山歩き

死人谷…旧羅漢山…焼杉山 2005/4/29
二軒小屋…十方林道…死人谷…旧羅漢山…ケンノジキビレ…焼杉山…十方林道…二軒小屋

■焼杉山(ヤケスギヤマ)1225.2m:島根県匹見町

ナエマン谷

死人谷入口

死人谷 分岐のトチ
2.6mブナ 死人谷
旧羅漢山
十方山
ケンノジキビレへ 下りのスギ林

 彦八の頭

4.2mブナ

 3.8mブナ

3.3mブナ
3.4mブナ
バーのキビレ

3mブナ

5.7mミズナラ
細見谷
サカモリ谷
八百ノ谷
6:40出発 晴れ 気温17度

7:05死人谷
10:00旧羅漢山

 今日は気温が高く、風が強い。林道に入ると、最初の谷はナエマン谷。十方林道の奥の民家に車が止めてあり、雪で壊れていた家は修理されていた。民家を過ぎるとウマバノ谷、その次が死人谷で七号橋が渡っている。

 死人谷とは穏やかでない。スギ林に小屋代わりのバスがあるところから、恐る恐る谷へ入った。谷を好むカツラの葉が出ている。ブナの幼木の葉が出ていた。三つ、四つ涼しげな滝を越して、300mほどで谷は分岐する。左に進むとすぐに分岐。分岐の中央にトチの大木があった。水量の多い右へ進んだ。ほどなく大岩のゴーロ帯になり、水が涸れる。振り返ると丸子頭が見える。左へトラバースして、分岐の左の谷へ出たが、ここも涸谷。林道から僅か500mほどで、谷は涸れている。スギの植林帯で保水力が弱いのだろうか。

 谷が消えたところで左のスギ林を進んだ。大木の切り株が幾つか残っていた。高度が上がると、まだ雪が残っている。1200m付近に、二本が合体した大きなブナがあった。計測すると周囲2.9m。近くに2.6mのブナもあったが、伐採しつくされたのか、大ブナは少ない。タムシバの白い花がまだ残っている。頂上手前300m付近から大岩のゴーロ帯とブッシュが進行を阻む。なだらかになると登山道に出た。頂上の大岩が目の前にあった。
 南の強風で岩に立てないほどだ。気温18度だが寒く感じる。少し霞んでいるが、カメイ谷から広見山、五里山方向の展望を眺めながら休憩した。

「『広島山岳会会報』(昭和七年)に、結城次郎氏の記録があり、恐羅漢山の山行記録としては初見と思われる。結城氏は案内人と一緒に、サカモリ谷を登り死人谷を降りている。登りついた巨岩大岩のある山頂を、案内人の言うように恐羅漢山の山頂としてあるが、検討してみると旧羅漢山の可能性も充分ある」(「西中国山地」桑原良敏)。

 恐羅漢山は昔から「おそらかん」と呼ばれていたようだ。「恐羅漢」になったのは何時からだろうか。「ソカヒ山」とも言われていたという。ネットで関係する言葉を検索してみた。

●"そかひ"は"山のかた下りなる所也"(『匠材集』駒沢大学HP)。

●ここも古代人が鳥人となり、空から眺めて名付けた地名ではなかろうかと考えられるような地名の例である。地形図を見ると尻餅状に2つの窪地が崩落状に流れ下っている。(osor-rakan:尻餅の窪み)と言うことで、巨人の神がいる所と言うことを意味し、むやみに近づけない所と警告していたのであろう。巨人伝説のあったことを示している例である。オソルは尻であり、ラカンはアイヌ語では魚の産卵穴、ホリであるが、kotと同じく、窪み、穴である。同じような地名が下北半島の先端にある恐(オソレ)山(古代人タマッ研究所HP)。
●「おそらかん」は、「裾を長く引きずっている・頭(のような山)を・寄せ集めた(山)」(ポリネシア語で解く日本の地名・ 日本の古典・日本語の語源)

 オソラカンを囲む戸河内、樽床、匹見、吉和には縄文の遺跡があり、一万年前から人が住んでいた。隠岐、九州と交流があり、トチなどを貯蔵していた。砥石川山の「魔の池」の民話と同じような雨乞いの民話が恐山に残っている。大蛇と大鬼の違いはあるが。恐羅漢は古代の時代から「オソラカン」と呼ばれていたのかもしれない。

オオカメノキ

10:45焼杉山分岐
12:25焼杉山

分岐

 南へ下ると嘘のように風がなく暑い。気温は23度に上がっていた。十方山の長い稜線を見ながら、1271ピークをすぎると、ほどなくスギの大きな木がある焼杉山分岐。「旧羅漢→」「←焼杉」のテープが巻いてあった。

 スギ林をケンノジキビレへ下った。ところどころテープがある。伐採された大木がササの中に転がっていた。1201ピーク付近の天に刺さった一本杉を過ぎる辺りまでスギ林を進んだ。そこから先はササヤブになる。ところどころ、雪で押されたササがまだ倒れたままになっている。頂上手前300m付近で展望が開け、旧羅漢山から水越峠へ降りる稜線が目の前にある。山頂付近の大ブナへ出た。測ってみると周囲2.8m。ここから90mほどで焼杉山山頂。

 焼杉は「ヤケスギ」「ヤキスギ」のどちらだろうか。

「夏焼峠と書いた指導標が、中之甲の峠の登り口にある。これをナツヤキと読む人が現れいつの間にか、ナツヤケがナツヤキにとって変わる状態になりつつある。この付近はさる年の夏に、不注意から山火事をおこして、焼けたことがあるので、この呼称が生まれた。ヤクこととヤケルこととは異なっており、ナツヤケが正しい。呼称の漢字化は確かに難しい」
「焼杉山は横川の呼称である。『吉和村絵図』(江戸末期)は日平山と記され、『匹見町史』は村杉山となっている」(「西中国山地」)。

 京都に焼杉山がある。その由来をみると 「やきすぎやま」は本来は誤読で、「やけすぎやま」が正しい。「焼杉」という山名は今西氏が地元の人の称呼を参考にして命名したもの(京都府の山々HP)。
 全国の地名は「ヤケスギ」が圧倒的に多い。

クロモジ

 山にスケールを持って行くのは初めてだ。先週、トチ谷から登ってブナの大木に出会い計測して見ようと思い立った。北の十方山の西面から焼杉山を見ると、稜線から広葉樹の帯が細見谷へ落ちていた。そこを歩いてみようと思った。

ニシキマイマイ?

 トチ谷上部にあるブナへ進んだ。やはり大きい。格が違う。周囲4.2m。大きな虚があり、クマが冬眠に使えそうだ。虚の入口にカタツムリの茶色の殻が落ちていた。周辺にある大きなブナを計測してみた。先週、一番大きいと思ったブナは3.4mで、見た目では分からないものだ。この辺りは皆伐されてスギの植林帯になったが、十方山から見ると広葉樹の帯が残っているところだ。

 錆びた鋼のロープが巻きついたブナがあった。枝の根元にロープが食い込んでいた。伐採樹の運搬に使ったものだろう。ハサミがあれば切ってやりたいのだが。雑な仕事をする山師がいるのだ。ブナの根元にスミレが咲いていた。ブナの林から五里山や十方山が展望できる。ナメラ渕上ノ谷北側の広葉樹の帯を下った。幅数十メートルの狭い帯だが、大きなブナが残っていた。1000m付近に4mの二股ブナがあった。少し下った所に、珍しく石の境界柱があった。ヤマザクラはもう終わりのようだ。最後の締めくくりは、細見谷近くの5.7mのミズナラだった。圧倒されるほどの大きさだった。大きな虚があった。林道から見ても目立つ。
 緑資源機構のホームページに周辺の巨樹が指定されているが、それと比べても大きなブナが存在する尾根である。

シマヘビ
ミヤマカタバミ

15:15十方林道
17:30二軒小屋

 3時過ぎナメラ渕上の林道に出た。今日は暑かった。山水で顔を洗い、喉を潤した。マウンテンバイクが水越峠へ向かった。暑さのせいか、林道にヘビが出ていた。水越峠にかかると、十数人の人々が、スケールを持って林道の調査をしていた。ハコバンが二台、峠にあった。良くここまで上がったものだ。谷を確認しながら下った。小さな流れのシモミズコシとサカモリ谷をすぎると、石垣の先に僅か30mの間隔で谷がある。イビセン谷と八百ノ谷のようだ。次が死人谷。民家には洗濯物が干してあった。民家に引いてある水を飲ませてもらった。

4mブナ

  
カスミザクラ
死人谷 


カシミールデータ
総沿面距離10.7km
標高差532m

区間沿面距離
二軒小屋
↓ 0.9km
死人谷
↓ 1.9km
旧羅漢山
↓ 0.8km
焼杉山分岐
↓ 1.4km
焼杉山
↓ 1.7km
十方林道
↓ 4.0km
二軒小屋

ウマバノ谷

死人谷
丸子頭

2.9mブナ 死人谷

広見山 カマノキビレ

焼杉山分岐

旧羅漢山

頂上ブナ

4.2mブナの虚

2.9mブナ
ロープの巻きついたブナ

冠山 五里山 ブナ林から

2.9mブナ

十方山

4mブナ
十方林道
シモミズコシ
イビセン谷
ツノハシバミ タムシバ ツルシキミ キブシ イヌガヤ

 

トチ谷上部 4.2mブナ
4mブナ
5.7mミズナラ
登路(黒線は緯線経線 間隔1分 WGS84 青線は磁北線)
カシミール3D(ランドサット衛星画像ETM<2002/5/25>) 濃い部分が植林帯 

緑資源機構HPから