5:30柴木出発 曇りのち雨
6:55 蛇杉橋
9:00 800.1ピーク
10:25 サバノ頭
10:40 ヤグラ(林道分岐)
10:55 大キビレ(神の丘)
11:20 登山道分岐
12:20 柴木林道
12:45 柴木
明るくなり始めた西善寺前の駐車場を出発。三段峡の奥にサバノ頭が覗いている。柴木集落は柴木川右岸のタキガ谷沿いにある。柴木発電所の前を通り、樹林に入るとまだ暗い。
右岸の姉妹滝を過ぎると、龍の口、岩盤を深くえぐった樋状の流路がつづく。セイカク谷の先の谷中に兜石がある。30分ほどで皆実高校遭難碑、1952(昭和27)年11月2日、皆実高校生徒七名が橋が崩れて死亡する惨事が起こった。
皆実高校遭難碑 |
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遭難碑からすぐの角がツエオクエキ。岩壁の間から小さな流れが落ちている。そこからすぐ花崗岩盤を侵食した石樋が200mつづく。その先に二谷の落口がある。天狗岩の下には千両山の四艘岩のような大岩が谷に転がっている。その辺りから、サバノ頭から黒渕に落ちる尾根を取り囲むコの字形の曲流部が始まる。前方に曲流部の上にある向山が見える。
黒渕の渡船は本日休業の看板が出ていた。今日は昼から雨の予報だから、入渓する人もいないのだろう。説明板は「Krofuchi」となっている。1時間ほどで黒渕荘へ渡る橋に到着したが、扉が閉まっている。黒渕荘の先に尾根に上がる踏み跡がある。
「向イ山はこの山の地籍上の正式な呼称と思われる」(「西中国山地」桑原良敏)。
柴木からミズナシ川までの北側が地籍名、向イ山で、三段峡入口の柴木発電所から道菅に沿って登ったところに向山三角点(731P)があり、柴木川が板ヶ谷へ合流する手前で川は直角に曲がっている。
戸河内町で発掘された遺跡は、縄文早期(6,000年〜8,000年前)の上殿遺跡、深入山遺跡、弥生時代の上殿遺跡、土居遺跡、寺領遺跡があり、柴木川上流に樽床遺跡がある。
黒渕が塞がった時代があるとすれば、古八幡湖が匹見川へ流入して水量が少なくなった時期か、あるいは大きな崖崩れで谷が埋まったためかもしれない。
古八幡湖は晩氷期に出現したから、その頃三段峡が塞がっていたとすれば、1.3万年まえにはこの辺りを mu-kay と呼んでいたと思われる。
おそらく戸河内には1.3万年以前から狩猟民が住んでいたのだろう。
さらに進んで前方に落口が見えると、キヤケボタン、ちょうど谷が北西に曲がる角にあり、三段峡のパンフレットでは雄滝となっている。向山の稜線から落ちる谷が五つ並んでいる。次のイシノコヤはゴウロ帯で伏流水。トウダイゴヤ、コマサも伏流のようだ。ほかに小さな谷が幾つかあり見分けにくいところである。コの字の曲流の底辺が、鉦が瀬(カネガセ)の先に本当に真っ直ぐ伸びている。谷が南西に変わるところにあるのがマサガ谷、その先の蛇杉橋を渡ると説明板がある。
昭和63年7月21日の記録的な集中豪雨で、マサガ谷の西の谷が崩れて、「岩屑なだれ」が起こった。そのため左岸にあった遊歩道を迂回する橋が作られた。この先に再び左岸に渡る南峰橋がある。
少し休憩して蛇杉橋付近に下りる尾根を登った。地図で見る限り、さほど急ではないと思っていたが、ほとんど垂直に登るような感じの尾根である。1時間ほどで689ピーク、林間から前方にサバノ頭、後に向山が見えてくる。尾根径はやっと緩やかになり黒渕荘から上がっている踏み跡があらわれる。尾根筋は一度伐採されたようだ。切断された朽ちた大木が転がっていた。
800.1ピーク |
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高度が増すと若いブナが現れる。800.1mピーク手前に周囲4mの大ブナが残っていた。800.1m四等三角点の南側はスギ林、それを過ぎると尾根に大岩が多くなる。少し上がると展望の利くところが幾つかある。
雪の残る深入山からミズナシ川が降りている。コの字の曲流の西側の谷が眼下にある。しばらく展望地を探しながらジグザグ登っていると林道に出た。林道はまだ雪が残っている。林道はサバノ頭から東に下りる尾根で終点。そこから山頂へ上がると、頂上手前の尾根から眼下への展望があるが、植林されたスギが邪魔で全体を見渡すことができない。
蛇杉橋から3.5時間ほどで山頂。三角点は雪を被っていた。山頂の展望岩で休憩した。正面に砥石川山、左の恐羅漢山は枝の後にある。右へ比尻山、高岳、苅尾山、掛津山、深入山がある。樽床貯水池の湖面が光っていた。
サバノ頭は四等三角点、選点は昭和27年。
サバノ頭は「サバノアタマ」と呼ぶ。サバノ頭は国土地理院の点名では「鯖ノ頭」となっているが、「鯖の頭」ではない。「西中国山地」の語尾が「頭」の地名に「生山頭」「野田原の頭」「彦八の頭」「丸子頭」「論田の頭」「ハチガ谷の頭」などがあるが、すべて「カシラ」と呼び、「アタマ」と呼んでいるのはサバノ頭だけと思われる。「アタマ」と呼ぶ理由があったようだ。
「この地方ではカシラと呼ぶ場合が多いようだ。…地図に山名が記されていないことが従来の村人の呼称が保たれていた要因と考えるとこれは特殊なケースとも思える」(「西中国山地」)。
サバノ頭は地図に山名が記されていなかったため、横川や柴木の古老や黒渕荘の主人が呼んでいた「アタマ」の呼び名が残ったと言うのである。「特殊なケース」というから「サバノカシラ」に変わっていた可能性もあった。
地図に記載されたため、「臥竜山」や「掛頭山」のように地元の呼び名とは違う山名となった場合もある。「サバノ頭」は古くから呼ばれていた山名と思われる。
「サバは砂礫土を意味する愛知、岐阜の方言で、山ヌケして押し出された崩壊土がヌケ谷をつくり、崩壊を起こす地点がサバノ頭という」(「西中国山地」桑原良敏)。
空は雨模様になってきた。早々に下山した。スギ林を下り、15分ほどでヤグラのある林道に出たが、ヤグラは雪で崩れていた。そこから15分で大キビレ、「神の丘」の道標がある。林道からサバノ頭と深入山が並んで見える。道に雪が大分残っていて新雪もあったようだ。サバノ頭から1時間ほどで林道は登山道と合流した。登山道は雪で倒れた倒木であちこち塞がれていた。スギ林の斜面はスミレが咲いていた。三段峡入口に出て柴木川のプレートを見ると「Sibakigawa
River」となっていた。
カシミールデータ
総沿面距離13.7km
標高差746m
区間沿面距離
柴木
↓ 4.8km
蛇杉橋
↓ 2.9km
サバノ頭
↓ 2.6km
登山道分岐
↓ 3.4km
柴木
柴木集落 |
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地名考
●柴木(シワギ)
柴木を「シワギ」と呼ぶのは広島県だけのようだ。
『上戸河内・戸河内村諸色覚』(享保12年・1727)の橋数の項に「しわき」とある。『国郡志御用ニ付き下しらへ書出帳・戸河内村』(文政2年1819)に村内小名として「柴木」があり、読みは不明。隣村の『書出帳・西八幡村』(文政2年)の川の項には「芝木」となっている。
柴木はシワキ→シワギと変化したのかもしれない。
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