儀式に使われた。

 「チムフタマ」はシトキ付きタマサイで、シトキの形が三段峡の曲流の形とよく似ている。チムフタマのヒモの部分にあたるところに、ニ谷(フタタニ)とヌケ谷があるが、二谷は「チムフタマ」が語源かもしれない。タマサイは中央の大きな玉をヌムンタマ(核玉)という。ヌケ谷も「ヌム」が語源かもしれない。

 「サバノアタマ」「フタ」「ヌケ」と呼ぶことで、「前にある首飾りのチムフタマ」を表現しているのではないかと思われる。

 シワキの居住地を出発したアイヌ系の縄文の民は、黒渕附近から西の尾根を登った。シカを見張り場のあるヌケ谷へ追い落とす作戦である。サバノ頭東面から谷を見下ろした時、思わず叫んだ。「チムフタマ!」。そしてつぶやいた。

 sa-wa-an-tama-kamui-nupuri

 チムフタマ(シトキ)はアイヌの守り神である。アイヌは三段峡の曲流地形にカムイを見出した。そしてそれを「サ・バ・ノア・タマ」と呼んだ。

 「沢」で始まる地名は全国にあるが、東北から中部の地方に多い。「沢○」で「前にある○」を示している。「沢沼」であれば、「前にある沼」の意となる。もちろんアイヌ語から発生した地名ということが前提だが。

 空は雨模様になってきた。早々に下山した。スギ林を下り、15分ほどでヤグラのある林道に出たが、ヤグラは雪で崩れていた。そこから15分で大キビレ、「神の丘」の道標がある。林道からサバノ頭と深入山が並んで見える。道に雪が大分残っていて新雪もあったようだ。サバノ頭から1時間ほどで林道は登山道と合流した。登山道は雪で倒れた倒木であちこち塞がれていた。スギ林の斜面はスミレが咲いていた。三段峡入口に出て柴木川のプレートを見ると「Sibakigawa River」となっていた。


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カシミールデータ
総沿面距離13.7km
標高差746m

区間沿面距離
柴木
↓ 4.8km
蛇杉橋
↓ 2.9km
サバノ頭
↓ 2.6km
登山道分岐
↓ 3.4km
柴木


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柴木集落

地名考

●柴木(シワギ)
 柴木を「シワギ」と呼ぶのは広島県だけのようだ。
 『上戸河内・戸河内村諸色覚』(享保12年・1727)の橋数の項に「しわき」とある。『国郡志御用ニ付き下しらへ書出帳・戸河内村』(文政2年1819)に村内小名として「柴木」があり、読みは不明。隣村の『書出帳・西八幡村』(文政2年)の川の項には「芝木」となっている。

 柴木はシワキ→シワギと変化したのかもしれない。

 柴木はアイヌ語で sittok-wa-ke と表わし、「肘のように曲がった・岸辺の・所」の意がある。
 シット・ワ・キ→シワキ→シワギ と転訛した。

 柴木集落の辺りや三段峡にある肘が曲がったような地形をアイヌ語で sittokew(シットケゥ) あるいは sittok(シットク) と表わす。

 シットクは柴木から板ヶ谷へ合流するところで、直角に曲流する地形を表している。
 那須集落にシワギ谷がある。ちょうど曲流する所に落口があり、sittok 由来と思われる。柴木集落もシワギ谷も同じ縄文の民が名付け人かもしれない。

 福島県の四時川(シトキカワ)、篠登城(シドキ)などにシットクの地形がある。いずれも三段峡にあるような曲流した地形に似ている。おそらく、sittok に由来していると思われる。

 タマサイのシトキと曲流地形のシットクは呼び名も地形の形も似ているが、関連しているのかもしれない。シトキが由来であれば、柴木は sitoki-wa-ke と表し、「偉大な神の・岸辺の・所」の意となる。

 また、柴木は下記の意も考えられる。
 柴木 sut-iwa-kes スッ・イワ・ケシ
 麓の・山・端


シットク地形 四時川(福島県)
シットク地形 篠登城(福島県)
柴木の曲流地形

●セイカク谷
「三段峡の右岸にセイカク谷というのがある。横川から柴木へ帰る途中、柴木の西善寺の住職、セイカクさんが迷い込んだ谷」(「西中国山地」)と言う。

 セイカクはアイヌ語で sey-o-kakkum-nay セイ・オ・カックム・ナイ 貝柄・多い・柄杓・川の意。住職のセイカクさんの由来でなければ、セイカク谷は貝殻がある谷かもしれない。

●二谷(フタタニ)
 フタはアイヌ語で huttat と表し、「笹薮」の意がある。ニ谷はササ谷の意となる。

●ウラオレ谷
 那須集落の上部にウラオレ谷と言う変わった地名がある。以前から気になっていた地名のひとつである。『書出帳・戸河内村』(文政2年1819)に入合山として「うらおれ」があり、古くから呼ばれた地名のようだ。

 津波に関するアイヌの口碑伝説の記録がある。

『北海道における津波に関するアイヌの口碑伝説と記録』(2005年) 
 北海道立地質研究所 清水康博

「白老方面では、津浪は極めて稀で現在生きているアイヌでこれを經驗した者はなく、從って津浪除けの咒をした者はないが、宮本家にウバクシマ(口碑)として殘る話では、津浪は津浪の~(悪~)である夫婦の~オレプンベカムイの起こすものでその前兆は、エカシが見れば直ぐ判り、海の水が波もなくどろんとして氣味惡く靜かで、岸には小さい波がどぶどぶ躍ってゐる時で、これを見たら直ぐに濱に出て、鵡川の如く古道具を並べて波に攫はせ、オレプンベカムイに與へる。然し、鵡川と異なることはウバシクマに從って、昔オレプンベカムイが海から來た時に、同時にアイヌの~なるシリカップ(カヂキマグロ)が現はれアイヌはシリカップの導くまゝに流れてゐたら樽前山に引掛つて命が助かつたと云う話があるから、この津浪除けの咒の時にエカシは樽前山の山の~にイナウ(木幣のこと)を作つて捧げカムイノミして酒を供へる」(白老、宮本氏)。

 伝説にある「ウバクシマ」と津波の神「オレプンベカムイ」がウラオレの地名に似ている。
 ウラオレは津波と関連する地名かもしれない。柏原山にナバオレガケという、ウラオレに似た地名がある。

 「オレプンベカムイ」の「オレ」
 「ウバクシマ」の「ウバ」

 ウバ→ウラ ウバ→ナバ

 ウバ・オレ→ウラオレ(ナバオレ)の転訛が考えられる。また、

 urar-or-nay ウララ・オロ・ナイ
 霧の・中の・川 の意も考えられる。


2004/12/11 那須集落上部

 内黒峠からイタホシ谷を降りて林道に出た所に「津波橋」があり、かつて山津波があったところと思われる。ウラオレ谷は上部に三つの滝がある急峻な谷で、大きな山崩れがあれば集落への被害は甚大だったと予想される。

 ナバオレガケの字名は「水越」のようだ。

 アイヌの口碑伝説の記録に、海の大波(シニンゴロク)、ワタラ(岩=コタンの守り神)などの名があり、周辺の地名と似ているところがある。ウラオレ谷やナバオレガケの地名はアイヌの狩猟民が残した現代への警鐘なのかもしれない。

展望岩から
展望岩から
サバノ頭とミズナシ川  深入山から 2006/4/16
柴木の山林部の地籍名と位置 三段峡の北側の地籍名が向イ山 「戸河内町史」から
登路(青線は磁北線 青は900m超 ピンクは1000m超)