山歩き

イビセン谷…ヨコガ谷…コアカ谷…京ツカ山 2005/5/8
二軒小屋…十方林道…イビセン谷…焼杉山分岐…ケンノジキビレ…ヨコガ谷…広見林道…コアカ谷…京ツカ山…トリゴエ谷…十方林道…二軒小屋

■京ツカ山(キョウツカヤマ)1129.7m:島根県匹見町

イビセン谷入口

イビセン谷

3mブナ イビセン谷上部
1201ピーク付近の一本杉
ヨコガ谷
広見川 右手前ヨコガ谷
建物の基礎跡

 広見川

広見林道の石積

 小赤谷橋

コアカ谷
4.7mトチ コアカ谷上部
稜線から 旧羅漢山

京ツカ山頂上目印

トリゴエキビレから 十方稜線方向
尾根径から 下山林道峠
トリゴエ谷 二段滝
細見谷
ワサビ田付近
6:30出発 晴れ後曇り 気温8度

6:55イビセン谷
9:05焼杉山分岐
タチカメバソウ

 横川川に釣り人が、暗いうちから入っているようだ。林道沿いの花々がいっせいに咲いている。八百ノ谷を過ぎるとすぐにイビセン谷。ブルーのビニールひもが張ってある谷を上がった。谷沿いのサワグルミが株立ちし、まだ延びきっていない葉を出している。谷はサワグルミが多い。30分ほどで谷が分岐、左へ進んだ。1時間ほどで水が涸れ、ゴーロ帯になり下から水音が聞こえる。ササ帯に入ると大木の切り株が多い。この谷の周辺も皆伐されたようだ。登山道に近づくとブナの大木が目立ち始めた。ブナ越にサバノ頭が見える。大きそうなブナを計測すると、周囲3.1m、その近くに3.0m、この辺りは3m前後のブナが多い。ミズナラの大木もあった。イビセン谷から2時間ほどで焼杉山分岐。ユキザサの花芽が出ていた。

9:50 1201標高
11:20広見林道

チャルメルソウ

 少し休憩して、スギ林の中をケンノジキビレへ下った。ケンノジ谷周辺も皆伐されたところだ。ブナの大木が見当たらない。ケンノジ谷周辺はかつてブナの森で真っ暗だった。焼杉山上部にはブナの巨木が残っている。ケンノジのノジはブナのことだろうか。ノジ、ノジイ(野椎)はブナの方言で広島、大阪、京都などで使われている。柏原山に三本ノジ、高岳にノジイ川がある。ケンノジ谷はブナの谷の意かもしれない。

ハリギリ

 天空に突き刺さっている一本杉手前の1201ピーク付近から、ササを掻き分けて西へ進みヨコガ谷へ降りた。少し下ると歩き易い谷径になる。広見側も伐採され、スギの植林帯が続く。ここのサワグルミはまだ葉が出たばかりだ。ハリギリに手をかけて、おもいきり棘が刺さった。太い木だったので気が付かなかった。大分下ったところに小さな石積が残っていた。広見林道手前のヨコガ谷右岸に廃道があった。谷に入ってから1時間半で広見川に出た。カスミザクラが散っていた。

11:55コアカ谷
14:20稜線
14:45京ツカ山

オオタチツボスミレ
ミヤマカンスゲ

 少し休憩して広見林道を下った。大阪営林署の標柱の裏の林に建物の基礎が残っている。炭焼小屋の跡だろう。少し下ると釣り人がいた。釣れましたかとジェスチャーすると、小さいのが一匹と返した。車が入る釣り場は解禁を大分過ぎると釣れないところが多い。林道沿いのスギ林に石積が残っている、水田跡だろう。林道沿いにミヤマカンスゲが花茎をだしている。昔、雨具の蓑をつくった。コウラとも言い、コウラ谷の呼称が残っている。
 ボーギのキビレへ抜けるオオアカ谷を過ぎると、林道からは見えないが、広見川右岸にキジヤノムカイという谷がある。七村・三葛・広見などでは木地師が居住していた(島根大学HP)というから、キジヤノムカイの谷辺りの林道周辺に、木地師が居を構えていたのかもしれない。ここからだと良材を求めて、オオアカ谷を通って細見谷へ抜けることもできる。大正三年、横川の藤田半四郎は木地の先山師として、オオアカ谷から広見へ入っているようだ。

ユリワサビ

 昭和43年10月竣工の小赤谷橋からコアカ谷へ入った。入口にヤマフジが咲いていた。この谷も伐採されている。吸殻が残っていた。釣り人が入ったようだ。水量が多いのでヤマメが上がっているだろう。案外、本流より支流の方が良く釣れることがある。谷沿いに大きなトチがあった。コアカ谷は緩やかな歩き易い谷だ。
「京ツカ山は広見側からはコアカ谷を登降するとよかろう。この谷は樹林に覆われておりササが少ない」(「西中国山地」桑原良敏)。所々、スギの植林帯が谷まで降りている。トチの葉に似たホオノキも多い。谷の上部にトチの大木があった。中は空洞でクマが冬眠できそうだ。計測して見ると、周囲4.7m。谷の上部は大木の切り株が多く残っている。ヨコガ谷からコアカ谷の間は伐採し尽されたようだ。

京ツカ山
ショウジョウバカマ

 稜線に出ると猛烈なササになる。先が見えないので方向感覚を失う。林間から旧羅漢山が見えた。トリゴエキビレへ下った。雪道では頭の高さだったキビレの目印のカップは見上げるところにあった。キビレの北に周囲3mのブナがあったが、大分傷んでいた。キビレから稜線を登ると、分水嶺の標識のある松の木に出る。そこから40mほど南寄りに三角点がある。頂上はトリゴエキビレと同じカップがぶら下がっており、赤テープが巻いてある。三角点の周辺のササが刈ってあった。太い笹を刈るのは労力がいる。

ネコノメソウ

 京ツカ山は判然としない山だ。東の下山林道の峠から見ると、1158ピークが目立ち、京ツカ山を特定できない。その理由は京ツカ山の稜線を歩いて見ると良く分かる。京ツカ山の北に1168ピーク、南に1158ピークがあり、1129mの京ツカ山よりやや高いうえ、京ツカ山の山頂が西へ寄っているので、稜線から見ても、東側から見ても分かりにくい。

ツボスミレ

 京ツカ山は古い山の案内書では五里山になっている。匹見町史では三角点の点称から中尾山としている。戸河内横川ではトリゴエの頭と呼んでいた。この山の唯一の資料は「吉和村絵図」(江戸末期)で京ツカ山の名が記されている(「西中国山地」)。

 京ツカは京塚、経塚、行塚と思われる。経文を埋めたところを経塚と言い、京塚、行塚とも言ったようだ。京ツカ山は広島県だけだが、京塚山、経塚山、行塚山は全国十数県ある。

 トリゴエ谷の南側にノブスマ谷がある。「ノブスマは近畿地方の呼称である。木地屋とよばれている集団は滋賀県愛知郡小椋から出て全国の山地に分散居住し轆轤(ろくろ)を使って椀や盆を作っていたとされている。細見谷には中流部にロクロ谷があり木地屋が入っていたのは事実らしい」(「西中国山地」)。

 ノブスマ谷やキジヤノムカイの谷がある京ツカ山周辺は木地師がよく入り込んでいたのだろう。滋賀県の霊峰、霊仙山の北に経塚山があり、登山口に木地師の里がある。滋賀からやってきた木地師が故郷を偲んで、キョウヅカ山と呼んでいたのかもしれない。

カスミザクラ

16:40十方林道
17:35下山橋
18:45二軒小屋

ネコノメソウ
ラショウモンカズラ

 トリゴエ谷を少し下っていると、左の尾根にブナの樹林が見えた。尾根に上がって見た。この尾根筋は3m前後のブナが残っている。猛烈なササで歩きづらい尾根だ。雪の時期に歩いてみよう。尾根を少し下ると、見通しの利くところに出た。目前に下山林道の峠があった。トリゴエ谷を下った。林道を見ると、赤色灯を付けた四輪駆動のパトカーが水越方向へ通り過ぎた。林道を歩いているとヘリコプターが上空を南へ通り過ぎていった。今日は何故か細見谷が騒がしい。しばらくすると、祠方面から大きなサイレンを鳴らし、ライトを点けて消防のハコバンが水越方面へ向かった。パトカーが引き返してきたので聞いてみた。林道でバイクが事故を起こしたようだ。ヘリと消防は別のことのようだ。林道沿いは、花々が咲き乱れていた。ワサビ田付近ではキャンプしていた。今日もマウンテンバイクが多い。ケンノジへ曲がる地点からスギ林を水越峠へ真っ直ぐ登った。水越峠手前のカーブの西側の谷は、大量のゴミが捨てられていた。民家に引いてある水場をお借りして顔を洗い、のどを潤した。トリゴエ谷からの十方林道は長かった。

3.1mブナ イビセン谷上部

3mブナ イビセン谷上部

 

ナガバモミジイチゴ

ユキザサ
キケマン

カシミールデータ
総沿面距離18.3km
標高差449m

区間沿面距離
二軒小屋
↓ 1.3km
イビセン谷
↓ 1.2km
焼杉山分岐
↓ 0.9km
1201標高
↓ 1.9km
広見林道
↓ 1.8km
コアカ谷
↓ 2.0km
京ツカ山
↓ 1.7km
トリゴエ谷
↓ 7.5km
二軒小屋

サワグルミ イビセン谷

3.1mブナ イビセン谷上部
登山道近くの樹林帯

ヨコガ谷水源部

ヨコガ谷の石積

広見林道

広見林道

広見林道から

オオアカ谷

コアカ谷
コアカ谷

トチの虚の中は広い コアカ谷

3mブナ トリゴエキビレ北

僅かに見える十方稜線

尾根のブナ帯
冠山
トリゴエ谷入口
サイレンを鳴らしていく消防の車
細見谷
オオカメノキ カスミザクラ コバノミツバツツジ ヤマフジ ミツバツチグリ
ニシノオオタネツケバナ カキドオシ ネコヤナギ チャルメルソウ エンレイソウ

コアカ谷
冠山
立岩山 内黒峠から
砥石川山 内黒峠から
登路(黒線は緯線経線 間隔1分 WGS84 青線は磁北線)