6:00出発 曇り時々晴れ 20℃
キャンプ場は昨夜からのテント数張り、釣人がすでに入っている。

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日地出版 200円
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日地出版の古い登山コースのガイドブックがある。加藤武三執筆で細見谷の項では「細見谷入口のケーブルで川を渡るとすぐ堰堤に出る。釣師の高捲道は堰堤上を渡って対岸にある。沢のもっとも悪いところは黒滝落口と竜頭の滝あたりである」とある。
林道ができる前のことで、キャンプ場へ入る橋がなく、木材などを運ぶケーブル(索道)が吉和川を通っていたようだ。キャンプ場手前の吉和川に架かる橋を確認してみると昭和45年8月竣功とある。橋名は「十方山登山橋」となっていた。昔は立野が十方山登山の基地だったのだろうか。谷入口の細見谷橋は昭和45年7月竣工とあった。
吉和川に架かる橋の銘板 |
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養殖場の看板 |
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ドラム缶 |
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下山林道から立野の堰堤の上部に出てみた。養殖場の写真を撮ろうと思ったのだが、ここからでは全景が見渡せない。谷の水量が少ない。堰堤の左端からチョロチョロと落ちているだけだった。
クマ捕獲の罠だったドラム缶を過ぎて10分ほどで、一ノ谷へ降りるカーブミラーの地点。さらに50mほど林道を歩くと大きなトチノキがある。ここから谷へ降り、一ノ谷上流のゴルジュ帯を過ぎたところに出た。ここまで釣人の踏み跡がある。谷に入るとさすがに冷たい。今日の暑さを感じさせない天然のクーラー道だ。
11:00十方林道祠
7時20分テンガタキ谷を通過。8時30分オオリュウズ到着。9時40分カンネワラ谷、10時10分ロクロ谷。
ロクロ谷から祠手前のオシガ谷の間は原生的な大木が多い。林道から入り込んだところだから伐採を免れたのだろう。かつてはこんな原生林が細見谷全体を埋め尽くしていたにちがいない。
オシガ谷の落ち口付近にある祠へ登る径から十方林道へ出た。
十方林道の祠はいつ頃からあるのだろう。わたしが初めて祠付近を通ったのは二十数年も前だ。
「吉和村の八郎橋よりヤマダチ谷を経て細見谷へ入る十方林道は、昭和二十六年に完成」(「西中国山地」桑原良敏)とあり、その頃からなら50年余りになる。
小高いところにあるので、林道ができる前からそこにあったのか、林道を作るとき邪魔になったので上へ移したのか。祠の近くへ上がってよく見ると、しめなわ(注連縄)が飾られ、賽銭があり、かつては誰かが訪れていたような跡があった。その人なら由来を知っているのだろう。祠はコンクリートで出来た頑丈なつくりだった。裏側、右左を見たが年月を示すものはなかった。林道の安全を祈って開通時に作ったのだろうか。カネヤン原や長者原の作業小屋の人々が世話をしていたのかもしれない。
林道の祠 |

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13:10下山橋
吉和漁協の看板がところどころ立っている。おそらく細見谷上流からヤマメやアマゴを放流しているのだろう。細見谷のアマゴは幅広でヅングリとした特徴があり、放流魚と比べて、私のような素人が見ても明らかに違う。放流はやめて、種の保存のためにも細見谷は全面禁漁にする方が良いと思う。
カネヤン原辺りからやたらと赤と青のリボンが目立つ。ササや枝に結び付けてある。いよいよ林道工事が始まるのだろうか。ケヤキ原では林道の測量をしていた。
カネヤン原で露頭した地層を見ることが出来る。垂直に褶曲しており、かつてのはげしい地殻変動を物語っている。
カネヤン原の廃屋は僅かにその跡を留めているだけだった。建物が残っていた記憶があるのだが。
京ツカ山の登路であるトリゴエ谷の手前にノブスマ谷がある。
「ノブスマ谷というのは、ムササビの多い谷の意という。西中国山地の村里でムササビの呼称はソバオシキが広く使われ、<ノブスマ>の呼称は近畿地方の呼称である。細見谷には中流部に<ロクロ谷>があり木地屋が入っていたのは事実らしい。ノブスマ谷の呼称の意を読み取ることによっても<木地屋>の存在が裏付けられた」(「西中国山地」)。
大規模林道事業の「環境保全に係る調査」で確認されたレッドリスト登載種にモモンガが入っているが、これがムササビのことなのかよく分からない。ノブスマ谷へ入ってムササビに一度会ってみたいものだ。
ムササビ ゲッ歯目(ネズミ等のように一生歯が伸び続ける)リス科
ノブスマ谷は意外と小さな谷だった。
下山橋では軽四駆が一台止まっていた。涼しい川原にイスを出してのんびり食事していた。
14:10クロミ谷
下山橋を過ぎると十方山へ伸びるクロミ谷がある。
「十方山頂には、よく踏まれた小径が三本集まっている。横川の谷よりシシガ谷を登る径、内黒峠より北尾根を縦走する径、吉和村側の瀬戸谷の入口より南尾根を登る径がそれである。…細見谷側からは、下山林道に入り、バーのキビレへ登り、尾根のササをこいで山頂に至るコースがよかろう」(「西中国山地」)。
時々、細見谷を抜け、十方林道を通り、シシガ谷から十方山を回って立野に帰るコースを、ただ歩くだけなのだが、年のせいか体力を消耗する。シシガ谷を回らないで十方山へ登れないか。地図で見て試してみるとすれば、細見谷から東へ伸びて十方山へ至るクロミ谷が適当だろうか。もっとも最後の数百メートルはヤブこぎだろう。
「西中国山地」の広見山の項ではヒロミ(広見)は広くなったところであり、細見、黒見なども同様に考えられるとある。十方尾根の西側の鬱蒼とした原生林のあったクロミ谷は暗いところだったのか。
「昭和26年ごろでしょ
う、今の十方林道の形を造り出した。そして島根県側の一部や、広島県側では水越峠のまわりから、十方山にかけての斜面では伐採が始まっとったですが、それでも細見谷のほうはブナの森で真っ暗だった」(環・太田川2001年9月号
田中幾太郎さんにきく)。
広見山の西側にもクロミ谷、コグロミ谷がある。
別の見方もある。クリという呼び名は,黒い実を意味するクロミが転訛したものといわれている。クロミ谷がクリの谷の意かどうかは分からない。
「砥石川周辺では地面の色が変わるぐらいクリが落ちとったもんだ。吉和村の隣の筒賀村では昭和28年から35年にかけて切ったクリは7万本余り、残ったのはわずか200本」(「動物たちは今」中国新聞社1989年)という。
2万5千地図ではクロミ谷の入り口は針葉樹だが、頂上付近まで広葉樹林帯になっている。
ヤマジノホトトギス |
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17:15十方山頂上
クロミ谷の入口があると思われる付近で谷へ降りたのだが、入口が分からない。上流へしばらく登って見たが入口がない。しかたなく引き返し、下流へ降りて見るとすぐに入口があった。通り過ぎていた。1時間ほど右往左往した。クロミ谷に入るには下山橋を過ぎた辺りから谷へ降りて遡上したほうが良い。谷の入口を地図で見極めるのは難しい。
下流を見ると渓流釣りの人が上がって来ていた。祠に四駆が止まっていたがその人だろう。悪いことをした。そそくさとクロミ谷へ入った。
細見谷の源流に近いクロミ谷は、本流より水量が多いようだ。十方山の裾野から広く水を集めているのだろう。しばらくは杉の植林帯だった。だんだんと若い広葉樹の自然林に変わった。ところどころ錆び付いた鋼のロープが谷へ落ちていた。原生林を伐採して取り出した時に使ったものだろう。原生林が繁茂していたころは暗い谷であったことが想像できる。
クロミ谷は全体として大きな岩がゴロゴロとした谷であり、倒木も少なくわりと歩き易い。水流の多い方へ登って行ったのだが、1100mを越えたところで南よりの谷へ入ってしまった。1200m付近で北側の尾根筋を登った。1300m手前でササに変わり、見通せるところへ出た。ササと猛烈なブッシュが待ち構えていた。少し北東よりに出て、頂上手前150mほどのシシガ谷登山道に出た。頂上は風が強く霧がかかっていた。
十方山頂上からクロミ谷へ出る歩き易い径があれば、十方山から細見谷へ抜ける登路として考えられる。クロミ谷を抜けた所から頂上までのブッシュ帯は直線距離で250mほどであった。
18:55瀬戸滝登山口
19:20立野
キャンプ場はテントでいっぱいだった。バーベキューのおいしそうな匂いが漂っていた。
カシミール3Dデータ
総沿面距離 18.7km
標高差 788m
区間沿面距離
立野
↓ 5.7km
十方林道 祠
↓ 4.9km
クロミ谷入口
↓ 2.1km
十方山
↓ 6.0km
立野
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